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帝都の一幕

コツコツコツ

カツカツカツ


ダッダッダッダ!

カッカッカッカ!


ちっ

自分が隠すこともせずに立てる足音と殆ど同じタイミングで一切変わることのない距離感を保って聞こえてくる誰かの足音。足音の質感の違いのせいで完全に重なることはなく、逆に際立って耳に届いてくる。

歩く速度を速めれば、追いかけてくる足音も同じように速まり。それは歩くのを止めてみても、同じ事。

そんな状況はもう二十分程続いている。

舌打ちの一つや二つ、素行が悪いと叱られると頭では分かっていても、ついつい漏らしてしまう。


「リックス君。私がどうにかしようか?」


人波に合わせた速さで歩いていた足取りを少し速め、ゆっくりと速度はあがっていき、今では周囲の人混みを器用に潜り抜けながら殆ど走っているのと変わらない速度となっていた。

それでも耳に届く背後からの足音は変わらずに、自分の足音と重ねるようにする速さと距離感で聞こえてきた。

最近の苛立ち全てが溜まりに溜まっていたリックスはここにきて、ついにそれらを全て爆発させる寸前にまで至った。


ディクス家に仕え始めたばかりの執事見習い、リックス。


孤児院の出である若い彼が貴族の、しかも今や飛ぶ鳥を落とす勢いをもって帝国の重要な一家に数えられ始めたディクス侯爵家の、まだ見習いとはいっても執事になる事が出来るなど、本来ならば考えられないことだった。それが可能だったのは、ディクス家の当主であるモノグがそういった事に一切興味の欠片も無い貴族らしくない人物であり、リックスの養い親のような存在であるニールがモノグに対して顔が利いた事が、一番の要因だろう。

モノグの信頼も厚く、屋敷の一切を完璧に取り仕切っている老執事ツォルトの下で、礼儀作法から言葉遣い、初めて知るような貴族の常識とやらを日々学ぶことから始まった日々。頭が爆発しそうな程の忙しい日々を送りながらも、自分で働いた対価として正当な給金を得られるという当たり前と、リックスの生い立ち・育ちをからかうことも蔑むようなことなど一切ない環境に、最近は楽しい・転職だ、などという思いを抱き始めていた。

執事として取り仕切るのならば侍女などの仕事を把握することも大切であると、掃除や洗濯、食事の用意なども一通り体験させられた。そのせいもあってか、まだまだ働き始めたばかりではあるものの、ディクス家の屋敷にも、そして共に働く人々にも愛着が湧いている。

刺客が送り込まれてきたり、今など近衛騎士が派遣されてくるなどという事態が巻き起こるなど、目まぐるしく慌しい経験をしなくてはいけない日々だが、それはそれなりにリックスも楽しんでいる。

「いい。あの程度の奴、ムカつくしイラつくけど、別に大した相手じゃねぇし」

だが、楽しんでいるからといって、屋敷から一歩外に出て所用を済ませたり買い出しをしたり、お仕着せの服を脱いで私用の用事を片付けようとする度に、後を付回され、敵意を向けられ、時には攻撃を本気で仕掛けられたりすることに、心が荒立たないとは限らない。特に、それを行っている相手が素人と丸分かりなヘタな尾行を行うような輩ではイライライライラとストレスが無駄に溜まっていくというものだ。

足音も気配も、殺意も、完璧に隠して気づかれないようになってから出直してこいよ!!

孤児院から裏の道へと進んだ兄貴分、姉貴分を多く見てきたリックスはそう、追いかけてくるバレバレな足音の持ち主に怒鳴りつけたい気分だった。


「そう?でも、リックス君。すっごくイラついてるけど…」

「大丈夫」


大丈夫なの?とリックスを心の奥底から気遣っていると分かる声は、それに対して素っ気無く返事をするリックスの胸元、お仕着せの執事服の胸ポケットの中から聞こえてくる。

少しだけ膨らんでいる胸ポケットの中の様子は、その真上に存在しているリックスの目だけが捉えることが出来る。

薄暗い胸ポケットの中には少女が一人。

ポケットに収まってしまう小さな少女が心配そうな顔で、リックスの顔を見上げていた。


「それよりもアーナ。あの馬鹿以外には、どれだけ居る?」


「糸に触れているだけだと、四人くらい。こっちを見ているみたい。でも、私はまだまだ未熟だから」


自信無さげにアーナは問い掛けに答える。

目を細め、周囲に放っている魔力で練り上げた特殊な糸に神経を集中させ、リックスに聞かれた存在を探った。

「あれ以外はマトモだな」

ポケットの中で小さく、あっちにこっちに、と指を向けて見せるアーナ。

その方角に最低限の動きで目を向けるが、アーナの言う存在をリックスは見つけ出すことは出来なかった。

足音を出し気配もありありと放っている背後の存在とは違い、それらはプロのようだなとリックスは考えた。


「さっさと帰るか」


見ているだけならいい。何か仕掛けてきたら厄介だ。

リックスも腕にはそれなりに自信はある。兄達からの薫陶を受け、ニールの庇護下にあるとはいえ親が居ない孤児として何時でも独り立ち出来るようにと努力してきたのだ。同い年の普通の家庭で育った者達に比べれば、戦う術を心得ている。

