耳に届いた懐かしき声
「声が聞こえるのか!?」
《父様、そんなに驚かなくても》
「本当に?」
《ほら彼女も困ってる、ねぇ?》
「まさか」
《そんな風に怯えさせて、叔父上に怒られると思うけど?》
二つの声が同時にシエルへと降り注ぐ。
驚きシエルに問い詰めるように声をあげているクリーオ。
その声と重なるように、もう一つ。シエルには男の人の声が聞こえていた。クリーオを父様と呼び宥めようとしたり、シエルには申し訳なさそうに声をかけたり。
「そんなに一緒に言わないで」
『勇者』や『魔王』、『大戦』を知る人間であるアウディーレは、『勇者』のことを強欲と言った。そして、今はシエルが持っている『耳』は強欲であったが為に作られた力であると。
その為なのだろう。シエルの『耳』は力を意識している中であったのなら、同時に何人が言葉を発しようと一言も誰の言葉も聞き逃すことは無かった。それが直接耳に飛び込んでくるものと『遠話』の力によって届くもの、という組み合わせであっても、そのどちらも聞き逃す事はなく理解出来る。
だから、クリーオともう一つの声がどんなに交じり合うように聞こえてきたとしても、シエルがそれによって聞き逃す事も、混乱することも無かった。
だが、そうとはいってもやはり、耳心地よいものとはいえない。
シエルの訴えにクリーオはうっと押し出そうとしていた言葉を飲み込み、そのまま声を出す事を忘れたかのように黙り込んだ。
《『銀砕』の魔女殿には本当に申し訳なく》
「……もしかして」
見えない誰かの謝罪の言葉に、シエルはそれが誰なのか辿り着く。
「シエル?」
「あのね、ムウさん。多分なんだけど私が聞いている声って、」
「カズイだ。確認させて欲しい。カズイは今、なんと言っている?」
ムウロに自分の考えのシエルが発表しようとしたところ、口を閉ざしていたクリーオが声を挟んできた。
先程までの気迫はなく、落ち着いた様子で恐る恐る、シエルの言っていることが本当なのかという確認をしたいのだと申し出る。
《僕が僕であると叔父上に信じていただく為には何を言えば一番いいのでしょうかね?…あぁ、叔父上と僕で行った御爺様達への悪戯の話でも。あれは…》
「えっ…」
クリーオの提案を受けてなのか、シエルだけに聞こえていた男性の声-クリーオとビアンカの長男、ムウロが言うには寿命によって死んでしまっているカズイという人物のものだという事が父親であるクリーオの口から明かされた-はムウロにも納得して貰える話を、とある話を繰り出した。
それも、聞こえているのはシエルと、確認をするということはクリーオだけ。
その話を聞いたシエルは、確認をとってもらう為にはクリーオへの言葉にして伝えなくてはいけないのだが、ムウロを見上げて逡巡する様子を見せた。
「…ムウさん、おじさんの秘蔵のお酒に…フレイさんの指を、入れたの?」
「そうか、本当にカズイの声を聞いているのか。…初めてだ。それも『耳』を持っているからなのか?」
「ちょっ、それは…確かに僕以外にはカズイしか知らない話だね…」
聞こえた言葉そのままとは言わないまでも、シエルがムウロに向かって口にしたそれに、クリーオは感動するように、感心するように、そして何よりも嬉しそうに首を縦に何度も何度も大きく頷かせ、表情を緩ませた。
その一方で、まさか話の矛先が自分に向かってくるなど考えてもいなかったムウロは、自分へと向けられたシエルの信じられないという訝しげな目に戸惑い、そしてシエルの告げる今では誰も知らない筈の事実に対し顔を青褪め引き攣らせた。
幼いカズイとムウロが行った、些細な悪戯の話だった。
初孫に対して甘いところのあった、それこそ息子や孫の存在を知っている魔族の間では人格が本当に変わったと言われる程に甘かった『死人大公』フレイの指を一本。幼い子供によくある無邪気な腕白さの真っ只中だったカズイが持ち出し、アルスの秘蔵の酒の中に。指といっても、体のあちらこちらのパーツをよく付け替えて使用していたフレイの、代えの腕から拝借したもの。アルスの秘蔵の酒の中から子供にしてはよく考えた方で、熟成が進み色が濃く中に何が混入していようと見た目には分からないものを選び、放り込んだ。ムウロはそれをただ一人、目撃していたのだ。酒庫からこそこそと出て来たカズイを捕まえ、それを行った理由を問えば、「思いついたから」という子供だからこそと許されてしまう意味の無い返答が返ってきた。
