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アルシード

「こっっの!バカ娘!!!」


振り絞られた怒鳴り声がビリビリと空気を揺らした。

部屋の壁際で気配を消して整列していた侍女達がビクッと身体を震わせ、その顔を青褪めている。中には体調を崩したようで床に倒れ込んでしまった者までいた。

しかし、そんな光景は怒りに湯気を立てているアルシードにはどうでもいいもので、視界に入っていたとしても捨ておいただろう。


魔王の側近、大公位『銀砕』を拝する魔狼アルシードの頭を今、支配しているのは目の前に座っている二人の少女と小さな狼に対する怒りだった。


世界に存在する闇そのものの化身である魔王。

魔王の住む城の一角に、何十にも結界が張られ厳重な護りの体勢が敷かれている離宮がある。その離宮の中には、魔王の許しを得た者しか入ることが出来ない。許可無く進入する者があれば、一族郎党、魔王による断罪を受けることになると言われていた。もっとも、そのような愚かな行動を起こす者は誰もいなかった為、それはただの噂でしかないのだが…。もしも、そのような愚か者が現れたのならば、魔王が手を下す前に、6人の大公達によって八つ裂きにされてしまうだろう。


魔王によって護られている離宮に住んでいるのは、魔王の妹君。『王蜜の魔女』と呼ばれる、まだ幼さを残す少女アリア。

離宮の主であるアリアは、怒鳴り声を上げ、人の姿をとっているにも関わらず獣のように喉をグルグルと鳴らしているアルシードの目の前で、大きく柔らかなクッションに持たれかかり身を沈めていた。

その隣では、人の齢にすれば16歳程のアリアよりも5・6歳程幼い女の子供がグッタリとクッションに倒れこみ、アリアの膝の上にはお腹を見せそうな程にグッタリとした、全身から力が抜け落ちてしまった仔犬がいる。


「アルス。五月蝿い。ディアナとムウロが休んでいるのよ?」


怒鳴るアルシードに、アリアは「もぅ」と口を尖らせ、父親の怒鳴り声に驚いて目覚めて起き上がろうとしたムウロのお腹を優しい手つきで撫でて落ち着かせている。そんな風に女の子と仔犬を庇い、アルシードに注意しているアリアだったが、その顔色は血の気が引いたもので今にも倒れてしまいそうだった。クッションに持たれかかりながらも上半身を起き上がらせていられるのは、今回問題を起こした自覚と、ディアナとムウロの姉的存在であるという自負からだった。


「自業自得だ、お前もディアナも‼ろくに結界から出れもしない身体の癖に、『毒喰』の処の腐蝕の森なんぞに行きやがって!!あと少し、助けが遅かったらヤバかったんだからな‼」

その言葉には過分な脅しも含まれている。

只の人間と同じ、瘴気に晒され続ければ命が危うい魔女はいえ、魔王の妹としてその加護を存分に与えられているアリアを害することは難しい。それがアルシードの同僚である『毒喰大公』が造り出した毒に満たされた腐食の森であろうと、闇に属するモノである限り、本当にアリアを危険に陥れさせることは出来ない。無茶ばかり巻き起こすアリアを甘やかさない為に些細な危機は許容されているが、いざとなれば魔王直々に粛清されることになるだろう。

ぐったりと寝込んでいるディアナも同じようなものだ。父親が人間、母親が吸血鬼族の女王にして『夜麗大公』というダンピールであるディアナは、魔族が住み瘴気が溢れ帰る領域で普通に生活することは出来ない。母の城で暮らしていても大半を寝台の中で過ごしていたディアナは、幼くしてアリアの離宮へ母によって預けられた。魔王の結界によって瘴気や危険に晒されない離宮で、境遇の近いアリアに妹同然に可愛がられ暮らしている。瘴気に弱いが、娘を溺愛している母親によって生まれてからずっと、魔王や大公達の血を食事として与えられていた為、いざと成れば魔王たちの血から取り込んだ力によって危機を回避することが出来る。母親から引き継いだ"血から能力を取り込む"という特性はディアナの心強い味方だったが、特性を発揮すると、その半分は人である身体を蝕んでしまう諸刃の剣。それでも、その力は下手すれば伯爵位くらいならば倒せる程には強いものだった。


「だいたい、ムウロ!何の為にお前を二人につけていたと思うんだ!」


アルシードは、仔犬のような姿でアリアの膝の上に寝転んでいる息子を睨みつけた。

まだ生まれて数年だが、『銀砕大公』であるアルシードと『夜麗大公』ネージュの間に生まれた息子だ。その実力はすでに爵位を持っていても可笑しくない。魔王にして、将来有望だと興味を持たれている程だ。だからこそ、アリアとディアナの護衛として、そして二人が無茶を巻き起こさないようにする留め役として、アルシードによって離宮に放り置かれていた。

