舞台にあがるのは
此処に居る筈のない兄シリウスの姿、初めて会う女性の姿、そして突然消えたアウディーレの姿。
シエルは大きく見開いた目を何度も瞬きさせると、シリウスと女性、ムウロに目を巡らせ、そして最後に思い出したかのように首を動かしてアウディーレの姿を探そうとした。
「あっ、駄目だ!シエル、もう少し目を瞑っていよう?」
だが、そんな試みはムウロの手に目が覆われたことによって遮られ、シエルの視界は再び真っ暗な黒色に包まれた。
「えっ、む、ムウさん?」
「彼の言う通りだ、シエル」
「そうね。これは目の穢れとなろうね」
何を見てはいけないのか、シエルが自分の目を強制的に閉ざすムウロに戸惑いの声をあげたのだが、シリウスも女性も、ムウロのその行動を肯定しシエルを諌めてくる。
「さて、此処は私が処理しよう」
女性のそんな声がシエルの耳に届いたと思えば、それとほぼ同時にゴォオツという音が突然生まれ、そして一瞬にして消えていった。
それは炎が燃え上がる時の音に似ていたと、シエルは思った。
「もう目を開けてもよいぞ?」
女性の声が聞こえ、その指示に従ってムウロが目に置かれていた手を退けてシエルの視界が解放された時には、その真偽を確かめることは出来なくなっていた。
音の正体だとシエルが考えた炎の気配は勿論のこと、きょろきょろと周囲をどれだけ見回そうと、先程まで圧倒的な存在感を放っていたアウディーレの姿は何処にも無かった。
「えっと…何から聞いたらいいのかな?」
聞きたいことがたくさん有り過ぎる。
どれから、誰に、どう聞いたらいいのか。シエルは迷いに迷い、まずはそれ自体をムウロを見上げて聞くことにした。
そう考えていたのはシエルだけではなかったようで、誰に何をまず聞いてくるのかなと身構えていたムウロ達は、意外なシエルの第一声に思わず表情を綻ばせていた。
シエルが少し方向違いなことを言い出すことがあると知っているムウロやシリウスは「しょうがない」という笑いを浮かべ、シエルと初めて会った女性は二人とは少し違う、興味深げな笑みを浮かべてシエルを見ている。
薄紅色の緩やかに波打つ髪を頭の高い位置で一纏めにして、それでもその毛先は足首よりも少し上辺りでフワフワと揺らいでいる。出るところは出て、引き締まっているところは引き締まっている、頭の先から足の先まで世の中の女性達の多くが理想そのもの、世の中の多くの男性達が唾を飲みこんで凝視する肢体を見せ付けるような姿をその女性は晒している。裸の女性を目の前にした時よりも恥ずかしさに赤面してしまいそうになるような、ピッタリと体に張り付いている素材の上着や、ズボン。これで武器の一つでも手にしているか装備していたのなら、女冒険者であると言っても不思議ではない格好なのだが、この女性は武器も装備も何一つ身に付けてはいなかった。魔術師であるというのなら、剣や槍などの武器は必要無いのかも知れないが、此処は迷宮の中なのだ。武器でなくとも、薬を始めとする装備なども持たずに入ってくるなど無茶な事だ。
だが、自分に目を向けてくる女性を見返していたシエルはある事に気づくことが出来た。
「…魔族さん、ですか?」
「竜族よ。何だったら、見せてあげようか?」
金色に輝く、縦長の瞳孔。
昔、シエルは竜に遭遇して追い掛けられたことがある。その目は何処かで見たことのあるものだったのだが、すぐには思い出すことが出来ず、大きな部類としての魔族であるのかをまず確認することにした。
その言い方が面白かったのだろう。女性は興味深げで観察するような笑みをますます深くし、自分が竜であるのだと名乗ったのだ。その上、凛々しい印象の容貌、井で立ちの女性にしては可愛らしく首を傾げると、面白そうにシエルに自ら申し出さえもした。
見せようかという言葉が何を意味するのか。シエルと見詰め合う形にあった金の目がその色合いを深めたことに嫌な予感を感じたシエルは、ううん、と首を横に振って断ることにした。
先程も何度となく首を振るという拒絶の意思表示をしたシエル。
