想いを馳せて
愛する息子に対する愛の鞭をどのように振るい落とすか。
そんな事に思いを馳せたユーリアは今にも鼻歌でも歌い出しそうだった。
「此処でお別れね、シリウス。短い間だったけど楽しかった。何かあれば私の城にでも訪ねて来るがいい、盛大にもてなそう」
真っ直ぐに息子の匂いを感じ取れる方角から目を逸らすことなく、体の向きを変えることなく、ユーリアはまず此処まで共にやってきたシリウスに別れを告げた。
「護ってやろうと言っておきながら悪いね、シエル。お前も我が城に遊びに来るといい、何だったなら楽しみ外のある仕事も用意しておこう」
隣に立つムウロにはただ手を振るだけ。シエルには、笑いさえも凛々しく表情を僅かに崩す程度ということが常である彼女にしては柔らかく慈母を思わせる笑みを浮かべ、ごくごく近所へと誘うように遊びにおいでと声をかけていた。
「ユーリア様の城は魔界だというのに、人間でしかないシエルやシリウスが行ける訳が無いじゃないですか」
「そうか?そうとも思えぬがな」
フフッ。
絶対に無理だろうというムウロの否定を意味ありげに鼻で笑ったユーリアは、そのまま踵を返して足早に人混みの中に消えていった。
走っている訳ではない。ただ歩いているだけだというのに、人混みを作り出している人々は自然に彼女へ道を譲っている。それだけの気迫をユーリアが放っていた。
「それでは、こちらはこちらでロゼを探そうか」
こちらでいいのか?とユーリアの背中を見送っていたシエルとムウロに、シリウスが声をかけて本題に戻そうとした。
シリウスが確認する為と指差すのは、ユーリアが向かった方角とは反対、こちらも同じように人が込み合っている通りが続いている。先程、ムウロがロゼの匂い、そうはいっても正確にはシリウスの血と匂いが似通っている存在が居ると示したのが、シリウスが示す方角だった。
「血縁の可能性が極めて高い、そんな感じの匂いだから確かだと思うよ」
「そんな事まで判別出来るものなんだな、匂いで」
「大分昔にだけど、どれだけの精度があるのか調べられたからね。自信はあるよ」
多くの人の存在が邪魔をして、通りの先に何があるのかなど見通すことは出来ない。シリウスやムウロからでさえ人の色とりどりの頭ばかりが見えるだけなのだ、彼等よりも低い位置に頭があるシエルには人の壁しか見ることは出来ない。
「ルザーツさん。向こうには何があるの?」
見えないなぁと残念に思いながら頭上を見上げたシエルは、空に浮かんで周囲を好奇心をありありと浮かべた顔で見回していたルザーツの姿を見つけた。
人混みなど何の障害にもなっていないルザーツなら、ロゼがいるかも知れないという人混みの先の様子を、難なく見ることが出来るじゃないか。そう思いついたシエルは、その願いをルザーツに伝えた。
「ん?ぅん~っとな。劇場みたいなもんがあるな。看板に、ゴテゴテとした衣装着た奴等が呼び込みしているし。着飾った客っぽい奴等が入っていってるから、これは大入りだな」
『夜麗の迷宮』の中の屋敷を住処とし、そこで仕事の纏め役を任されている形だったルザーツにとって、例え化物と名高いアウディーレの国であっても、見るもの聞くもの感じるものが何もかも楽しく新鮮に感じる、久しぶりの外の世界。
好奇心に押され、自制の聞かない子供のようにあっちにこっちにとキョロキョロと見て回っていたルザーツだったが、シエルに頼まれたとあってはそれを一端止め、それまで浮かんでいた空中よりも少し上に上がり、言われた方角にある光景を簡単かつ的確に足下のシエルへと伝えた。
人混みをしばらく歩いた後に現れる、少し開けた広場。その一角に建つ劇場を中心に起きている賑わい。その様子をシエルに伝えながら、ルザーツは「面白そうだな」「姿を見えないようにしたら、タダ見出来ないかな」などと胸が逸る様子を覚えていた。
