姉と妹
「聖女!どこへ!?」
「あの人が成そうとした事を、私が完全なものにしなくてはいけません」
舞台の上に、凛として立つ黒髪の女性。それを膝まずいて取り囲む老若男女。
「魔王が二度と、甦ってこれぬよう。私は最後の役目を果たします」
女性の両脇に光が当てられる。
そこに、赤ん坊が眠る揺りかごが二つ。
「気掛かりなのは、あの人と私の子である子供達。けれど、貴方達に任せれば何の憂いも無いでしょう」
「お任せ下さい、聖女様!」
「この子の中のあの人の血が、この世界をこれからも護っていってくれるでしょう」
舞台が暗転、次に現れたのは似た顔立ちの少年、少女。
「姉さん。僕はこの世界を、この国を護る盾になりましょう」
「ならば私は、世界を廻る剣にでもなろうかしら」
固く引き結んだ表情の弟と、まるでデートに出掛ける直前のような表情の姉。
舞台の上だけを浮き立たせる光を浴びた、見目整った役者達による劇。
それは、多くの観客達がそうであるように、情緒的で多くの視線を独占する魅力に溢れた物語だったのだろう。だが、シエルにはそれを楽しめる余裕が無かった。
隣の席に腰掛け、楽しそうに舞台を見下ろしている姉の存在がシエルからありとあらゆる余裕と集中を奪ってしまう。
人込みをかき分けて、ムウロによって掴まれていた腕が唐突に離されてしまったその反動で転びそうになりながらも前へと足を進め、もう駄目だと転んでしまうことを覚悟した時。シエルの手は、シエルに向かって伸ばされたロゼの腕をしっかりとつかんでいた。
「お姉、ちゃん…」
「来てくれたのね、ありがとう。それじゃあ、シエル。劇でもみましょうか」
「えっ?」
探されていたことなんて、自分が罪人として追われているということも、億尾にも出すことなく、ロゼは笑いながらシエルを誘った。
驚き、何を言っていいのかも分からないシエルの腕を掴んだまま、ロゼはぐいぐいと人の流れに身を任せて劇場の中へと進んでいってしまったのだ。
劇場の中に入ると人の流れから外れ、ロゼはシエルを引いたまま、観客達が入っていく客席ではない場所へと入っていく。その様子は通い慣れている感じがあり、劇場の人間に案内されることなく劇場の人気のない廊下を歩き、ある部屋へと入っていった。
一般の客席とは違い、ゆったりと座ることの出来る椅子に、簡単な食事なら可能なテーブルが置かれた、舞台を見下ろす形でゆっくりと観ることの出来る個室。
部屋に入って扉を閉めると、ロゼはシエルの手を放してくれた。そして、さっさと二脚あった椅子の一つに腰を下ろし、視線一つでシエルにもそうするようにと促してきた。
「む、ムウさんとシリウスお兄ちゃんが…」
「…大丈夫よ。あの二人なら外で待っているわ」
さぁ、座りなさい。始まってしまうわよ?
目の前に居るのは確かに姉ロゼだ。まだ顔を合わせて一年どころか一月も経っていないけれど、目の前に座っている存在が姉であるという確信を、シエルは抱けている。
だけど、なんでだろうか。
確かに姉ロゼである筈の彼女から、ロゼからは感じたことのない威圧感、違和感を感じてしまう。
その声に従わなければならないと、そんな気持ちを感じさせる。
「あぁほら、始まった」
頭では「こんなことをしている場合じゃないのに」と思っていたシエルだが、その体はロゼから感じる何かによって無意識のうちに動いてしまった。
ロゼが腰掛けている椅子の隣に置かれた椅子に、おずおずとだが近づき、腰を下ろす。
その瞬間を待っていたかのように、劇場全体が暗闇に包まれ、それとは反対に見下ろす舞台上には光が灯った。そして、光の灯った舞台上に現れた着飾った役者達に、客席から歓声と拍手が飛んでいた。
「『勇者』と『聖女』そして、その二人の間に産まれ地上に残された双子の子供達の物語、ですって」
楽しみね、とロゼは笑う。
本当に、何事も起こっていなかったと感じさせるような笑い方と態度。シエルは戸惑うしかなかった。そして、戸惑い不安に陥るシエルを置き去りにして、舞台上で始まりを告げた劇はどんどんと話を進ませていくのだった。
「面白いわよね。あの時代から生きている女王が居る国の王都で演じるのが、こんなにも嘘にまみれた劇なのよ?おかしくてたまらない」
「嘘、なの?」
舞台はまだ上映中。
観客達をその姿で静まり返させる役者達の演技は素晴らしいものだと、こういった場は初めてなシエルでも思っていた。
その演技に、いや演目自体にロゼは笑いながら茶々を入れる。
「嘘よ。聖女が魔王が蘇らないように、と言っているのは、そう間違いでもないけれど」
クスクスクス。
全てを見透かすような目が、舞台ではなくシエルへと向けられる。
「えっ?でも、」
『聖女』は『魔女大公』。『魔女大公』は『魔王の妹』である『王蜜の魔女』アリア。
『勇者』の妻となって魔族と敵対したとは言っても、ムウロ達の話を断片的とはいっても聞いてきたシエルには、アリアがそこまでするような人とは思えなかった。
「もっとも、聖女が封じ続けたかったのは魔王そのものではなく、魔王の…」
「どうして、お姉ちゃんがそんなことを知ってるの?」
ロゼが説明しようとしていた言葉を遮ることになってしまったが、シエルははたっと気づいたことを問わずにはいられなかった。
どうしてロゼが知っているのか。
遠い昔の話なのだ。神聖皇国にはその詳しい話というものが残っている可能性は高いかも知れないが、ロゼがどうしてそれを知れるのか。シエルのようにムウロ達高位にある魔族達に直接話を聞いた訳でもないだろう。
まるで、見てきたことを語るように説明を始めていたロゼに、シエルは驚き困惑し、凝視せざるを得なかった。
「どうしてかしらね。でも、知ってるの。分かるのよ、分かってしまうの」
自分で出した筈の言葉に、自分自身で可笑しいと、ロゼは笑った。
その笑い方は、同性で、妹であるシエルであっても見惚れずにはいられない程の、美しく綻んだ、華のようなものだった。




