長い年月
地上の遠い異国に友人に会いに行くのだと意気込むシエルと、姉ディアナの手掛かりがあるかもとやる気になったムウロの二人にとって、ドルテ王国へ向かうのは至極簡単な事だった。
その移動をムウロが担ったのだから。
自分の足で動く事を好むシエルにしても、迷宮ではない地上の国を跨ぐ移動とあっては、ムウロの力を借りることを了承していた。
暇を持て余せば、地上に出て遊び回る事が多かったムウロはもちろん、ドルテ王国にも行った事があった。さすがに、その隣となる魔族の天敵状態のゴーステッグ神聖神聖皇国には入った事は無い。やろうと思えば入り込むことは出来たかも知れないが、皇王が維持する知覚の網を潜り抜けない事には発見され、大きな問題となっていた事だろう。そう考えたムウロが自重したのだった。
ムウロが以前にドルテ王国に残した目印を使い、シエルと二人で転移の術を使って移動する。
「ドルテ王国の端にある街が出口になってるんだ。丁度、ちょっとした事で大金が手に入って持ってても邪魔だから二階建てのちょっと大きめな家を買ってね。その一階の物置部屋のドアに印をつけておいたんだ。」
そう言ってムウロはシエルの手を引いて、転移の術で作り出した異空間の道を歩く。長い道のりの間、ムウロによるドルテ王国の説明が続き、シエルは興味深々にそれを聞いていた。
「ドルテ王国は、そんなに大きな国ではないね。というか、神聖皇国や帝国に比べたら、ほとんどの国が小さいんだけど。ドルテ王国は大戦の後すぐに出来た国で、神聖皇国と一応対等な関係を築いてる。」
「大きくないのに?」
「ドルテ王国を作ったのが、聖騎士の子供だかららしいよ?勇者と聖女の血筋が治める神聖皇国とは友好で同等な立場だと約束されている。そう、建国の時に神聖皇国と連名で明言したんだ。それが今でも守られているんだって。」
「…聖騎士って、魔女大公の従者っていう人でしょ?」
教えてもらった大戦の真実をシエルは思い出す。『聖女』と呼ばれた人は『魔女大公』で、『聖騎士』は『魔女大公の従者』。
「そう。僕もびっくりしたんだよ。あの人に子供が居たんだって。」
「どんな人だったの?」
当時の衝撃を思い出したムウロは遠い目を道の先に向けていた。そんなムウロにシエルは聞いた。『聖騎士』は『聖女』と一緒に『銀砕大公』と戦ったと神殿のレリーフにあった。シエルが知っているアルスでは戦っている姿を想像する事は難しいが、『聖騎士』がどんな人だったのか、神殿では一枚の絵でしか描かれていない戦いがどういったものだったのか、シエルは興味があった。
「ん…。面倒見が良くて、苦労症で、料理好き?人間だったけど魔族に交じって魔王城に出入りしたりしてたね。普段は、姫や姉さんが住んでた離宮に住んで、食事の用意や掃除とか一手に引き受けてた。ついたあだ名が"おかん"だったなぁ。」
「人間だったの?」
それにシエルは驚いた。
『魔女大公の従者』というだけで魔族なのだと思っていた、シエル。人間なのに、魔王の妹である『魔女大公』の傍にいた。まず、どうやって出会ったんだろうか。シエルは不思議で溜まらなかった。
「人間だけど、強かったよ。人間なんてって言う城仕えの魔族達も返り討ちにしていたし、母上とも何回か戦ってたし。」
「凄いんだね!」
ムウロの母である『夜麗大公』と何度も戦い、魔王の城に仕えるような魔族達を返り討ちにしたという『従者』を凄い、凄いと目を輝かせて褒めるシエル。
その姿に、ムウロは苦笑した。
一応、幼かったムウロにオヤツをくれたり、遊び相手をしてくれたという事もあって言い回しに気をつけてシエルに教えたのだ。本当の事を言えば、城仕え達を返り討ちにしたというのは、城の料理人達と料理勝負をして勝っただけ。腕力にものを言わせようとした相手には、城中に罠を仕掛けて自分の手を汚さずに勝負を終わらせただけというのが真相だった。
『夜麗大公』と戦った事に関しては一応両者共に本気ではあっただろうが、その戦いの理由が何とも言えない。仔狼の姿になって昼寝をしていたムウロの体に棒をつけてモップ代わりにして掃除をしていた、その姿を見られた事が発端の戦いだ。ムウロにとって恥ずかしい話だった。そんな話をシエルにする訳にはいかなかった。
今はもう、死んでしまったであろう、その人を思い出す。
けれど、幼かった事もあってか、その顔をはっきりと思い出すことが出来なくなっている事に気づき、少し寂しく感じた。覚えているのは、左足をアルスによって食い千切られ無くし、剣にもたれかかりながらヨロヨロと背中を向けて何処かへと去っていった姿だった。
「ムウさん。家、じゃないよ?」
異空間から抜け、ムウロが出口を作った家へと降り立った、筈だった。
二階建ての家のドアの一つに印をつけたとムウロは言った。
だというのに、ムウロとシエルが降り立ったのは壁に四方を囲まれた、本当に小さな空間だった。チラリと後ろを見てみれば、小さな四角の空間の中心にポツンと経っているドアのような板。天井があると思っていた上には青い空、床だと思っていた下は土だった。
周囲の壁はといえば、目の前にある壁の二階部分に窓があるだけで、他の壁には中を窺える窓は無かった。この空間から抜け出すには、その窓を使うか、空に飛び上がるかしか無い。
「あれ?おかしいなぁ。これは、覚えてる通りのドアだし、印も着いてる。僕の家、何処行ったんだろう?」
頬をかいて頭を捻っているムウロ。
アハハハッと乾いた笑いを上げて、周囲を見回している。けれど、どんなに見回しても家は無い。あるのは周囲の家々の壁と、どうやって立っているのかも不思議なドアだった板だけだった。
「もう、それって何時の事なのさ。」
腰に手を当てて頬を膨らませたシエル。そう言われてみれば、とムウロは指を折って経った年月を数え出した。
「100年は前だね。」
「指折る意味無いと思う。」
100年も経てば景観は変わって当たり前じゃん。
そう言おうとしたシエルだったが、ムウロの指を折って数えていた行為に何の意味があったんだろうと不思議に思い、そのせいで口から出る言葉が変わってしまった。
「でもねぇ、持ち主に言わずに取り壊しとか無いと思うんだけど。」
「すみません、もう所有者は亡くなっているものとばかり思っていました。」
声が聞こえた方向を見上げた二人は、目の前に建つ壁の二階にあたる場所で開いた、小さな窓から体を乗り出す少女の姿を発見した。
「縄を降ろすので、どうぞ上がってきて下さい。」
申し訳なさそうな表情を浮かべた少女は、スルスルと一本の太い縄を降ろしてきた。
 




