今度の転移は…
手を繋いだ転移の道に入ったシエルとグレルの二人は、今度は無事に目的の場所に転移することが出来た。
そこはミール村の広場。
グレルが出口に定めたのは、ミール村にいる母ヘクスだった。
そして、そのヘクスは丁度家の外に出ていたのだった。
ヘクスの目の前に突然現れた、娘と息子。
ヘクスは、大きく目を見開いて珍しく驚きを顔に出していた。
「あっ、お母さん。」
けれど、顔に出ていたのは一瞬の事。
すぐに驚きを消した顔に戻り、二人の顔を見比べて、首を傾げた。
「グレル?シエル?どうしたの?」
シエルは、ムウロと一緒に迷宮の中に居た。その事は、アルスと共にヘクスは見ている。
グレルは、数日前にルーカスやロゼ、部下達と共に迷宮に潜りに行った。それをヘクスは見送った。
どうして、本来の連れと離れ、二人が一緒にヘクスの前に現れたのだろうか。ヘクスには考えもつかなかった。
「うん、ちょっとね。」
ヘクスに聞かれても、どう答えていいのか分からない。それがシエルとグレルが、示し合わなくても同じになった思いだった。
シエルが濁すように答え、グレルはそれに頷く。
普通ならば、追求を入れるところだろう。
しかし、ヘクスはそうなのかと納得したようだった。
「そう。あまり無茶はしては駄目よ。」
ただ、それだけを言ったヘクス。
「うん。」
「分かってる。」
シエルとグレルは、やっぱり母さんだなぁと少し笑っていた。
「あれ?うちの馬鹿息子は一緒じゃないのか?」
アルスの声がした。
けれど、シエルが左右を見回してもアルスの大きな姿が目に入ることはなかった。
えっ?えっ?と目を瞬かせてヘクスに確認すれば、ヘクスは自分の指を足下へと指し示した。
シエルと、警戒して目を細めていたグレルが、その指先を追って見れば、そこには小さな犬がいた。シエルのは、それがアルスだとすぐに分かった。見間違えだろうか、ヘクスと共に寝起きにやってきた時よりも縮んでいるように思えた。
「アルス叔父さん?」
シエルが名前を呼んで、その小さな犬のようになった体をヒョイッと軽々と持ち上げる。その後ろで、グレルが「これが、あの?」と訝しげに睨んでいた。
「まだ、小さいままなんだね?っていうか、縮んでない?」
「やっぱ、縮んでるか?なんか視線がおかしいとは思ってたんだけどな。…そうか縮んでるのかぁ…。なんでか戻んねぇんだよなぁ。呪いかねぇ?」
「大丈夫なの?」
「まぁ、大丈夫だろ。いざとなったら、知り合いにこういう事に詳しい奴がいるから聞きに行きゃぁいいし。」
あまり困っても無さそうなアルスの様子に疑問を持ったものの、シエルはまぁアルスだしと考えることをすぐに止めてしまった。
何より、そんなアルスの様子が何やら嬉しそうな雰囲気を滲ませているような気がして、アルスの言う詳しい奴という人にそんなに会いたいのかなぁ、なんて思っていた。
「それにしても、お前何処に行ったんだ?」
「どうして?」
「変な臭いするぞ?」
アルスがクンクンと鼻を動かして見せた。
「えっ?」
自分の腕を鼻に当てて、クンクンと臭いを嗅いだシエル。けれど、何の臭いもしていないように感じた。
「まぁ、人間には分かんねぇだろうがな。」
狼の鼻は敏感なんだよ。
そう言って、胸を張っているような仕草をしたが、どうみても狼じゃなくて犬だよな、はシエルだけでなくヘクスや、黙って見守っているグレルも思ったことだった。
「『氷棘の迷宮』に行ってたんだ。」
シエルの答えに、アルスは目を見開いた。
その名前を頭の中で反芻するも、どう考えてもそれは自分の支配下にあるどの迷宮でも無い名称だった。むしろ、ちょっとシエルが行くには危険なんじゃないかなぁなんて思えたりもする。アルスは内心ムウロを叱りつけていた。
「なんで、うんな所に。よくムウロが許したなぁ。あぁ、だから、いねぇんだよな。」
ムウロが居たら絶対に行かせたりはしないだろう。
慌てた頭で散々ムウロを罵った後、そうとはシエル達に悟らせないように平然とした面持ちを作り出す。だが、その口から出てくる言葉は動揺を隠せないでいた。
「それにしても『氷棘の迷宮』ね。ならこの臭いは、カフカだな。会ったのか?」
「誰にも会わなかったよ?」
シエルは思い返してみたが、真っ白な世界に誰かが居た記憶は無い。
グレルを振り返って見てみたが、グレルも首を横に振って「いなかった」と言っている。
「なら、いい。あれに会ってたら面倒なんだよな。」
「あれってカフカって人?」
「ムウロの弟だ。あいつは、一番上の兄貴に忠実な犬だからな。ディアナの行方を知っているお前の事を連れ去って、レイの所に連れていっちまうだろうよ。」
にしても、なんでそんなところに行ったんだだよ。
驚いているシエルを余所に、アルスのグレルを見上げていた。その辺りは、シエルよりもグレルに聞いた方が早いだろうと判断したのだろう。
「転移の術に失敗しました。」
一応、というようにグレルは言葉を正した。
「失敗?よく出れたなぁ。いや…」
シエルの腕の中から首を伸ばし、アルスはグレルに鼻を近づけ臭いを嗅ぐ動作をした。
「あぁ、やっぱりケイブの気配を感じるな。」
アルスがグレルの魔力から嗅ぎとったのは、自分の長男の魔力の力だった。
「あいつに細工されたんじゃねぇか?あいつの持ってる転移の魔道具は最高級品だから、やりたい放題なんだよなぁ。」
それで何度騒ぎを起こしたことか。
まるで普通の父親のように、肩を竦めてみせる。その様子を子供達が見たなら、なんと反応するだろうか。
「あいつ…」
グレルはケイブの顔を思いだし、次にあったら絶対に痛い目を見せると誓った。
「仕置きしておくか?それとも、自分でやるか?」
アルスとしても、自分の魔女を危険な目に合わされたのだ。軽くとはいえ、罰を与えなければ示しがつかない。とはいえ、ニマニマと笑うその顔からは面白そうだと思っているとしか感じられなかった。
「自分でやる。」
グレルが宣言すれば、アルスはあっさりと頷き「なら、任せる」と引いてみせた。
「まぁ、頑張れよ。俺の迷宮内なら逃げられないようにしておいてやるよ。」
いくら強力な魔道具であろうと、迷宮の主、公爵位には敵わない。アルスがそう言うのならば、ケイブは逃げる選択は許されず、グレルと対決するしかないだろう。
ありがとうございます。
グレルは、にっこりと笑顔で礼を言った。
ぐっじゅん
ずずずっ
「ああぁ…嫌な予感がするわ」
今日は人の姿で地道に穴を掘っていたケイブは、ショベルを震う手を休め、流れ出てきた鼻水をすすり手で拭った。




