行き先はケンタウルスの村
「で、最初は何を届けるの?」
「うんとね。ケンタウルスの村が一番近いって。」
村を出て森を突き切り、右に行けば上の階層に、左に行けば下の階層に、それぞれに繋がる道となっている物へと向かう分かれ道に、二人は辿り着いた。
二つの羊皮紙を地面の上に広げて、届け先である五つの場所をどのように巡ろうかと考えているシエルの様子を、ムウロが上から覗き込み、真剣に考えているシエルに問い掛けた。その問いに、シエルは右を指差して答えた。
シエルが『依頼書』と呼ぶことにした羊皮紙の、『人に伝わる神話が描かれた絵本 『銀砕の迷宮』第四階層ケンタウルスの村 アイオロス』と書かれた段と、第四階層が映し出された地図をシエルは指差してムウロに見せた。
「こっちは第六階層になってるよ。」
ムウロが指差したのは、シエルが指差している二つ下の段。
『花の形をした髪飾り』から始まる段には、『第六階層コボルトの村 メーヴェ』と記されている。一つ階層を登るか降りるか、ムウロはシエルがどんな判断をしたんだろうか、と面白がっていた。
「だって、冒険って簡単な場所から始めるものでしょ?段々難易度が上がっていくのが楽しいんだって皆が言ってたよ?」
シエルのその答えには、ムウロも笑いを抑えきれずに噴出してしまった。
徐々に冒険に慣れる為に上の階層から。
慎重に冒険を進めていくために。
ケンタウルスが理知的で人に対しても友好的だから。
普通の冒険者に聞いてみて返ってくるような、こんな感じのまともな答えが返ってくるとは思っては居なかった。
けれど、「楽しい」なんて言葉が返ってくるなんてことも予想してはいなかった。
「た、楽しいって皆が言ってたんだ。」
「うん。おじいちゃん達もおじさん達も、村で冒険者をやっていた人たちの話を一杯聞いたんだけど、皆迷宮に潜っていくのは楽しかったって。」
シエルが村の外に出るなと修行を付けてくれていた大人たちに判断されたと聞いた村人たちは、シエルの前で冒険の話をして刺激するのは止めようと一時期口を噤んでしまったのだが、シエルが行くなんて言わないからせめて冒険の話を一杯して、と食堂に来る者来る者に募り続け、毎日誰かしらがシエルに昔した冒険の話や最近挑んだ迷宮の話を聞かせるようになった。
そして、その話は『隠遁者の村』と呼ばれ国の上層部に恐れられている村の住人に相応しく、普通に、懸命に冒険者家業をしている者たちに聞かせれば落ち込んで暫く引き篭もってしまう程度に、可笑しな話ばかりだった。しかし、村の住人たちの過去も知らず、疑問にも思っていないシエルに判断できるわけもなく、それが普通のことなんだと笑って聞いていた。
「ホグスじいちゃんとファーガスじいちゃんの話が一番面白かったよ。ロキっていう人と三日三晩戦って、楽しかったから酒を一緒に飲んで帰ってきたんだって。意味がわかんないよね。」
酔っ払いながら二人で話してくれた時には大笑いしてしまったな、と思い出し再び笑いが込み上がってきたシエル。殴りあった末に友情が芽生えたのだと、今でも年に数回飲み会をする為に出向いると言っていた年寄り二人に、いい加減にしておけよと呆れ顔になる者もいれば、分かるわぁと自分にもこういう友人がいるんだよと語りだす者もいた。一部で口元を引き攣らせている者もいたが、そこにシエルが気づくことはなかった。
「うん。ロキっていう人が僕の良く知る人だとしたら、笑うしかない話だよ。」
その名前を聞いて、ムウロの頭に真っ先に浮かんできたのは、魔界でも性悪度ナンバーワンと言われている老人の姿だった。
確かに酒好きで、何時も他人が想像もしていない騒動ばかりを巻き起こす人ではあるが、殴り合いなんて自分の手を汚すようなことをする人だっただろうか?自分の手は汚さずに、最後に勝利をもぎ取っていくイメージしか沸いてこない。
でも、とムウロは呟いた。
かの老人の行動をムウロのような若輩者が推測できる筈が無い。
