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居てはいけない

「あれ、どうかなさいました?」

個室のドアをそっと潜りテーブルが立ち並ぶ食堂に姿を見せたシエルに、空になった皿やコップを忙しなく運んでいたエプロン姿の若い女性が気づき、すぐに声を掛けてきた。

珍しく個室を予約した上客への対応には重々に気をつけるように。そう店主から言い聞かされている従業員は、姿を見せたのが幼さを残している少女であっても丁寧な言葉で、笑顔を浮かべて問い掛けた。

「えっと、お手洗いに…」

食事時ともあって多くの客がガヤガヤと騒ぎを起こしながら詰め掛けている食堂の雰囲気に圧倒され目を奪われていたシエル。そんな中で突然話掛けられた事に驚き、また聞かれた事に対する答えの内容に、少し恥ずかしげに頬を赤らめ、小さな声で答えた。

「あぁ、あの通路の突き当たりの右が女性用になります。」

その様子を可愛らしいと感じた従業員は、笑顔でシエルへと顔を近づかせ、小声で場所を押して、食堂の先にある通路を指差した。

「女性用?」

「うちは男性用、女性用が分かれてるんですよ。」

左は男性用になっています。

シエルは目を瞬かせ、指差された通路に目を向けた。

「そんなの初めて聞いた。」

大抵の場合、男性も女性も関係無い。むしろ、地方に行けば建物の中に備え付けられていることも少なく、外に街や村全体の共同トイレというものになっている事もある。

シエルの生まれ育った宿を営業している家は、元々は貴族の別荘だった建物。その為、お手洗いは幾つかあり、取り決めなどは別にしていないが自然と家族用、客用などの棲み分けは出来ていたが、その程度で性別で分かれてはいなかった。

「昔、ちょっとした事件があって女性客が来なくなっちゃった事があったんですよ。それから分けたんです。あぁ、余計な事聞かせちゃったよね。大丈夫、ずっと昔にあった事だから、今は安全だよ?」

子供に聞かせる内容じゃなかった。この辺りの人間や常連客なら誰でも知っている話だった為、従業員の口は軽くなってしまった。途中で自分の失言に気づき、すぐに安心していいのだとシエルに対して謝っていた。

「ありがと~」

女性の慌てた顔にシエルは笑顔を見せ、大丈夫だと伝えた。幼い頃から接客業に親しみ手伝いをしてきたシエルは、そういう場合に普通の店ならしっかりと対応するのだと知っている。だから、従業員の話を聞いても不安に思うことは何も無かった。

「いいえ。」

シエルが何も気にしていない様子で、お手洗いへと向かう姿を見送り、女はホッと息を吐いて仕事へ戻っていく。上客の子供に余計なことを言ったと怒られずに済みそうで良かった、と胸を撫で下ろしていた。



従業員の女性が指差した、食堂から伸びた通路の先には左右に扉が一つずつあった。説明された通りに、その右側に体を向けて見れば、扉に大きく女性用という表記があった。

シエルは、数回その女性用と書かれている表記を確認し、扉を押した中へと入っていった。


「えっ?あれ?」


扉を押した勢いのまま中へと足を踏み入れたシエルだったが、戸惑いと驚きの声を上げて通路へと後退りしてきた。そして一度、扉を閉めて大きく書かれている表記を確認し、そして首を傾げながら再び扉を開ける。中に見れる光景は、先程と何も変化は無かった。

しばらくの間、体を硬直させていたシエルは先程のようにゆっくりと後退りを始め、ムウロ達の居る個室、いや多くの客がいて従業員がいる食堂へと向かおうとした。

しかし、その後退りしていたシエルの体は、誰かの体にぶつかる事ですぐに止められてしまった。

誰だろう。いや、誰であろうと今シエルが見た光景を説明して…そう思い振り返ろうとしたシエルの背中が強く前へと押し出された。

シエルの体が倒れそうになるのを持ちこたえようと、トットトッと危なげな歩みで女性用トイレと書かれた扉の中へと吸い込まれていった。

シエルは最期に…

「大丈夫。痛くないよぉ。怖くないよぉ。ちょぉぉっとお話したいだけだから。」

そんな声を聞いた。






《だからね、姉さん。》

《どれだけ言われても…》


《ねぇ、ねぇねぇ!!》


シエルが部屋を出て行った事に気づく事なく、ムウロとディアナの話は続いていた。シエルが部屋を離れたも『遠話』の力は途切れることなく、ムウロとディアナを繋いでいた。

何時までも平行線を辿りそうな二人に、ヒースが何処で止めに入るべきか頭を悩ませ始めた頃、つい先程トイレへと向かったシエルが『遠話』で行なわれている会話の中に、慌てた、酷く驚いている声を紛れ込ませてきた。

