絵本
「これが依頼の絵本です。」
気を取り直したシエルは、アイオロスに絵本を手渡した。
その後ろで、ムウロがまだ言い訳をしたそうな顔をしているのだが、シエルもアイオロスも見ないことにしていた。
『人に伝わる神話が描かれた絵本 『銀砕の迷宮』第四階層ケンタウルスの村 アイオロス』
「ここにサインをお願いします。」
「はい。ここですね。」
絵本を受け取ったアイオロスは、羊皮紙のシエルが指し示した場所にサインした。
「ありがとうございます。」
「こちらこそ、ありがとう。人間の本も、地上に行く子達に頼めば手に入れることも出来るけど、流石に友好種族とはいえ神殿に行くことは出来ないからね。手に入れれたとしても、神殿で売られているものなんて触れたら何があるか分からないから。」
アイオロスは苦笑する。
確かに、浄化の力によって守られている神殿に、友好種族とはいえ魔族が入れるわけが無い。入れたとしても、排除されても文句が言えないだろう。そして、そんな神殿が売り出している物を触っても魔族には影響がある可能性がある。
アイオロスは、自分の趣味の為に若いケンタウルス達を犠牲にするつもりなど無かった。それでも、何時かは手に入れたいと思っていた、人の描いた神話。神殿以外でも売られているだろうが、神話を管理する神殿が直接作り、ものを知らない子供に教えている話が読みたいとアイオロスは思っていた。
そんな時に知らされた、頼んだものを届けてくれる、人間の娘の話。アイオロスはこれ幸いと、依頼を出す魔道具を手に取ったのだった。
「ようやく手に入れられたよ。」
皺だらけの顔に子供のような笑顔を浮かべて喜ぶアイオロス。
そして、すぐさまアイオロスは絵本のページを捲り始めた。
「そうなったら、しばらく戻ってこないよ。」
「そうなの?」
「そうなの。無類の本好きでね。家の中を見てみる?」
「うん。」
ムウロの言う通り、アイオロスはピクリとも動かず、立ったまま絵本の内容を見入っている。
なので、シエルはムウロの提案にのり、アイオロスの家の中に入ってみた。
家の中は、先程窓から覗いた通り、本で溢れかえっていた。
本棚も壁に沿って幾つも立て掛けられているのだが、その本棚も本を横置きにして全ての棚が埋まり、本棚に入りきらなかった本が床に所狭しと積み上げられている。今にも崩れそうな本の塔の中には、本そのものがボロボロで崩れてしまいそうなものも多く、シエルは恐ろしくて玄関から奥に入っていくことが出来ない。この中で、シエルの何倍も大きく場所をとる体のアイオロスはどうやって生活しているのか。シエルには想像も出来なかった。
「ねぇねぇ」
変わらないなぁと遠い目をしているムウロの腕を突き、浮かんできた疑問を聞いた。
「僕も謎なんだよね。本人は普通に生活出来るって言うんだけど」
聞かれたムウロも首を捻っていた。
「あっちの扉の奥は寝室になってるんだけど、あっちは多分まだマシだろうから、あっちで生活してるんじゃないかな?」
「多分で、マシ、なの?」
「…うん。前に来た時も寝室はマシだったから…」
扉の向こうは見ない方がいい。
シエルとムウロは考えた。
「これだけ本があったら、ハグロ先生が喜びそう。あと、オグニおじさんも。ホグスおじいちゃんも、かな?」
自称学者に、趣味の為だと良く本を読んでいる男、そして名の有る魔術師。これだけの本があったら、彼等は喜んで時間を忘れて読み耽るのではないだろうか。そして、飲み食いを忘れて倒れるか、いい加減にしなさいと叱られるか。
シエルは、本当にそうなりそうな恐ろしい予想を思い浮かべてた。
「村に帰ったら話て見れば?どんな本が読みたいか聞いて、ここに来てアイオロスに聞けば貸して貰えるよ。」
「でも、夢中になり過ぎて大変な事になりそうだよ。特に、オグニおじさんはメアリさんが泣いて拗ねちゃうと思う。」
「だから、連れてくるんじゃなくて、届けてあげるんだよ。そしたら、一回一冊って出来るし、シエルの仕事も出来る。」
ポンッと手を打つ音が家の中に響いた。その響きだけで、シエルの近くにあった不安定な本の塔が少し揺れたが、シエルはもう気にもしていない。
「そっか。うん、そうしてみる。」
シエルはお仕事が出来る。そして、今まで色々と世話になり、迷惑をかけてきた村人に喜んで貰えるかも知れないことを心の底から喜んだ。
「ふむ。面白いものですね。人が語り継ぐ大戦と魔界で語られる大戦には多くの差異がある。これは世代を超える事での忘却なのか、それとも故意なのか。研究をしても面白いかも知れません。」
家の中から戻ると、丁度アイオロスが絵本を読み終わった所だった。
アイオロスが呟いた言葉に、シエルは首を傾げた。
「そんなに違うの?」
けれど、アイオロスはまだ思考の中にいて、シエルの疑問に答えてはくれない。
アイオロスに聞いても意味が無いと分かり、シエルはムウロに顔を向けた。
「うん。なかなか、読んでいて面白いよ。人に都合の良い様に書き換えられていて。」
人のいいアイオロスは、忘却か故意かと悩んでいるようんだが、ムウロはただ人が人の為に話を書き換え伝えているだけだと思っている。
「へぇ。」
あまり神話に興味が無かったシエルは、詳しい内容を街の神殿で初めて知ったという体たらくだった。なので、神話が正しいとか間違っているという事に興味は無い。ただ、ムウロが面白いと思う書き換えに興味を抱いた。
教えて、と目で訴えるシエル。
ムウロはそれに答え、思考の淵にいるアイオロスの手の中から絵本を抜き出し、それを開いてシエルに説明を始めた。
「まぁ、一番の違いは『聖女』と『聖騎士』だね。」
「えっ、そこ?」
「そう、そこ。ここで僕はまず笑ったよ。」
ムウロは昔、人の町で遊んでいた時に子供に読み聞かせている老婆の話を盗み聞きしたのだと言う。その時、子供達が真剣に聞いていて静かな中で、笑うところがない戦いの場面で笑い声を出してしまい、不審な視線にさらされてしまった。あの時は困ったとムウロは笑った。
「この『聖女』ってね、本当は『魔女大公』っていう人なんだよ。」
「え?」
「大公位を持つ魔族は父上を含めて、現在6人いるんだ。彼女『魔女大公』はそれに数えられない、7人目の大公。『魔女大公』は大戦後に出来た魔界には居たことがないから、領地も持ってないね。」
「どうして?」
これって、人間の私が聞いてもいい事なのかな?
そんな事も思ったが、シエルは好奇心を抑えることが出来なかった。
「『魔女大公』は魔王陛下を裏切り、勇者の側についたんだ。この、勇者の妻っていうのは本当。彼女は勇者を愛して、勇者の妻になった。」
ムウロがページを捲り、傷ついて倒れた勇者を抱き起こす『聖女』の絵を指差した。
「それって、いいの?」
ただ淡々と、そして様々な場面の絵を見ながら笑って話すムウロの様子に、シエルは疑問を覚えた。魔王を、側近である大公が裏切って、その末に魔王が死に、魔族は魔界に閉じ込められた。そんな事をすれば、大公の一人だとは言え絶対に許される訳がないと思ったのだ。
それに、魔族を倒すことが使命だといえる勇者が魔族を妻にするのも、いいのだろうか。
「『魔女大公』は特別だから。」
ムウロは、ただ笑うだけだった。その顔に、それ以外の感情は無いようだ。




