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馬鹿息子

城の中では着々と準備が進められていた。

日頃、決して疎かにされている訳ではない掃除も今一度見直され、手の空いている侍女や普段はそれらの仕事に携わらない女官に兵士達も駆り出され、床や壁を鏡のように磨きあげていく。

「あら、残念」

城の主であるアウディーレがそう呟いたその時も、彼女の周囲では床に壁、テーブルの上、食器、ありとあらゆる場所が磨き揚げられている最中だった。アウディーレ自身も侍女達の手により髪が結い上がり、宝石が煌めく装飾品を身に纏っていく。人前ではしたない行為ではあるが、アウディーレに苦言を呈することの出来る存在自体がこの城の中に、いや国中を探そうと見つけることは出来ないのだ。もしも、この場にアウディーレと向かい合う客人の姿が無かったのならば、素肌を晒してドレスを着替えることも平然と行っていたことだろう。

「残念?何を見たというの?」

忙しく動き、そもそもアウディーレに話し掛ける事など考えもつけない侍女達とは違い、アウディーレと自身を対等に置く客人である女が、アウディーレの呟いた言葉を問い質す。


「私が折角、可愛らしくコーディネートしてあげようと思ったのに。坊やが余計なことをしてくれたわ」


「坊や…」


「そう。まぁ、坊やが用意させたものも可愛らしくて良さそうなものだけど。けれど油断したわ。一応、この国には低級な魔族は入ってこれないように術を敷いていたのだけど、まさかゴーストごときに入り込まれるだなんて」

それまで余裕の笑みを絶やすことの無かったアウディーレの顔に、悔しい、不服だ、という感情が滲み出た。

「ゴースト?あんなカスのような存在が?」

アウディーレの力をよく知っている、友人と呼び会う仲である客人の女も驚き、眉間に皺を寄せて訝しんだ。だが、その後にすぐ、彼女はあることに気づく。

彼女の知るゴーストという存在の中に、それを成せるだけの力を持ち合わせる存在が居ることに。

「不思議ね、ゴーストなんて滅多に移動しない筈なのに。ましてや、太陽の光が照らす昼中の路上に現れる。あら、そういえば、なんだか見覚えのある顔だったわね?」

アウディーレのその言葉に、彼女の考えは確信に変わる。

「ルザーツ」

「あぁ、そう。そういえば、それね。そんな名前を昔聞いた覚えがあるわ」

 女が口にした予想の名前に、アウディーレは表情を晴れやかにしてうなづちを打つ。

「懐かしい顔ぶればかりで、賑やかでいいわ。あのゴーストも一緒に招待しようかしら」

パンパンッ

 アウディーレが手を軽く叩くと、すぐさまに女官達がアウディーレの下に馳せ参じる。

「ねぇ、あのゴーストは何が好み?」

一人招待する者が増えるということを指示を待つ女官に告げたアウディーレが、何がいいかしら、と軽やかな声で女に対して問い掛けてくる。

 それを女は顔を渋め、一言も口を開いて答えることはなかった。





 受け取ったドレスに直接手を触れたシエルは、その何も持っていないような感覚に陥る軽さと、柔らかな手触りに驚きを覚え、村娘であるシエルには絶対に縁の無かったものであると考えさせられる。

「ディアナちゃんのドレス。…いいのかな、本当に」

 貰ったとしても使う予定は無い。

 この場を乗り切る為だけで必要だっただけで、アウディーレの招待を本当に受ける訳ではないのだから、今回は使わない。ディアナの好意を受け取って本当に貰ったとしても、使う場所・機会が無いのでは勿体無い、申し訳ないな、とシエルは考えてしまった。

「シエルに貰ってもらえるなら、姉さんは喜ぶよ。兄上だって絶対に文句は言わないだろうし」

「着たらいい。きっと、ロゼやグレル、母さんも、見たいと思うだろう」

 兄上が手放すなんて他には絶対に無いことだよ、と苦笑を滲ませながらムウロが説得を試みる。それに続いて、シリウスは純粋にドレスを着たシエルを見てみたいと兄姉、母の名を出して薦める。

「まぁ、着る着ないは置いておいても、それの効果は確かにあったようね」

 ユーリアがぐるりと自分達を囲む人垣を見回してみせた。

 ルザーツからディアナのドレスをシエルが受け取るや否や、それまでの熱気は何処に消えたのか、周囲に集まり各々が薦める品を手にしていた人々があっさりとその手を下げていった。その上、鬼気迫らんばかりの熱気が放たれていた各々の表情からも熱は冷め、何事も無かった、たまたま其処に居合わせただけ、と人垣の後方に居た人々の中にはさっさと足を転じて去っていくものさえ居たのだ。