その上、この帝都はリックスにすれば自宅の庭だ。帝都に住んでいる住人でも知らぬような裏道も知り尽くしているし、顔見知りも多く逃げるのならば手を貸してもくれるだろう。

だが、気配を探り出すことが出来ない、気取ることさえも出来なかった相手から、逃げ切れるかどうか、戦うことになっても勝つ自信は無い。

何よりリックスは今、自分一人という訳では無いのだ。


アーナは魔物。

アラクネという、帝都から出たことのないリックスでも名前を聞いたことのあるような有名な魔物である。

それはしっかりと理解しているリックスだったが、それ以上にアーナは大事な同僚。彼女と出会ったのは本当につい数日ほど前の事でしかないが、それでも大切な仲間だと思っている。


「ごめんなさい。こんな用事、全部が終わった後にすれば良かったんだよね」

「折角の記念なのに、後回しにしてどうすんだよ」

バッカな事言ってんじゃねぇよ。

馬鹿にするように、そして呆れた様子で、リックスは顔を伏せて目に見えて凹んで謝るアーナに言い捨て、ますます足の動きを速めた。



危険を推してまで今日、屋敷の外へと二人で出掛けたのには理由があった。


これは屋敷に派遣されてきている事情を知る近衛騎士をも驚かせた事だったのだが、地上へと出て来て一月も経っていないというのに、アーナが人の形へと変化することが出来るようになったのだ。

アラクネとしての正常なる食事を取ることも出来ず、母親に心配される程に成長の遅かったアーナの突然にして、急過ぎる成長。

人の形といっても、大きさはそのまま。小さな、子供の遊ぶ玩具と変わらぬ大きさしかない状態ではあったが、その足は蜘蛛のそれではなく確かに二本の人のものとなっている。

モノグと結んだ契約に従い、屋敷に侵入してくる者達を糸でグルグル巻きにしてツォルト達へと引き渡したり、食事はじっくりと火の通ったステーキなどモノグ達人間とそう変わらない内容。アラクネであるアーナが成長する要因など見当たりもしない日々を過ごしただけだというのに、アーナは大きな成長を見せた。


ぺちぺちぺち、という可愛らしい足音を立てて新しい姿をお目見させたアーナに、まだ数日の付き合いしかないとはいえ使用人達一同、特に侍女として仕えている老婆達に、リックスと共に雇い入れられた幼さも残す少女達は歓声をあげて喜びを見せた。

そして、そんな彼女達の提案によって、アーナに祝いの品を送ろうとなったのだ。

「それにしても、こんなに一杯。いいのかな?」

「いいんじゃねぇの?っていうかプレゼントとか言いながら、あいつらが勝手に楽しんでるだけだろ」

ポケットの中のアーナが身に纏っているのは、ヒラヒラのフリルが一杯のピンクのドレスに、シックな色合いのブーツ。

それだけでなく、リックスの手には大きな袋が二つ。外からは見えない袋の中には、大量のドレスや靴、帽子、他にも可愛らしい小物がたっぷりと詰まっている。

これらは全て、王都に店を構えている人形店に注文を出して購入し、今さっき受け取りに行ってきたばかりのものだった。

変化が出来たお祝い、という名目で侍女達がお金を出し合い、それでは足りぬだろうとツォルトが資金提供をし、モノグからも搾り出してきた結果がこの物量だ。

「これくらいで驚いてたら…」

ボソッと呟かれたリックスの声は、自分の格好を改めて見回して挙動不審に陥っているアーナの耳には届かない。

アーナがまだ知らない事を、リックスは知らされていた。

屋敷に帰ったなら、アーナは気を失ってしまう程に驚くことになるだろう。そう、服の量に息が荒くなって眩暈を起こす程に驚いていたアーナを思い出し、リックスは考える。


彼女自身が不必要と言い切った為に殺風景だったアーナの部屋が大きく変貌した姿を見ることになるのだ。


アーナが人の形を得た直後を見た近衛騎士達が行った報告。

それを耳にした皇妃が、自分が子供の頃に遊んでいた人形用の家具というものをプレゼントしよう、と言ったのだとリックスは屋敷から出かける前に耳打ちされた。

他国の王族の姫であった皇妃が使っていたという、人形用の家具。

リックスにしてみれば、人形用の家具って何…という思いではあったが、きっと庶民では手が出せない程に高価で、触るのも恐ろしい細工や装飾が成されている、遊ぶなんてそんな!な代物だとは想像出来た。


アーナの感覚はリックスのそれに近いものがある。


きっと部屋の中を見た瞬間に、「こんなの使えない!使えるわけないじゃないですかぁ!!」と叫ぶんだろうな。

情景豊かに想像出来るその光景が待ち構えている屋敷へと、リックスは速めた足を器用に捌き、するすると人混みをすり抜けていった。


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