それだというのに、今回ムウロはアリアやディアナを止めることも出来ずに、一緒になって腐食の森で毒を吸い込み危険に晒されていたのだ。

期待を裏切られたアルシードの怒りは大きかった。


「アル…」

「…だって…だって…」

幼いムウロに矛先が向けられ、アリアはアルシードを止めようとした。

けれど、小さなムウロの呟きが耳に入り、アリアが使い始めたアルシードの愛称を途中で止めた。アルシードにもムウロの声が届いたようで怒鳴ることを止め、腕を伸ばしてアリアの膝の上からムウロの力の入っていない身体を首根っこを掴み持ち上げた。


「うぇっ?な、泣いてんのか?」


目の前まで持ち上げたムウロは、その大きな目からボロボロと涙を漏らしていた。

幼いとはいえ、大公同士の間に生まれた子供としての矜持を持ち合わせているムウロは滅多に泣くことはない。親とはいえ人前で弱音を吐くこともなかった。

アルシードも、これまで散々ちょっかいをかけたり、酷い仕打ちをしてきたことに心当たりがあったが、それでもムウロが泣いているのを見るのは赤ん坊以来だった。


動揺する父親など目にも入らないくらいに涙を零し続けるムウロ。

嗚咽を漏らしながら、ムウロの口から声が吐き出された。その声はあまりに痛ましく、そして大きかった為に部屋だけでなく離宮中に響き渡ったと、成長した後にムウロは聞かされた。


「だって、姫も姉様も庭に行くだけだって!なのに、なんで庭を散歩していただけで外に出るの?なんで、道を歩いていただけで変な森の中に入ってるの?なんで、腐った竜が空から降りてくるの?なんで、竜に咥えられて背中に乗せられちゃうの?なんで、変な匂いのする森に降ろされるの???」


びぇぇ ウック ケホッ びえぇぇぇぇ


嗚咽しながら泣き喚くムウロ。

その言葉に、壁際に並びアルシードの怒りによって撒き散らされた重圧に耐えていた侍女達も、離宮のあちらこちらで聞いてしまった離宮の使用人たちも同情を覚えた。

離宮は、瘴気を阻む結界によって囲われている。

結界は瘴気や悪意ある魔力を阻むよう設定され、人の出入りに関しては魔王の許可を得ているものは出入り自由となっている。その為、万が一を考え警備は腕の覚えがあるものたちが厳しい目を巡らせていた。

ムウロの叫びにある庭とは、離宮の中庭の事だろう。選び抜かれた小人族の庭師によって整えられた中庭は、色とりどりの花々と様々な形に剪定された植木が年中目を楽しませてくれる、アリアとディアナのお気に入りの場所だった。もちろん、外から潜り込むものがいないように、外から容易に出入り出来ないようになっているし、警備の目も厳しい。

フラフラと歩いていて外に出れるなど、あるわけがない。けれど、そこはアリア。何をしていなくても厄介事に巻き込まれてしまう運命にあるようで、これまで破壊や混沌をもたらす者である魔王でさえ頭を抱える事態を幾度となく巻き起こしている。そんな彼女だからこそ、方法は分からないが無意識の内に離宮の外に出てしまったとしても不思議ではなかった。そして、その後に続くムウロの言葉も、アリアだったら可笑しくも不思議でもないと、使用人たちは熱くなった目頭を抑えた。


ゲホッ ゲホッ

大声で泣き過ぎたせいだろう、ムウロの呼吸が怪しくなってきた。

ムウロの言葉で、腐食の森で倒れているところを発見し保護したという『毒喰大公』の説明までの過程を知ったアルシードは顔を引き攣らせた。そして、確かにムウロは悪くないかも知れないと思い至り、息を喉に詰まらせ苦しみ始めた息子をしっかりと腕に抱き、その背中をポンポンと叩く。普段、そのような親らしい事などしたことが無い為、その手つきは怪しげなものだったが、ムウロは段々と落ち着きを取り戻してきたように思えた。


「妾の子を、泣かせるでない!!!」


もう少しでムウロが泣き止むだろう。そう思い、ホッと息をついたアルシードは慣れないことをしたせいで気づくことが出来なかった。

背後から忍び寄った女の気配に。

そして、己の腹部に向かって迫る、女の勢いのついた回し蹴りに。

「ガハッ」

アルシードは女の切り込みの入ったドレスから飛び出た足によって繰り出された蹴りによって、その巨体を宙を浮き、床に膝をつくこととなった。

普段であれば、このような醜態を晒すことはない。しかし、気配に一切気づいていなかったこともあり油断していた。

アルシードが蹴られた衝撃によって、その腕から放り出されたムウロは驚きによって涙を引っ込めた。そして、床に着地して父親を蹴りつけた存在を見上げて目を丸めた。

「ッ…ネージュ…てめぇ…」

「なんじゃ。なんぞ、文句でも?」

腰に肩手を置き、片手で真っ白な腰まである長い髪を背中に流し、豊満な胸をより一層大きく見えるよう胸を張った美女は、ディアナとムウロの母親である『夜麗大公』ネージュだった。

