滅多にないこと。
ガタッ ゴトッ
あまり上級とは言い難い振動を感じながら、シエルは流れるように変化していく光景を楽しんでいた。
そういえば、とシエルはある事を思い出した。
「ヒースさんと何処で会うか聞いてなかった。」
今更なことではある。
最期まで謝罪の言葉をちょいちょい挟んでいたヒワに別れを告げて、ヒワの家の玄関から街へと入った後に、シエルは慌てだした。
ドアにつけた印はムウロによって消し去られた。もう無いとは思うが、また何かという時にディアナやそれが出来る誰かに利用でもされれば大きな問題になると考えでの事だとムウロはシエルに説明していたが、その実を言えば、これで出来ることなら兄に対しての証拠隠滅にならないかな、なんて思っていたりした。
「今から聞いてみれば?」
シエルらしいなぁとムウロは笑っていた。
シエル達は、ヒワから聞いた乗合馬車の乗り合い場へと向かっていた。ムウロがいれば馬車などよりも早く移動することは可能だが、そういう普通の事がしてみたいとシエルが言ったのだ。
《ヒースさん。ヒースさん。何処に行けばいいの?》
《今、何処なのかな?》
シエルが呼びかけ、簡潔過ぎる問い掛けをした。
すると、ヒースの声はすぐに返ってきた。
《今、クリオっていう街だよ。》
《…王都に向かえるかな?近くに着て連絡をくれれば、正門に向かえに行ける。》
連絡を取り合った翌日に、すでに国内にいると言うシエルに驚いた様子を見せたヒースだったが、すぐに待ち合わせる場所を指定してきた。
シエルはムウロに視線を向けて了承を取ると、ヒースに分かったと返事を返した。
シエルとムウロが乗合馬車の乗り合い場で乗り込んだのは、王都に向かう馬車だった。ホロの着いた大きめの馬車は15人程が乗り込めるだけの広さがあった。クリオに着いた時にはすでに半分近くの乗客が乗っていた。クリオで待っていた数人の乗客と共にシエルとムウロが乗り込めば、ホロの中は満員になっていた。
最期に乗り込んだシエルとムウロは当然、一番後方に座ることになった。ホロに覆われた馬車の中で一番外の景色を楽しむことが出来る場所とあって、シエルは喜んで馬車に乗り込んだ。齧り付くように、飽きる様子も無く外を見続けていた。その様子に、馬車に乗っていた人々から微笑まし気な眼差しを向けられていることもシエルは気づくことはなかった。
「こういう時の定番って、やっぱり魔物が襲ってきたり、盗賊が出たりすることだよね。」
一応、他の乗客に配慮したらしく、シエルはムウロの耳元に顔を寄せて囁いた。
「まぁ、そうだね。この国じゃなかったら、それは多いだろうね。」
シエルでなかったら、そうそうに飽きているだろう長閑な風景が馬車が通り過ぎた後の道筋に広がっている。魔物の影一つ、盗賊などという荒くれ者などの影一つ見当たらない、想像もつかない光景に、シエルは少しがっかりとした気持ちを隠せないでいた。
もちろん、そんなものが出たら出たらで大変で迷惑極まりないものだと理解しているが、シエルが冒険者達に聞いてきた、冒険の道すがらには必ずと出てきた存在が出てこないかと期待する気持ちも小さくは無かったのだ。
「ここは神聖皇国に近いからね。国同士の取り決めもあって聖騎士がすぐに派遣されてくるから、人に対して攻撃的な魔物や魔族は少ないし、他国から客を集めている観光国として治安維持に力を注いでるから盗賊とかいう輩は少ないよ。裏の人間は一応弁えた行動を心得ているしね。」
ムウロも声を潜めてシエルに説明をする。それを聞いて、ホッとシエルは息をついた。物語などに出てくる体験をしてみたいとワクワクする気持ちもあったが、それでも安全で誰も怪我をしない事の方が大切なのだとシエルは感じていた。
「まぁ、時々は出るらしいけ…」
「止まれぇぇ!!」
ヒヒィィィン
突然の怒鳴り声が聞こえたと思えば、馬車を引いていた二頭の馬の鳴き声が響き、馬車が急に進行を止めた。その為に大きく揺れ、積める様に乗っていた乗客達の体が大きくぶつかりあうことになった。
「なんだ。」「どうしたんだ。」という声が乗客達から上がった。
「盗賊だ。」
そんな声が、前方の光景を見る事が出来る、従者のすぐ後ろに座っていた乗客から聞こえ、全員が声を潜めた。
滅多に無い事。国によって運営されている乗合馬車が盗賊に襲われることに対する認識はそれだった。その為、従者が自衛の手段を持っている程度で、他国で見られるような護衛だとかが同行することは無い。
「10人以上はいる。」
前方を見ることが出来る乗客が状況を伝える。
乗客達の多くは戦う術を持たない者達が多いように見える。女性に子供、小太りの中年の男など、声を潜めて気配を消し、盗賊団と言ってもいい人数の悪漢達を刺激しないようにと務めようとしている。
「守れるか?」
そう声を発したのは、シエルとムウロの前に座っている男だった。二人と同じように馬車の一番後方に座り、はしゃぐシエルとは違い身動き一つせずにいた目深くフードを被っている男は、抱えていた剣を手にとっていた。男が声を出すまで、すぐ横にいたというのに剣の存在に気づいていなかったシエルは驚いた。
男の言葉はムウロに向けられていた。それは、男の視線がまっすぐにムウロへ向けられ、逸らされることが無いことからシエルにも分かった。
「結界を張って護る程度なら。」
「頼んだ。」
ムウロがニコやかに答えれば、男は音も無駄も無い動きで馬車から降りていった。
「あの人、剣なんて持ってたっけ?」
「最初から持ってたよ。中々の実力者だね。…あの剣、神聖皇国の関係者だと思うよ。」
シエルの疑問に答えながら、ムウロは指先を立てて上下左右に揺らしていた。
「さぁ、これで結界が僕等を守ってくれるよ。盗賊たちは彼に任せれば問題無い。」
ムウロの声に耳を研ぎ澄ませていたのだろう。乗客達が安堵する声がいくつも聞こえてきた。
「いいの?」
力を使っていいのか、とシエルは聞く。
魔族だとバレては大変なんじゃないかと思ってのことだった。しかし、ムウロは大丈夫、大丈夫と笑っていた。
そして、シエルの耳元で、シエルにだけ聞こえるように囁いた。
「人間の魔術で結界を張ったからバレないよ。っていうことで、そういうことにしておいてね、シエル。」
「うん。分かった。」
たった数分。
それだけの時間を待つだけで、何事も無かったのように男は馬車の中に戻ってきた。
馬車はすぐに、王都に向かって走り出した。