それに、アルスが気に入る村の住人が普通だとは言えない。
地上で遊んでいる時にも、ミール村の話を聞いたことはある。
地位や権力、力を持っていながら、俗世を厭み姿を眩ませた実力者たち。そんな者たちが流れ着いて作られた村だと耳にした。何処其処の元将軍、王族、組織の長、そんな過去を持つ者ばかりが集まって生まれた村には、村が属する帝国でさえも迂闊な真似は出来ないのだと言われているらしい。
シエルが、こんな面白い子に育ったのも、そんな村の住人に大切に守られて育ったのも、一つの要因なんじゃないかとムウロの頭を一瞬過ぎっていった。
「第四階層は、草原と森で構成されています。虫の姿をした魔物に注意しましょう。主な住人はケンタウルス族ですが、他にも数種の種族が住んでいるので、種族間の抗争や彼等の仕掛ける罠にも注意が必要です。」
ムウロが物思いに耽っている間に、シエルが地図に浮かび上がっている注意書きを読みながら、上の階層に繋がる道を目指し歩き始めていた。
「罠、ね。うん、罠には気をつけようね。」
思考に落ちようとする頭を左右に振って、ムウロは足早に歩き、進んでいたシエルに追いついた。そして、シエルの読み上げる注意書きにウンウンと頷き、その最後に記されている言葉を自分に言い聞かせた。魔物も種族間の抗争も、ムウロがいれば関係の無いものだ。けれど、シエルは目を放さなくても罠に嵌まってしまうだろうと日の目を見るより明らかに予想出来た。
「罠ってあれかな?踏んだら足を縄で縛られて宙ぶらりんになる奴かな。それとも、網?紐に足が引っかかったら槍が飛んでくるとか、かな?」
ワクワクと楽しそうにしているシエル。
シエルには、後ろで不安そうに笑っているムウロの考えなど読めるわけもなく。自分が引っかかる可能性が高いことも頭に思い浮かべることも無く、ただ前に歩いていく。
「虫の魔物。蜘蛛に蟻に、そういえばラドルさんがムカデの大きなのを見たことがあるって言ってたよ。森を一周するくらいに大きかったって。そんなのは、嫌だなぁ。」
蜘蛛も蟻も嫌いではないシエルだったが、ムカデだけは駄目だった。
あの沢山ある足がワサワサと動く様子と、小さい頃に刺され物凄く痛かった事を覚えているせいだろう。あの時は、外で大泣きしているシエルに驚いて走ったヘクスの姿を見て、あのヘクスが表情を変えてはしていると村中が大騒ぎになったと最近聞かされた。そんな珍しい母の様子なら私もちょっと見たかったと今なら思うが、あの時はただ痛くて泣くしか出来なかったのだ。
道を進んで辿り着いたのは、丸太で作られた長方形の枠。支えも何もない状態で道の真ん中にポッツンと佇んでいた。
「これ?」
「枠の所に、第四階層へって書いてあるから、これなんだろうね。」
青年としては普通の身長があるムウロが背を伸ばして、手でなぞることで読み取れる木枠の文字を、シエルはムウロに脇を抱えられて持ち上げられて、ようやく読むことが出来た。
「本当だ。もっと下に書いてくれればいいのに。」
頬を膨らませて怒るシエル。しかし、シエルのような子供が第五階層に降りているなんて誰が想定するだろう。大人なのにシエル程の背しかない者も世界中を探せばいるだろうが、そんな者が大公の迷宮に挑む確立を考えると、シエルの見えやすい場所に書き込むことは、普通の冒険者たちにとっては読み辛い処か気づかないという状況になる。
「じゃあ、シエル。第四階層に行く前に問題です。ケンタウルス族とは?」
突然の問い掛けに、勢いよく木枠を潜ろうとしていたシエルは、片足を宙に浮かせた状態でピタリと止まり、頭を働かせる。
「えっと、上が人間で下が馬。お酒が好きで頭がいい。迷宮の中に住んでいるけど、丁寧に頼めば助けてくれる。」
客だった冒険者たちが助けられたと話していた事や、一緒に酒を飲み交わしたという話を思い出し、ムウロの質問に答えるシエル。
「うん。君らしい回答だよね。」