ネージュは腹を押さえ呻き声をあげるアルシードを鼻で笑った。

「は、は、うえ?」

自領の居城にいる筈の母の姿に、ムウロは目を見開いた。

人の血を食す吸血鬼族は、人間といざこざを起こすことが多い種族の一つだった。最近も、人間と大きな戦いが起こり、その処理の為に母は居城で忙しく立ち回っていると聞いていた。

「ムウロ。そなた、男のくせにピーピー泣くでないわ。」

「…ごめんなさい。」

母の叱責を受け、シュンと落ち込んだムウロは視線を落とし、床を見つめた。

そんな幼い息子の頭に、ネージュは手を伸ばす。

「じゃが、『毒喰』より聞いておる。フラフラだというのに、最後まで二人を護ろうとしていたそうじゃな。良くやった。それでこそ、妾の息子じゃ。」

ガシガシと、真っ白でほっそりとした手では想像もつかない乱暴な手つきでムウロの頭を撫でるネージュ。ネージュの手が離れた後、自分の頭に手をやったムウロの顔は真っ赤に染まり照れ臭そうな笑顔が浮かんでいた。

「ネージュ、ごめんなさい。」

ネージュが息子から目を上げれば、アリアがネージュに向かい頭を下げている。

ネージュが、そんなアリアの顔に手を沿え、顔を上げさせた。触れた肌は冷たく、アリアの顔色は悪い。まったく、とネージュは呟く。アリアもディアナも、しばらくの間寝込むことになりそうだと溜息を吐く。

「本当じゃ。じゃが、妾の子らもそなたも籠の鳥では無い。外を羽ばたく事を誰が止めれようか。今回のように最終的に何事も無くいてくれればそれで良いと思う。」

人間達が住む領域でなら、アリアもディアナも普通に生活することは出来るだろう。けれど、アリアの兄である魔王も、ディアナの母であるネージュも許すことは出来なかった。

「そして、それを心配して心を痛めるものが居ることを忘れずにいておくれ。」

ネージュは、痛む腹を押さえたまま床に胡坐をかいて座り込み、ふて腐れた顔をしているアルシードの姿をアリアに見せる。ここで間を取り持っておかないと、後でネチネチと五月蝿い男だと分かってのことだった。

「…アルス、ごめんなさい。」

「…今度からは、離宮から出てしまった時点で俺でもいいし、誰でもいいから、呼んでくれ。そしたら、何かあってもすぐに駆けつけられる。」

ふて腐れていると示すように、視線をアリアから逸らしたままで淡々と口に出すアルシード。その様子に、アリアは少しだけ首を傾げたが、アルシードが外に出掛けることをアルシードや従者達と一緒ならと許してくれたという事を理解した。

「うん。ちゃんと呼ぶわ。」

約束する。

アリアの顔に、満面の笑みが浮かんだ。





「夢か。」


アルスは目を覚ました。

そこは、魔界にある『銀砕大公』の居城の最奥。

大きな部屋だった。ここは、アルスが本性である巨大な狼の姿になって眠る寝室だった。ここ十数年は、この寝室に身体を眠らせ、地上に送り込んだ人型に魂の欠片を潜り込ませミール村に訪れることが日課のようになっていた。

アルスが無防備になる場所な為、この寝室に入ることが出来るのはムウロやケイブといった極少数だけになっている。


食堂にグレルとロゼが来たという知らせが舞い込んだ後、アルスは人型を離れ、魔界に意識を戻した。なにやら、自分が暴走してしまうような予感が過ぎったからだった。

そして、戻った後にアルスはそのまま眠りについた。


そして見たのが、大戦が起こるずっと前の記憶だった。まだ、勇者が勇者と名乗り始める前の頃。アルスという呼び方をアリアだけがしていた、一番幸せだったと思う頃の出来事だった。


夢は本当に懐かしく。

アルスは大戦で多くの物を失った。

魔王。アリア。友であった『魔女の従者』。ネージュ。


あの頃に戻りたい、と思う。


夢見た思い出に陶酔していたアルスが、ゆっくりと瞼を上げた。

その目に映し出されたのは、壁にかけられた一つの姿見。

アルスが使うわけもない姿見は、アリアが使っていたものだった。ろくに外に出る事も出来なかったアリアの為に魔王が用意した、外の光景を覗き見る事が出来る魔道具。望めば世界中を映し出せる。けれど、大戦から後どれだけアルスが望んでも何も映しはしなかった。これは、マリアの魔力にだけ反応するように造られたものだったからだ。


その姿見がうっすらと映像を映し出していく。


そこに映ったものは、小箱の中に入った一つの鍵。


その鍵から、アリアの魔力を感じた。

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