《シエル?》

そこでようやく、自分の隣に居た筈のシエルの姿が無いことにムウロは気づいた。

《シエルちゃんなら、お手洗いに行ったんですけど…。》

《どうしたの、シエルちゃん?》

ヒースがシエルがこの場にいない理由をムウロとディアナに説明した。けれど、何故あのような声で『遠話』に割り込んできたのかは分からないと首を振って見せた。

シエルの酷く動揺している声に驚いたディアナが心配そうにシエルに問い掛けた。


《あっ、あのね。お手洗いの扉を開けたら、男の人が居たの。これって、どうしたら良いのかな?》


《素直に謝って扉を閉めてあげるべきじゃないかしら?》

慌てたシエルの説明を何とか読み取り、普通の場合に取るべき対応をディアナは口にした。先に使っている者が鍵を掛け忘れていた場合。それがディアナが想像した状況だった。

《いえ。この宿屋は男性・女性の二つに分かれているんです。昔、変態が出…》

わりかし有名な、性別によって二つに分けられた理由を口に出しかけ、ヒースはハッと顔色を変えた。

《いえ。落ち着いて。こういう時はまず深呼吸をして。シエルちゃん、そこはちゃんと女性用なのかしら?》

言葉では落ち着こうと言っているが、ディアナの声が僅かに震え始めた事にヒースもムウロも気づいていた。

《女性用だよ?ちゃんと確認して入ったし、今も扉に書いてあるのを確認したもん。》

おかしいよね。なんでだろ。

ヒースやディアナの様子に、やはりオカシイ事なのだと確認したシエルの声も動揺を隠せなくなっている。

《シエル。ゆっくりと扉を閉めて、相手を刺激しないように戻って…》

おいで。

そうムウロは言葉を終わらせようと思っていた。だが、その言葉は言い終わることが出来なかった。


《わきゃっ…》


ぷつりっ

ムウロの声の途中で、シエルの『遠話』によってディアナやシエルと繋がっていた糸のようなものが途切れてしまい、ムウロとヒースだけがいる個室の中に沈黙が落ちた。

最期に聞こえたのは、シエルの悲鳴とも取れる声。


ムウロとヒースが席を立つのは同時の事だった。

シエルの問い掛けは突然で、あまりの内容に二人は立ち上がる瞬間を逃していた。だが、シエルの悲鳴を聞いたとあらば、すぐに駆けつけなくてはいけない。特に相手が変態と呼ばれる部類なのだとしたら、何を置いても早く駆けつけなくては。

二人の考えは完全に一致していた。





「シエルちゃん!!?」

笑顔になったり、顔を顰めたり。そして、悩んだり。

様々に表情を変化させていたディアナが突然、大きな声を上げた。

それに驚いたのは、ディアナに尋ねたいことがあって部屋を訪れたカルロだった。

仕事がまだ途中だったのだが、一時の休憩を兼ねてと尋ねてきてみれば、ディアナは年の離れた友人との会話に夢中で、カルロが部屋に入ってきたというのに一瞬目を向けるだけだった。仕方が無い、終わるまで待つかと、カルロは部下に一部の仕事を持ってくるよう命じ、そろそろ書類の一束が終わりを迎えようとしていた。

そんな時に突然上がったディアナの悲鳴に近い呼びかけの声。

それは、ディアナが大切にしている幼い友の名前だった。

書類に記していた署名が歪んでしまった事も気に掛かったが、それよりも何があったのかという思いをカルロは抱き、ディアナに問い掛けていた。

「何かあったのですか、母上?」

「か、カルロ!!あのね。一応、聞くのだけど。お手洗いに入って女性が来るのを待っているのって、人間は何て呼ぶのかしら?」

「…変態、犯罪者…」

予想外過ぎる母の言葉に思考が停止しかけたが、カルロは何とか答えていた。

自分がどんな顔をしているのか。近くにいてカルロの仕事を手伝っていた部下達の顔を見れば、それと同じなようなものになっているのだろう。何とも言えない、引き攣った顔が並んでいた。

「一体、何を聞くんですが?」

「そうよね。やっぱり、そうよね。」

どんな話をしていたのか、ディアナは答えることは無かった。だが、何となく予想は出来る。ディアナの大切な友人シエルが、その変態としか言い様のない人物に遭遇でもしたのだろう。

「カルロ。私は少し出掛けてきます!」

「駄目です。近くにいる人間を向かわせます。それで我慢して下さい!」

立ち上がり魔力を練り上げる母の手を掴み、術を使おうとしていた動きを封じたカルロは部下達に指示を出していった。

不満そうに頬を膨らませているディアナを宥めながら、厄介事ばかりだと溜息をつく。

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