流行のお薬
「えぇ、お礼の現物支給はダメだったの?」
ただでさえ母に関しては鬱陶しい父がより一層、というのは勘弁して欲しい。シエルはそう思い、マリアの提案を断った。
すると、マリアは目を大きく見開き、どうしよう、と慌て始めた。
人間のお金なんて持ってたかなぁ?
そう呟きながら、家の中を見渡すマリア。掃除をサボっていた事が何となく分かる、埃が所々に積もっている部屋の中に、家主であるマリアが見ても金目になりそうなものは写らなかった。
「別に、何もいらないよ?」
困っている様子のマリアを見かね、シエルが言った。
すると、目つきを鋭くさせたマリアが首を横に激しく振り、「駄目よ」と大きな声を上げた。
「こういう事はしっかりしておかないと駄目よ。依頼を出した、受けたって事なら、それは商売、取引って事になるの。商売に無償なんて言葉は通用しないわ。絶対に裏があるって思われるもの。」
分かったわね。
マリアに詰め寄られ、シエルは頷いた。
ちゃんとシエルが理解したと判断したマリアは、再び頭を悩ませ始めた。
シエルに対して偉そうに説教をしたのはいいが、シエルに渡せるものを思いつかなかった。
「あっ!そうだ!」
「ねぇ、貴女!ドルテ王国に知り合いとか居ない?」
「ドルテ王国?」
シエルはマリアに言われた国を思い出す。
それは、確かグレルと一緒に迷い込んでしまった『氷棘の迷宮』があったゴーステッグ神聖皇国の隣、シエルの住んでいる帝国から見れば神聖皇国の手前にある国だった、かな?とあやふやな記憶を掘り起こしていた。
そして、行った事もない、シエルにとっては遠い異国に知り合いなんて…。
そう思ったが、一人だけ思い当たる人物がいた事もシエルは思い出すことが出来た。
「あっ。」
「あ、居るの?」
シエルの『遠話』で会話を楽しんでいる友人の一人が、その国に住んでいると言っていたことを思い出した。
「うん。」
「じゃあ、その人に頼んで捌いて貰えばいいと思うの。」
マリアはシエルの返事を聞いて、喜んだ。これで、惚れ薬の現物で礼という事にしてもらえる。マリアは安堵していた。
「どうして、ドルテ王国なの?」
よっしゃーと拳を握っているマリアにシエルは問い掛ける。
他にも色々国はあるのに、何故その国なのだろうか。
シエルの問い掛けに、マリアは手近にあった本棚から一冊の、薄い本を取り出しテーブルの上に差し出してきた。
「今、惚れ薬がドルテ王国っていう人間の国を中心にして流行ってるって、この広報に書いてあったの。きっと、その人に頼んだら良い感じに捌いてくれると思うわ。」
「薬師協同組合?」
テーブルの上に置かれたペラペラとした薄い本の表紙には、シエルが聞いた事も無い組織の名前がデカデカと書かれていた。
「私が所属してる所なんだけどね?一般人は知らないだろうけど、薬師を生業にしている者には大きな組織なんだよ?色々と所属してると良い事が多くて、薬師で所属してない方が少数なんじゃないかな?」
「へぇ。」
オババも入ってるのかな?
シエルが日頃世話になっている村の薬師ホウライの事を考えながら、本に手を伸ばしたシエルがパラパラとページを捲っていると、通り過ぎたページの一番上の位置に、「ホウライ」という字を見た気がした。
そして、数ページ捲り戻すと、そこには確かに「ホウライ」の字があった。
薬師ホウライの伝説
そう書かれているページに、まさかと思ったシエルだった。オババって有名人だったんだ、凄い!。そう思いながら内容を読もうとしたが、ページの一番下に描かれている肖像画がシエルの知っているオババとは違う人物だと気づいた。それは、目を奪われるような美女の絵だった。シエルは、たまたま同じ名前の人か、と本から目を放し、マリアに目を向けた。
「この記事だよ。」
マリアは、シエルが目を向けていたページから数枚捲った。
これで、あの人は私の虜!!
そう、大きく題名が書かれているページの説明をマリアが始めていった。
「この広報って、今売れ筋の薬とかを取り上げてくれるの。それを見て、薬師は商人に薬を作って売り込むんだけど。最近は、惚れ薬とかそういう傾向のものが多くなってたんだ。」
マリアがページを捲る。
すると、数字や絵の多いページが現れた。
サッサッと捲られていくが、同じようなページが続いていく。
「これが、売れ筋の薬のレシピなのよ。まぁ、大抵の薬師は自分独自のレシピを持ってるから使う事も無いだろうけどね。見習いとかは、最初はこのレシピとかで腕を磨くの。
で、今回のラブポイズンを使ったものが、これね。」
マリアの開いたページに、確かにラブポイズンという字があることにシエルは気づいた。
レシピの一番上には、『愛の毒』と書かれていた。
「大昔に出回ったレシピを改良して効果を上げてるものなんだけど、これってまだ市場には出てないみたいなの。」
「誰も作らないんですか?」
売れ筋で、レシピがあるなら誰でも作りそうなものなのに。
シエルが首を傾げて、本当に不思議に思っていることに、マリアは苦笑を漏らした。
シエルが本当に、自分が採ってきたラブポイズンの価値に気がついていないということが、面白くて仕方がなくなっていた。
「作れないの。ラブポイズンが手に入らないからね。」
「簡単に採れたのに?」
それはシエルだからこそだという事に思い至らない。
ラブポイズンが採れる『紅月の迷宮』は冒険者ギルドによって中の上に位置づけられている迷宮だった。そんな迷宮の第9階層に採取に迎える冒険者も少ない。雇えたとしても、それだけの階級にある冒険者を雇ってしまえば大金が飛ぶ。利益に見合わない経費を出すものはいなかった。
「でも。」
フフフッ。マリアが不気味な笑い声を上げた。
「シエルちゃんのおかげで、ラブポイズンが手に入った。これで私も広報に名前が載る、有名人になれるわ!!」
腰に手を当て胸を反らして高笑い。
シエルは思わず拍手をして、マリアを見上げていた。
「じゃあ、ちょっと待ってて。今、作ってくるから。」
スキップしそうな勢いで、マリアはドアを潜って台所を後にしていった。
その喜びに溢れる背中を見送ったシエルは、友人に連絡を取ろうと考えた。そして、『遠話』の力を使おうと右耳に意識を集中させた。
《ヒース君、今って大丈夫?》
返答はすぐにあった。
《大丈夫だよ?どうしたの、シエルちゃん。》
年若い青年の声が聞こえてきた。