「僕が入れた訳じゃないよ?やったのカズイで、僕はそれを見なかったことにしただけだから」
《黙っててくれたのだから、叔父上も共犯ということなのでは?》
「共犯だって言ってるよ?」
「カ~ズ~イ‼」
ムウロはもう、シエルにしか聞こえない声があり、それがカズイのものであることを疑った様子はない。シエルの通訳を介しながら、とうの昔に死んだ筈の甥っ子との言い争いまで始めた。
《けれど、良かった。お爺様の魔女殿の言葉ならば、母様も無下にも、聞かなかったことにも出来ない筈。魔女殿、母に伝言をお願い出来ないだろうか?》
「伝言?」
カズイの言葉を繰り返した後、シエルはある事を思いつき、それを速やかに実行に移した。
《父様のあれはカズイの遺言を聞いて下さってのこと。どうか怒りを鎮めて弟妹達の為にも帰ってきて頂きたい、と》
「あれって…」
「まぁ義兄上のあの耳とか尻尾の事だろうね。元はカズイのものである」
シエルとムウロの視線が、クリーオの頭の上とお尻の先へと向かう。
「!!ムウロ、君も聞こえるのか!?」
「シエルがそうしてくれたからね」
自分かクリーオにしか聞こえない、カズイの声。ムウロがそれを知る為にはシエルがその都度、伝えなければならない。それに対してどうすればいいのかと思ったシエルは、『遠話』と同じやり方でいいのだろう、と考えたのだ。
それによって、ムウロの耳にもカズイの声が聞こえるようになった。
「まぁ、面白いこと」
「ゴースト、ということなのか?」
それは勿論、この場に居合わせているユーリアとシリウスにも繋げられた。
自分達には聞こえない上、あまり関係ない話だ。そう考えて傍観を決め込もうとしていた二人も、シエルにしか聞こえなかったカズイの声が聞こえるようになり、興味深げに口を開く。
ユーリアとしてみれば、カズイは全くの知らぬ相手という訳ではない。同胞達の孫という、何度か顔を合わせたことも、言葉を交わしたこともある知己だ。突然飛び込んで来た声にも確かに覚えがあった。
《一人先に死ぬのが怖かった僕が父様に頼んだんだ。一緒に居させて欲しい、と。まさか、そのせいで。母様が勘違いを起こして出て行ってしまうなんて、考えてもいなかった》
反省している、とカズイの声が全員に聞こえた。
「ゴースト…本来は人が死した後に変化するものだからねぇ…これがそれに当て嵌まるのか」
シリウスの考えに、永くを生きて多くを知ってきたユーリアもどうなのだろうかと首を捻っている。
「人間が死した後に、その魂に魔力を纏い生前の姿・記憶を留めている、ということを差す。まず、あれを生前の姿と定義するに妥当であろうか?」」
「まず、そもそもにして人では無い」
ユーリアとシリウスも、クリーオの頭の上の、カズイの耳を見つめる。
生前の姿といおうと思えば言えるかも知れないが、ゴーストと言えるのか。一般的なゴーストと呼ばれる存在達を思えば、違い何かとなった、と評した方が良いのでは?
これが二人の考えたことだった。
「ゴーストなら、ルザーツさんも元は半吸血鬼で」
「あの人は半分人間だから。でもカズイは純粋に…あれ、そういえば」
「フレイも、元人間と言っていい存在ではあるわね」
人間の体を寄せ集めにして身体を造り上げ、魔王が力を注ぎ込んだことで生まれた魔物。
今ではパーツの付け替えを繰り返し、元の姿など露にも残していない『死人大公』ではあるが、大本をあげるのならば元人間と言えなくもない。
その血を受け継ぐ孫にあたるのだから、カズイもゴーストになれる要素はあったのだと、考えることが出来るのかも知れない。
どういうことなのだろうか?
当事者達を凝視しながら、ムウロにユーリアという魔界の古株達、シリウスという人の世の常識というものを一応は身に付けている人間、そしてシエルが全員同じように首を傾げ、考えを寄せ合う。
 




