天人族の村
ほい!到着だ。
アルスによって開かれた道を使い、シエルは第7階層にある天人族の村の前へと辿り着いていた。
アルスを腕に抱いたまま地面に足を降り立たせたシエルは、目の前に広がる天人族の村を見上げて口を大きく開いた。
シエルが腕を大きく広げても、何人も集まらなければ一周出来ない程太い木が何本も生え、その遥か上にある枝に、木と葉で作られた家がポツリポツリと点在している。
首が痛くなるほど上を見上げなければならない、そんな場所にある家にどうやっていけばいいんだろう。シエルは考え、周囲を見回してみた。けれど、家がある大きな木には上にあがっていく為の階段は無いようだった。
「叔父さん、これってどうやって上に行くの?」
どんなに探しても上に登っていく方法が見つからないシエルは、腕の中にいるアルスに尋ねた。
「そんなん天人族だから飛ぶに決まってるじゃねぇか」
「あぁそっか。」
天人族は、背中に大きな翼を持っていて、空を飛んで生活している種族。木の枝にある家になら、飛んで出入りすればいいんだとシエルは本で読んだことを思い出した。
「ほら、俺はそこらに隠れてるから頑張れよ。」
村を出る前の約束通り、役目は送り届けるだけだとアルスはシエルの腕から飛び降りると何処かへと姿を消していった。
文句を言っていたものの、アルスが消えてしまえば少しだけ不安に襲われてしまったシエル。さっきまでアルスを抱いていたアルスの温もりが段々と無くなっていく事に心細さを感じていた。
「まだ戻ってこないのかな?」
ムウロを思い浮かべ、シエルは呟いた。
ムウロが一緒にいることが普通になっている事を、シエルは不思議に思うことはなかった。
「…シエル?」
「どうしたよ。」
ケイブは目の前にいる弟が突然シエルの名前を呟いて上を見上げた事に目を見開いた。
「いえ。シエルの声が聞こえた気がしたんですけど…」
シエルなら、ケイブも認める程の実力者である兄と二人で『銀砕の迷宮』の中にいる筈だ。シエルの『遠話』を受けた感覚も無く、ただの空耳だとムウロは考えた。
「人間で言うところの"虫の知らせ"って奴か?」
「…洒落にならない…」
シエルなら何かに巻き込まれて危険な状況に陥っていても不思議ではない。ケイブが、からかい半分に言った言葉にムウロは頬を引き攣らせた。
「…シエルも心配だし、もう用事も済ませたし…僕は戻る事にします。」
そう思ってしまえば、早くシエルの姿を見なければ安心出来ない気持ちに襲われる。例えシエルが何かにつけて無事に潜り抜けてしまうだろうと分かっている所があったとしても、心配になる気持ちは変わることはない。
「まぁ、それが無難だろうな。送ってやろうか?」
「結構です。」
ケイブの申し出を笑顔で断り、ムウロはスタスタと歩いて消えていった。
「なんか、昔の親父の姿を見てるみてぇだな。」
弟の背中を見送り、ケイブは呆れ声を上げた。
「すみませ~ん!!!」
心細さを押しのけ、シエルは依頼を達成することだけを考えることにした。
そして、まずは誰か天人族と会わなければ上に行くことも出来ないと声を張り上げることにした。
シエルの声は木々の間に反響し、何度も何度も自分の声が耳に届く。
喉が痛く感じる程大きな声を出したというのに、誰一人、枝の上の家から出てくる様子は無い。
よし、もう一度。
シエルは深く息を吸った。
「すっ」
「なにかぁごようですかぁ?」
「ひやっ」
呼びかけの声を叫ぼうとしたシエルの肩を、のんびりとした声と共に叩かれた。
誰も傍にいないと思って声を張り上げようとしていたシエルは、突然肩を叩いてきた手の感触に驚き、体を震わせ変な声を上げていた。
「あぁあ~ごめんなさぁい。」
驚いた拍子に前へと倒れそうになったシエルの腕を掴み、またまたのんびりとした声で謝る女性の声が、シエルの体を支えていた。
「あ、ありがとうございます。」
シエルが礼を言って体勢を整え立ち上がる。
そして、自分の腕を掴んでいる女性の姿を見た。
緩やかな長い黄緑色の髪、シエルが今まで見たことが無いくらいに豊満な胸。普通ならシエルが注目するような特徴も、女性の背中にある大きな白い翼に目がいって気づくことはなかった。
「天人族さん、ですか?」
「はぁいぃ~天人族のウルルって言いまぁす。あなたはぁ、だぁれ?」
のんびりと、間延びした声で話す女性ウルルは、その話し方からは想像もつかない鋭い目でシエルを射抜いていた。
「お届け物係のシエルです。マリアさんにお届け物を持ってきました。」
強い警戒を受けたシエルは、慌てて自己紹介をした。
そうすると、ウルルは目を柔らかく変化させ、にっこりと笑顔になった。
「あぁ~聞いてるわぁ。大公様のぉ魔女ちゃんねぇ。依頼のことも知ってるぅ。」
こっち、こっち。
ウルルは掴んだままになっていた腕をそのままに、翼を羽ばたかせて空に浮かび上がる。もちろん、腕を掴まれたままのシエルの足も地面から浮かんでいく。
「うわぁ」
段々と遠ざかっていく地面に、シエルは目をこれでもかと開き、驚きを露にする。そして、自分の腕を掴んでいるウルルの手をもう片方の手でしがみ付き、落ちないようにと体を強張らせた。
「大丈夫ぅ。落としたりしないよぉ。」
ウルルは怯えるシエルの様子に、大丈夫、大丈夫と繰り返している。頭では大丈夫だと思おうとしても、体が自然とそうなってしまう。枝の上にある内の一軒の家へと降ろされるまで、シエルは全身から緊張を解くことは出来なかった。




