謎に謎が続き
『勇者』と『魔王』が雌雄を決した、人と魔の存亡をかけたといっても過言ではない『大戦』。それが起こったのは、人の歴史においては遠い昔の事過ぎて記録もあやふや、それを記憶している人物などとうの昔に土の下へと旅立っている、それほどまでの年月が過ぎ去った過去の事。
魔族の側でも、人とは異なる寿命を持っている魔族の多くが、爵位持ちや元より長命な種族以外は幾つもの世代を重ねている程だ。
それを考えれば、いくらムウロの言葉とはいえ、それは到底信じ難い話でしかなかった。
「改めて。初めまして、お嬢さん。私はアウディーレ。何度か名前を少しだけ変えているのだけれど、今はアウディーレ・ヒルデと名乗っているわ。これは一番初めの名前でもあるから正真正銘、私自身を指した名前ということになるわね」
混乱から抜け出せないままのシエルに対し、アウディーレは自分が可笑しな事を言っているなどと思いもせず、飄々と笑顔を浮かべたまま自身の名を口にした。
自己紹介、というにも幾つもの可笑しな言葉が混じったそれに、シエルの混乱は晴れることなく増してしまう。
「ふふふ。本当にただの気紛れだったのだけど、この名前に戻して良かったわ。…本当に僥倖。運命とは本当に素晴らしいわ。この名前に戻してから、素晴らしい出会いと再会を得た」
アウディーレ・ヒルデであると名乗った彼女はジッとシエルに眼差しを向けているが、その言葉と目に宿る光はシエルと通し、何処か遠くを映している。
「本当に僥倖ね。我が大願が成就する日も近いという思し召しとして思えないわ」
うふふ、ともう一度笑ったアウディーレが一歩、シエルと、シエルを背に庇うムウロへと足を踏み近づけた。
「それ以上、近づくな」
悪びれる様子もなく、本当に気楽な姿を晒して近づいてきたアウディーレに、ムウロは冷たく忠告を放つ。
「まぁ酷い。私は可愛いその子とお茶でも飲んで、そうね、お友達になりたいだけよ?」
「化物の言う事を真に受けるとでも?」
「その化物というのも酷いと思うの。私はただ、我が大願が成就する日を願って、頑張っているだけなのに」
アウディーレは瞼を閉じる。
目を閉じ、微笑を浮かべたその姿は、荘厳な雰囲気を纏って祈りを捧げているかのような、そんな感想を抱かせるものだった。アウディーレという存在に親しみと恐怖を感じていたシエルでさえも、思わず何も考えることなく見惚れてしまう、そんな絵画の一場面のような光景がそこに生み出されていた。
大願が成就する日。
その言葉をアウディーレは二度、口にしている。それが何かは、出会ったばかりのシエルには分からないが、それでもアウディーレが強くそれを望み、切望しているということを理解させる強さがその二度の言葉にあった。
今も、目を閉じて。アウディーレは成就する光景を思い浮かべているんだとシエルは思った。
「あの女、『魔王』、そして『勇者』も。自分達の願いを叶えてみせたのよ?私もそれを、願って何が悪いの?その為に努力を続けている私を、どうして化物だなんて酷い言葉で貶めようとするのかしら?」
ゆっくりと瞼をあげ、そして心底理解出来ないと首を傾げてみせたアウディーレは、ムウロにクリーオ、自分を化物と言い放った二人に非難の音を含め、疑問として問い掛ける。
「お前の考えも、実際に行っていることも、何もかも全てが化物と呼んで相応しいものばかりだからに決まっているだろう!」
「そもそも、『大戦』から今に至るまで、しぶとく生き続けている事態。人間を名乗るべきじゃないと誰だって思うよ」
アウディーレの言葉に、クリーオは激昂をもって答え、ムウロも冷たい眼差しを突き刺して答えた。
化物、大願、…。
シエルには理解出来ない、考えても頭がぐるぐると回りに回り、混乱が混乱を呼んでいるような状況。
口を挟むことも出来ず、その成り行きを見守るしか出来なかった。
そもそも、この場所に向かう際にも疑問を一つ。ビアンカがクリーオに怒っている理由、という疑問を解明しようと来たのだ。クリーオに会えば分かる、そう言われてきたというのにその疑問を晴らす時間も無く、新しい疑問が次から次へと湧き出してきた。
これで混乱するなという方が無理からぬ事だと、シエルは主張する。
「ふふふ。私は人間よ?人間であるからこそ、魔を払う『勇者の欠片』をこの身に抱いている」
ほのかな燐光が灯った、アウディーレの左目。
シエルはそれが、『勇者の欠片』の一つ、『左目』であることを感じ取った。
でも、どうしてなのか理由を思いつくことは出来ないが、シエルは何だか違和感をその『左目』に、いや『勇者の欠片』を意識したというアウディーレの姿そのものに、感じていた。
「それと『狂情伯爵』クリーオ・フランク。貴方にだけは言われたくないわ」
シエルが違和感を覚えて、またまた混乱を増している中。
シエルへと向かい合っていた際に浮かべていた淡い微笑みを消し去ったアウディーレは、酷薄な笑みを口元に作り出し、蔑むような眼差しと共にクリーオへ吐き捨てる。
「我が子の体を切り刻み、自身の部品にしてしまうなんて。寄り集めの化物の浅ましいこと」
「…貴様を同列にするな。それの一体何が、貴様と同列にされる謂れがある」
低く搾り出す、抜き身の刃のような声でクリーオはアウディーレを睨みつけた。
否定する言葉は一切ない。
つまり、アウディーレのそれは間違ってはいないのだと。そう示しているのだと、あまりの衝撃に混乱していた頭が一瞬にして、アウディーレの指摘する言葉に占められたシエルは思った。
「子供の?」
ムウさん、とムウロの背中を突き尋ねれば、そうだよ、という言葉があっさりと返ってきた。
「クリーオの耳と尻尾」
見てご覧という言葉と指し示す指に釣られ、シエルはアウディーレに憤怒の表情で睨みつけているクリーオの頭の上とお尻の先に目を向けた。
白い三角の、狼の耳。もふもふと柔らかそうな毛並みの美しい尻尾。
「あれがビアンカ姉上が怒った理由。まぁ確かに怒るのは当たり前、理解出来ることだよね」
そう言うムウロの顔に浮かぶのは、ビアンカに同調しているという言葉の割りには怒ったものでも嘆くものでもなく、しょうがないなという言葉が出てきそうな苦笑だった。
「己の体を他の存在から得た体の一部分を用いて造り替えていくのは、彼が生まれついた種族の特性、習性みたいなもの。安易に否定する訳にはいかないよ」
その表情はどうしてなのか、というシエルの無言の問い掛けに、簡単に気づいてくれたムウロは苦笑を浮かべたままそれに答えた。
ビアンカ姉上の気持ちも分かるけど、と言いながらの説明は感情を抜きとすれば理解出来る、正論と呼べるものだろう。
「それに、」
眉を八の字の形に、口元に苦笑。
そうなんだ、とシエルが納得を示す相槌を打ちかけた時、ムウロはその言葉の続きを口にし始めた。