 ユーリアの言葉を受けたシエル達が人垣を見回した時には、膨れ上がっていた人垣は三分の一程度にまで人数を減らしていた。

「『まぁ素敵。その装いならば、女王陛下もきっとご満足して下さるわ』」

 さらに、またまた聞き覚えのある女の声があがり、その場を素知らぬ顔で離れていく人は数を増す。いや、蟻の子を散らすように人垣は完全に消え去っていったのだ。

 最後に残ったのは、一人の老婆。

「『私が可愛らしく着飾ろうと思ったのに、残念だわ。でも、それも好きだから許してあげるわ』」

 老婆の口から確かに吐き出されるその声は、若い女のもの。アウディーレの声。

「『もう少し準備に時間が掛かってしまうから。私の国を楽しんで頂戴』」

 シエル達が何も言わないことを良い事に、一方的に話をしていったアウディーレの声でが、ほほほほっと老婆がするとは思えない甲高い笑い声を上げた。すると、老婆の頭ががくんと前のめりに傾いた。

「消えたわね」

 シエル以外はその老婆に始めから、アウディーレの力の気配を感じていた。高笑いの後には、その気配が完全とは言わないまでも消え去った事もしっかりと把握出来た。

「さて、この後はどう動こうかしら?」

 ドレスをシエルが手にした後の変化は、人垣が無くなっただけでは無い。何事も無かったように通り過ぎたり、店先で買い物をしたり、世間話をしたり。先程まで人垣を作り上げていた人々は極普通に、日常の一場面を作り上げている。シエル達のことなど見えていないものと、視線が合うということが無く、意識していない足取りでシエル達が立っている周囲を避けて歩き去っていく。それもまた、アウディーレの仕業なのだろう。


「匂いで追ってみればいいんじゃね?」


 ムウロからの連絡の際に一通りの話を聞いていたルザーツが、簡単なことだろ、とムウロ、そしてユーリアに向けて言い放つ。

 狼の鼻を持っているムウロも、狼には劣るものの鼻が利く竜であるユーリア。ユーリアに至っては、探しているのは息子という、鼻が利く利かないを凌ぐ強みがあった。

「…いくら馬鹿息子でも、隠すくらいの頭はあるのではないか?」

 自分の匂いを隠す術というものが無い訳ではない。魔狼や竜、それ以外にも鼻が利く種族は居るし、匂いの他にも探索の素となるものはあり、それらを隠して潜む手立てが無い訳ではない。

 ユーリアが探しているのは息子、つまり『大公』の一人息子として生を受け、その立場に相応しいように教育を施されている存在だ。その教育の中には勿論、匂いなどの探索の素となる全てを隠す術は含まれていた。その為、今までユーリアは息子とその嫁をその足で捜索してはいたものの、匂いというものを探るということをすっかりと頭から除外していた。

「何か、ロゼの匂いがついていそうな物、持ってる?」

 そういうことなら、とムウロが尋ねたのはシリウスとシエル。

「無いなら、どちらかの血の匂いから辿るっていうことも出来るけど」

「それなら俺の血だな。シエルよりも近い」

 何も持っていないと全く同じ動きで首を振った二人に、じゃあ、とムウロは続けた。それに答えたのは、シリウスだった。

 異父姉妹であるシエルよりは、血という時点では同父母の兄妹であるシリウスの方が近い。この発言には、ムウロもそれもそうだと納得するしかない。


「…あの馬鹿めが」


バキッ

 ユーリアの足下を支えていた石畳に、ヒビが生まれた。

 指先を少し切る程度の血でいいよ、というムウロに言われ、シリウスは指先に小さな傷を作った。じわりと玉となって滲み出てきた赤い血。

 美味しそうな匂い。

 普段は成りを潜めている吸血鬼の性質がひょっこりと顔を出しかけたが、ムウロはそれを表情一つ変えることなく抑え、差し出されたシリウスの指先に鼻を近づけていた。

 その中で、ユーリアの苛立ちを抑えきれない静かな呟きと、それにも増すヒビ割れを知らせる音が、シエル達の耳に辿り着いた。


「…馬鹿息子は馬鹿息子だったってことかぁ」


あちゃぁと顔を手で覆って、ルザーツが天を仰ぐ。


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