かれこそ百年以上、迷宮の外、それもこんなに人の多い場所に来た覚えが、ルザーツには無かった。
あまり自由に行動することが出来ないゴースト達と違って、ルザーツは半吸血鬼が転じたゴーストという力のある、その上で『夜麗大公』や『麗猛公爵』との繋がりから特殊な立ち位置に置かれている。その為、別に彼自身が望みさえすれば、迷宮から自由に外出することも出来るし、魔界へと出向いてレイの所へ遊びに行くということも自在に出来た。それをしなかったのは仕事が楽しかったという事と、あまり遊びに行き過ぎるとレイが煩いからというだけ。
あれでいて、レイは友達思いの良い奴なのだ。ルザーツは何時もそう主張しているのだが、弟であるムウロを始め、彼に仕えている吸血鬼のそれも古参の者達でさえも、その主張を信じてはくれない。時にはルザーツのことを医者に見せなければと言い出すくらい、信じようともしない。
だが、ルザーツはその主張を変えることはない。彼にとっての最愛の姉であるディアナさえ絡まなければ、付き合いやすい男だ。そんじょそこらの傭兵などには負けないくらいの力はあるとはいえ、ゴーストという不安定な存在であるルザーツに、完全に死んでしまいたくなければフラフラと出歩くな、と吐き捨てるようにだが忠告するのだ、レイが友達思いの良い男だとルザーツが思うのも当然だろう。ルザーツはその考えを変えることも捨てる事も絶対にしない。
そういえば、そんなルザーツの友人への考えを、反吐が出るという態度を隠そうともせずに、例え目の前にレイが居たとしても堂々と否定した人が居たな。
ルザーツは長らく会っていない、その人を思い浮かべた。
ルザーツがまだゴーストになる前、まぁつまり生きていた頃。ルザーツもレイもその彼女も、ルザーツ以外の二人の中身はあまり普通とは言えないが、見た目は確かに子供であった頃。あの頃はよく一緒に遊んだなぁ、とルザーツは思い出す。何時の頃からか一緒に遊ぶどころか、話をする、顔を合わせることも少なくなったが、昔は人の国に紛れ込んだりもしたものだ。
元気かなぁと考え、半吸血鬼でゴーストの自分が、不死にも近い力と地位を持っている吸血鬼相手に思うのは何だか可笑しいな、と自分で自分の考えに笑いが零れ出た。
ルザーツに人混みの向こう側を伝え聞いたシエルは背伸びをして、見えないかなぁと思ったようだが、背伸びをした所で兄達と同じ目線になることも出来ない彼女では、無意味な行為に終わってしまった。
「劇場?」
「シエルのお姉さんは居るって聞いても、ルザーツは知らないんだからどうしようもないね」
ムウロが一応聞いてみるけど、と言うが確かにどうしよもない問い掛けだ。探し人の顔も気配も何も知らないルザーツでは何も答えることが出来ないのだ。
「女は一杯居るな。えっと、劇場でやったるもんの題名は"愛の唄"。まんま女が好きそうな題目だからな、そりゃあ女の客が多い筈だ」
「…ロゼもよく、そういった演目のものを見に行っていた。行ってみるしかないか」
可能性は少ないがロゼが居るかも知れない。
母から引き離されて帝都で暮らすようになった息苦しさの中。彼等兄妹の親となった彼等は、シリウスが剣の修行、グレルが魔術の練習をすればする程、機嫌を良くしていた。それと同じ感覚で、ロゼが貴族の子女らしい礼儀作法や嗜みに努めていれば、機嫌が良かった。
機嫌を損ねて母達の悪口を聞かされない為の一つだった演劇観覧も、成長した後には普通の趣味・楽しみとしてロゼは好んでいた。金欠の時などに気になる演目があった場合に、シリウスやグレルにおねだりとして資金を借りて観に行く程には楽しんでいた。
そんな事を思い出し、ロゼが何者かに乗っ取られて自我を失っている可能性があるということを棚に上げ、シリウスは「もしかしたら」と考えた。




