爵位
ケンタウルス族の寿命は150年程。それだというのに、千年以上昔に起こった人魔大戦を見ていたというムウロが幼い頃に先生をしていた。
シエルはあれ?と頭を捻り、ムウロに尋ねた。
「アイオロスは爵位持ちだからね。」
そんな事を聞くシエルにムウロが答える。
ムウロにとっては当たり前のことだったからサラッと口にしたが、そういえば人間には知られていないこともあったなとシエルの様子を窺う。
すると、やっぱり頭を抱えているシエルがいた。
魔族にとっての爵位は、人間たちが考えている土地の所有や身分を表すものでは無い。その事を人の世界では語り継がれていないと知った時、ムウロは呆れかえった覚えがあった。
「えっとアイオロスさんが爵位持ちで、だから長生きで…」
「一番下の男爵位だけどね。大戦の時は、人側について戦って随分と梃子摺らせてくれたって兄上達が言ってたよ。彼が人側についていたから、ケンタウルス族は人とも友好的な交流が出来ているんだ。」
ムウロの話を聞き、シエルは二人の様子を笑顔で見守っていたアイオロスの顔を見上げた。好々爺とした優しそうなケンタウルスの老人の姿からは、世界を二分した大戦で、ムウロの兄達と梃子摺らせる程の戦いを繰り広げた様子は窺い知れない。
「なんか、私って魔族の凄い人にばっかり出会ってる気がする。」
勘違いじゃないよねと呟くシエルの脳裏には、ムウロにイル、ディアナ、そしてアイオロスが思い浮かぶ。爵位持ちに大公の娘。他にも出会っているが、それは彼等の付属のようなものだから、シエルの中では数に数えられていない。まだ冒険を始めたばかりだが、確立としては100%なんじゃないだろうか。
「…一応忘れてそうだから言っておくけど、その凄い人の一番上にいるのは『銀砕大公』である父上だからね。最初に出会った魔族が大公っていう方が珍しいから。」
シエルなら有り得るとムウロが言った。小さい声でだったが、シエルが指を折り出会った順番に名前を呼んでいる様子を見て、アルスの名前が出てこなかった事にムウロは気づいてしまった。
「…そういえば、そうだった。」
やっぱり。ムウロは頭に手を置いた。魔女に存在や立場を忘れられる主人なんて、ムウロは肩を震わせ、笑い出すのを必死に耐えた。
「でも、アルスおじさんって、そんな感じじゃないもん。」
笑いを堪えているのだとは露知らず、シエルはムウロが父親であるアルスを蔑ろにされた事にショックを受けたのだと、その姿を見て思ってしまった。
慌てて、アルスが身分とかなど関係無い気安い相手なのだと伝えようとした。しかし、その言葉は傍から聞いていると素っ気無いもののように聞こえるもので、ムウロはシエルの言いたいことを理解しながらも、再び込み上げてくる笑いを我慢することに必死になっていた。
けれど、堪えることにも限界が来て、ムウロは思いっきり噴出した。それによってムウロが笑いを堪えていただけだと気づいたシエルは、口を尖らせ「気を使って損した」と怒ってみせた。
「大公を"おじさん"ですか。それに、ムウロ様を与えるとは…」
兄妹のような二人の様子を、ニコニコと笑い黙って見ていたアイオロスが口を開いた。
その言葉は、涙を浮かべながら笑いを止めようとしていたムウロにも届いた。
「言っておくけど、シエルに同行したのは父上の命令とかじゃないからね。僕は僕の意思でシエルに同行してるんだ。まぁ、父上がシエルに過保護なのは確かだけど。」
「そうなのですか。あの方が魔女をお作りになった事も驚きでしたが、そうですか…」
「なんか、アルスおじさんって皆の話を聞いてると別人みたい。」
シエルの言葉に、ムウロもアイオロスも声を詰まらせた。
ムウロは、シエルの知るアルスの様子を知るからこそ、本来のアルスの姿を教えたとしても信じないだろうと思ったから。
アイオロスは、シエルの知るアルスというものを知らない事、そして何かの思惑があっての事だとしたら、それを邪魔された時のアルスの怒りを考えた。アイオロスの知る『銀砕大公』は、自分の邪魔をする相手を決して許しはしない男だった。
反応が返してこないムウロとアイオロスの様子に、返事のしにくい事を聞いてしまったのかなと察する事が出来たシエル。何か他の話題に変えないと、シエルは頭を絞った。
「…あっ。それで、爵位持ちだと長生き出来るのって、どうしてなの?」
説明が終わっていなかった疑問を思い出し、それを聞くことにした。
「あぁ、そういえばそんな話だったっけ。えっとね。」
魔族の爵位は魔王が与えたもの。
力の強い魔族や、魔王によって有益だと認められた魔族に与えられた爵位は、その魔族の実力や魔王にとっての重要性が示されていた。
魔王は爵位を与える時、それと共に自分の力の欠片を魔族に与えた。
魔王の力の欠片を手にした爵位持ちは、それまで以上の、そもそもの種を超えた力、種としての限界を超えた長い命と再生の力を手に入れた。
これは、魔族を支配するに当たって、その煩わしい雑務の多くを爵位持ちに任せようという魔王の考えからだった。
爵位と、それに付随する力は、元々所持する前任者を殺したものが引き継ぐ事が出来た。これは、より有能なものを求めた為のシステムだった。
それは、大戦後も消えることなく機能し続けている。
その為、大戦以前に爵位を与えられた魔族たちは殺されていなければ生き続けることが出来ている。もちろん、多くの爵位持ちが何度も代替わりを繰り返している。大戦以前からの所持者は本当に数が少ない。
「じゃあ、ムウさんも大戦の後に頑張って爵位を手に入れたんだ。」
「そう。すっごく頑張ったんだよ、僕。お前が爵位持っていた方が何かと便利だからって兄上にせっつかれてさ。父上まで便乗してくるし。」
ムウロの説明が終わり、シエルは思ったことをそのまま口に出す。殺し殺されの爵位争奪の戦いを、頑張ったんだと言われ、やっぱりシエルって凄いとムウロは笑う。
「あのやんちゃだったムウロ様が年下に教えを施す姿を見ることが出来るとは。長生きはするものですね。姫やディアナ様にも見せて差し上げたい。」
零れ出た涙を拭う仕草をするアイオロス。
その姿に、ムウロは顔を真っ赤に染めて怒鳴りつけた。
「僕はそこまでやんちゃじゃなかった筈だよ。」
「えぇ、兄君や姉君、父君に比べれば大人しい方でしたね。ですが、他の大公方の領土に忍び込み戦争の種を蒔いたりと一度、事を起こすととんでもない事を仕出かす事は何度かありましたよね。普段は本当に大人しい子だったのですが…」
「ムウさん…」
「いや、あのね、シエル。何度っていっても二回か三回の事だし、本当に戦争になった事なんて無いんだからね。先に手を出してきたのも向こうだったし。」
ムウロは、信じられないという目になったシエルに必死を言い訳を繰り返す。
「そうですね。ディアナ様を愚弄されたというのが理由でしたか。」
「そうそう。僕がした仕返しなんて本当に軽いものだよ。母上や兄上が知ったら血の海になっていたんだし。」
「だからといって、母君や父君が大切にしていた物を相手の家に仕込むのはどうかと思いましたがね。」
大戦後の情勢不安の中での出来事で、下手をしたら本当に魔界全体を巻き込む戦争になっていた可能性があった。
冒険者にとって日常茶飯事の殺し殺し合いは何とも思わないシエルだったが、大きな戦争の可能性と聞かされるとドン引きしてしまった。




