大好きなものは
妹に母、そして一応という言葉が付いてはいるものの義父、ロゼが気に掛けるような忠告が向けられたのはその三人だけ。
なら、二人の兄達や、兄のように思っているムウロは?大変な事が起こるというのなら、これまで出会ってきた人達は?
ロゼは一体、何を言っているの?何が起こるというのか…。
詳しくは語ってはくれない姉を、シエルはしっかりと見定めようと強い意志を目に宿して見上げる。
「あら、勿論!」
どうしてそんな事を言うのか、と心底不思議に思っているのだという顔に満面の笑顔を浮かべ、ロゼはシエルの投げかけた疑問に答えを示す。
「勿論、兄さんだって、グレルだって、大切な家族だもの。二人にも家で待っていて欲しいとは思ってるのよ?でも、あの二人は絶対に、待っててなんてくれない」
困ったものだと肩を竦めてみせる、ロゼ。
「これからの世界が、あの二人は放っておいてはくれない。私と同じ。でも、それは仕方の無いことなのよね。私と同じように、あの二人にもそうなる理由と力があるんだから。でも、シエルと母さんは違うから」
ロゼの言葉はシエルには理解し難いものだった。
彼女がまるで当たり前のこと、知っていて当然の常識を語るかのように口にしていくそれは、シエルには何を言っているのか、何を指示しているのかも到底考え付くことも出来ないもの。
「兄さん達なら何処に居ても大丈夫だって思える力がある。何処に居ても最後の最後まで消えていなくなったりしないって分かる」
私はね、と笑顔を浮かべていたロゼの表情が一変した。その表情が示しているロゼの感情をシエルが覚るよりも先に、ロゼの両腕がシエルの体を優しく包み込み、ロゼの顔はシエルからは見る事の出来ない耳横へ。
「不安なの。シエルや母さんが怪我をしたりしないか、危険な目にあって苦しむんじゃないのか。これから起こる事を知ってしまった時に、まず真っ先に思ったのはそんな事だった」
「お姉ちゃん」
ロゼが何を考えているのかは分からない。察することも出来ない。
だけど、これだけは分かった。ロゼが本当に、心の底からシエルやへクスを心配して、案じているのだということだけは。
「大丈夫。村に、家に居てさえいてくれれば、何も心配することも怖がることもないから」
「おじさんが、護ってくれるから?」
世界を巻き込むような、シリウスやグレルが頑張らねばならない、何かが起こる。ロゼは予言のようにそう言っているのに、家、村だけは大丈夫だから籠っていろと言う。
どうして、そう言い切れるのか。
シエルに思い浮かべることが出来る理由はただ一つ。そこが『銀砕大公』の迷宮の中、彼の魔狼の庇護下にあるから、というものだけだ。
だから、そんなことを言うのだろうか。
「いいえ?」
ふふふ。
だが、シエルが口にした予想を、ロゼは艶やかな様子の笑い声であっさりと否定する。
「私がシエルと母さんが大好きだから、だよ」
やっぱりロゼの言葉を理解することがシエルには出来なかった。
でも、シエルには理解出来なかったそれを理解することが出来る人は居た。
「お前が護るということか」
「あら、兄さん」
「お兄ちゃん」
仕事が終わって家に帰ってきた。
その一部分だけを切り取るだけならそんな光景にしか見えない様子で、シリウスがロゼとシエルの二人しかいなかった個室へと入ってきた。ただし、ドアを開けてではない。個室となっている場所から舞台を見下ろす為の遮るものの何もない窓から、シリウスは気負う様子一つなく簡単にあっさり入ってきた。
出入り口として使われるなど想定外である其処から、どうやって入ってきたのか。
不思議に思ったシエルに答えることはなく、シリウスは硬めた表情でロゼを凝視していた。
「別に鍵なんてかけてないのに。そんなところから入ってきて、せっかくの劇を邪魔しちゃ駄目よ」
「何があるか分からないからな、用心はしておいた方がいいだろ」
手に抜き身の剣を持っている事を除けば、シリウスとロゼのその声や言葉は何というでもない、普通の日常でのもののようにも聞こえる。
「そう?兄さんがそっちに居るのなら、私はこっちから出て行けばいいだけだと思うけど」
個室の唯一の出入り口であるドアはロゼの背後。そのドアを振り返ることなく指さしたロゼの言う通り
シリウスから目を反らすことなく数歩後退りしただけで、ロゼは簡単に逃げ出せてしまうだろう。
ニコニコと逃げることを宣言したも同然のロゼに、シリウスはたんたんと慌てる様子も見せずに剣を持ち上げる。
「そちらにもしっかりと、ムウロを配している」
ドアを潜って逃げ出しても、その外にはムウロが待ち構えているのだと。
地上と魔界を自在に出入りしている事からも大半の力は封じていることは確かではあろうが、『伯爵』位を持っている両親に『大公』を持つ魔狼ムウロであれば、ロゼといえど簡単にすり抜けることは難しい。
「ロゼ、大人しく縛につけ」
悪いようにはならない。
兄に剣を向けられ、逃げ場も塞がれている。そんな状況であることを理解していないのか、ロゼは余裕の笑みを崩すことは一切無かった。




