ケンタウルスの村
ケンタウルスの若者達と別れてからは、シエル達は森の中を順調なに進んでいった。
背後に広がる森の何処かから、雄叫びや鳴き声、悲鳴に破壊音が風に乗って聞こえてきたのだが、シエルにはどうすることも出来ない事だったので、放っておくしかない。一応、シエルはムウロの顔を下から覗き見てみたのだが、ムウロは完全に我関せずで前だけを見ていた。
「あっ、見えてきたよ。」
森を抜けたところに、少し大きな家が建ち並ぶ村があった。
二人が村の中に入ると、家の外にいたケンタウルス達がギョッとした顔でシエルとムウロを凝視してきた。
「えっと、すみません。」
「あっ、あぁ。」
二人を凝視して立ち止まっているケンタウルス達の中で、一番近くにいた男にシエルは駆け寄り、声をかけた。
ムウロは一歩も動く事なく、ただ微笑みを浮かべてシエルの様子を見守っている。
「アイオロスさんのお家は何処ですか?」
シエルは笑顔のまま首を傾げ、絵本を届ける先であるアイオロスの家を尋ねた。
迷宮の中を歩いてきたとは思えない姿の人間の少女に驚いていた男は、その少女の口から出てきた名前に益々驚きを深くした。
「あ、アイオロスって言ったのか?」
「はいっ!」
数秒の硬直の後に、ようやく擦れた声を搾り出した男の姿に、シエルはホッと笑みを深めた。返事が返ってこなかったことから、アイオロスという人に心当たりが無いのではと思ってしまったのだ。
「人間が、長老に何の用だ?」
時々、名を上げたいという冒険者が挑んでくることもあった。
ケンタウルスにはギルドに依頼が出される程悪さを仕出かす者はいない。それは胸を張って誇れることだったが、血の気が多く勇猛果敢で迷宮に繰り出して行く若者たちがおり、そういった若者たちと冒険者がトラブルを起こすことはあった。そういった関係で村にも冒険者が押し掛けて来ることもあったが、目の前にいる赤い頭巾の少女はどう見ても冒険者ではない。こういった姿の冒険者も見かけた事はあるにはあるのだが、そういった者でも戦いを経験している者が持つ特有の雰囲気というものが感じられるのだが、この少女にはそれがない。シエルの前に立つケンタウルスの男は頭がグルグルと回り、首を捻った。
「私は、お届け物係のシエルって言います。アイオロスさんにお届けものです。」
「お届け物係。」
あぁ、と声が上がった。
それは、シエルの目の前の男だったり、あちらこちらから様子を窺っていたケンタウロス達などからだった。どうやら、この村にもちゃんとアルスから知らせが行っていたようだ。
「おいっ、長老に知らせろ!」
誰かが駆けて行く音がシエルの耳に届いた。
「君の話は、依頼をする魔道具が届いた時に聞いている。長老の所に案内しよう。」
落ち着きを取り戻した男が案内を買って出た。
「ありがとうございます。」
シエルが素直に頭を下げ、そして後ろで大人しく待っていたムウロを振り返り、小走りでムウロに近づくと「行こう」と笑顔を浮かべてムウロの手を取った。エルフの村の時のように、突然村まで辿り着いたり、なし崩しに説明をすることになったりといった事もなく、普通に冒険っぽい事をして辿り着いて、ちゃんと自己紹介をして受け入れてもらえた。それだけでシエルの機嫌は上り坂だった。
シエルが手を取ったムウロを見て、ケンタウルス達は緊張を露にしていた。
彼等は、ムウロの正体がしっかりと分かっている。
魔界にある父親の居城や母親の居城、地上に姿を見せる事はあっても、迷宮内を意味も無く出歩いている事など見たことも聞いたことも無い。ましてや、人間の少女と仲良く一緒になど。
「こっちだ」
そう言って背を向けて歩き出したものの、男は内心ビクビクと怯えていた。
男はそれを隠しているつもりだったが、後ろにいたシエルは背後から見て男の様子がおかしい事に気がついていた。
「どうしたんですか?」
様子がおかしいことには気がついたが、やはりそこはシエル。
その理由には気づいてはいなかった。
「な、何がだ?」
何がと聞き返されても、シエルには答えることが出来なかった。様子がおかしいとは分かっても、それがどうしてなのかは分からない。
「えっと…」
「僕達が突然来たから驚いてるだけだよ。」
どう言ったらいいかと悩むシエルに、ムウロが声をかけた。
その目はシエルにではなく、前を歩く男へと、そうだよね、と語りかけていた。
「あぁ。この村に人間が訪ねてくるなんて滅多に無いことだから」
振り返っていた男は、ムウロの言外の言葉を察し、その言葉に乗りかかることにした。
村の外れにある、これまで眺めてきた村の家々よりも少し大きな家にシエル達は案内された。
「長老!」
男がドアを叩くと、先に知らせが来ていたことで分かっていたらしく、アイオロスはすぐに家の中から出てきた。上半身の人の頭には白いものが目立ち、深く刻まれた皺が多く見える。筋肉がついている腕も、来る途中で見かけた他のケンタウロスの男のそれよりも細く見え、皺が目立つ。
馬の体となっている下半身も、よく見れば毛色が薄らいでいる。
「こんにちは。」
家から出てきたアイオロスは、好々爺とした面持ちににっこりと笑みを浮かべ、シエルとムウロに笑いかけた。
「こんにちは!お届け物係のシエルです。お届け物を持って来ました。」
「そうですか、ご苦労様です。私はアイオロス。ありがとうございました。」
ちょっと待ってねと笑い、アイオロスは家の中に一度戻ると、中から二脚の椅子を持ち出してきた。それを家の前に置くいた。長い事使われていなかったようで、外の光の下に曝け出された椅子には埃が積もっているのが見て取れる。その事に気がついたアイオロスは、すまないねと家の中から布を持ち出し、埃を拭き取った。そして、綺麗になった椅子を確認すると、シエルとムウロに座るように勧めた。
「悪いね。椅子を必要とする客なんて、何十年ぶりだから。」
二人が椅子に座る。アイオロスは苦笑を浮かべて、布を家の中へ放り投げた。
「相変わらず、ですね。」
ムウロは溜息をつく。
知り合いなの、と驚くシエルに、家の窓から中を覗いてみなよとムウロは勧めた。
ムウロに言われたシエルは、素直にすぐ傍にあった窓を背伸びをして覗き込む。
そして、「うわぁ」という呆れ声を漏らした。
シエルが見た光景。
それは、薄暗い家の中を照らす一つのランプ。そして、その光に映し出された壁や床などが見えなくなる程に敷き詰め、詰まれた本の数々だった。本が置かれていない場所には、生活雑貨などが無造作に放り出されている。
いわゆる、片付けられていない『汚部屋』だった。
それをムウロに伝える。
ムウロは椅子に座ったまま、呆れた顔をアイオロスに向けていた。
「この人、幼い頃の先生なんだよ。昔っから、部屋を片付けられない上に、本を集めるだけ集める困った人だったんだ。」
数十年前に会いに来た時に掃除して注意しておいたのに。そう言って、ムウロはアイオロスを睨みつける。アイオロスは困ったように頭を掻いていた。
「あれ?ケンタウルスさんなのに、そんなに長生きなの?」
シエルが知っている知識の中に、ケンタウルス族の寿命は150歳程だとあった筈だった。