あの時の相手であったアウディーレは話を一切聞かない、聞こうという素振りも無かった人だった。だが、今度の相手である女性はすんなりと、「あら残念」という言葉を口にしながらも、シエルの断りをちゃんと受け止めてくれた。
「ユーリアと言う。初めまして、『銀砕』の魔女。そなたの噂は色々と耳にしている。今後共によろしゅうに、な」
「?えっと、はい。よろしくお願いします」
今後共に。ユーリアの言葉はその部分が大きく強調されたものとなっていた。それがどうしてなのか、という疑問も新たに生まれはしたものの、女性が何者なのかを少しは知ることが出来たのだからと、シエルは僅かに納得することは出来た。
女性は何者なのかという疑問に答えを得たシエルが、では次に解決しようと試みるのは。
「お兄ちゃんは何で此処に居るの?」
次の疑問はシリウスに対してのもの。
ディアナを殺したとされているロゼの家族として、それぞれに監視がつけられ、王都に居るシリウスとグレルは監視の下に謹慎させられている。
ブライアンはそう、シエルに頼み事をした際に告げてきた。
皇太子の近衛騎士であるシリウスは、近衛の隊舎で、仲間と皇帝の近衛騎士の監視の下に一つの部屋から出る事が許されない、そう命令が下っているのだと。
だというのに、どうして。
どうして、シリウスが目の前に居るのだろうか。
「…逃亡?」
「丁度いい目晦ましが可能な身代わりが現れた。それで皆が行けと言ってくれた」
妹探しに行きたいんだろ?
行きたいよな、行きたい筈だ!
そりゃあ、そうだ。なんたって、シスコンだからな!
って事で代わりにこれ置いて誤魔化しとくから、安心して行ってこい。
あっ、ちゃんと帰ってこいよ?じゃないと俺達の給料が減ることになっちまう。俺が嫁と子供に逃げられんように頼むわ。
矢継ぎ早に友人でもある仲間達が口々に、好き勝手なことを騒々しく言ったかと思えば、呆気にとられていたシリウスに剣や必要な装備を手渡し皇宮から放り出す。その上、友人の一人の命を受けたという人間によって、ロゼが任務によって向かい最後の足取りを残している街へと送り届けられたのだった。
「クイン・ドグマの遺体を確認に行ったところで彼女と会い、一緒に調査などをしていた。その最中に殿下からの連絡があって、それを受けて此処に」
「クイン、さんの…」
姉の恋人だった人。シエルの義兄になる筈だった人。
今は行方知れずであるロゼが、何者かに操られていると皆が言う状態であったとしても、殺してしまった人のことをシエルは今の今まで考えないようにしていた。
友人であるディアナの殺害という言葉の方が衝撃が大きかったというだけではなく、考えることが悲しくて、苦しくて、わざと頭の端の端へと追い払って考えないようにしていたのだ。ディアナが実は生きていた、と分かった後はもっと完璧に、鍵付きの箱に閉じ込めるようにして、考えなかった。
それをしっかりと突きつけられ、シエルの表情を暗く曇る。
「あらあら、そんな表情をして貰えるなんて。あの子は果報者だこと」
「えっ?」
「あの馬鹿息子のことでそんな表情をする必要は無い。あれは死んだ訳では無いからね」
「ふぇ?」
「あー…シエル。実は、ね。うん、クイン・ドクマは人間では無いんだよ。いや、人間ではあるんだけど…」
ユーリアの言葉に戸惑い、驚き、目を白黒させるシエルに、ムウロ自身も戸惑いを含んだ、なんだか言い辛そうな声を絞り出すようにして衝撃的な言葉を告げた。
今度の驚きには声を出すことが出来なかった。想像もしていなかった告げられた言葉に口をパクパクと動かしてムウロを見上げれば、ムウロは眉間に深い皺を寄せて、人差し指でそれを解そうと試みていた。
「素敵!うふふ!なんて素敵なの!?」
大きな鏡を前にして、アウディーレは歓喜の声を、まるで悲鳴のように叫んでいた。
「痛いし、熱いし、こんな酷い目を味わうなんて久しぶりだわ。けれど、やはり『運命』は私を愛してくれているのね。ふふふ、ふふふふふ」
無機質な鏡の冷たさを手の平と頬で受け止めながらもたれ掛かり、アウディーレはうっとりと笑い続ける。
「欲しい、欲しいわね。あの子も、それに…」




