かの女王
人の身をして、魔に属する者であるのでは?と噂される程の美しさを持つ者。
そんな存在が長い歴史の中にそう少なくない数、現れている。
その内の一人に、アウディーレ王国の女王の名が並ぶ。
アウディーレ王国の歴史は古い。
人と魔の大戦よりも前から、この世界の歴史にその名を刻んでいた。
魔王との戦いに身を投じる勇者への惜しみない助力など、大戦前後の歴史を紐解けば重要な役割を数多く果たした国として、そしれ大戦からこの方、一度もその名を損なうことなく在り続けたという事実に、この国は世界中の国と言う国から一目置かれている。
そんな国を治めるのは代々、女王である。
代々の女王は同じ名を名乗り、自国民以外へその姿を晒すことがない。そもそもにして、アウディーレ王国は自国と他国との行き来を厳しく制限している国である。輸出・輸入などは国境に面して一地域のみで限定的に許され、他国からの入国者には監視役が寄り添われる決まりになっている。自国民が国を出る事に関しては決まりというものは定められていないが、国を出ようと考える民が滅多には存在しないことから、その決まりを定めること事態に必要性がなかった。
自国の中でだけで満たされ、女王の下にあれることが幸せであるというのに。どうして他国になど行かねばならぬのか。
アウディーレ王国の、他国民と商売の上で関わることの多い地域の民は、他国の者に問われた時に決まってこう答えるのだと言う。
アウディーレ王国の民達は全員、女王を敬愛し、崇拝し、女王の民であれることを至高と考える。
これは純粋なアウディーレの民だけに留まらず、他国が王国と女王の秘密を探ろうと送り込んだ、実力に申し分のない暗部を生業とする者達にも及び、誰一人として自国へと戻ってくる者がいなかった。戻ってこない暗部へとなんとか接触を図れたとしても、全くの無傷、他になんの異常も見られない状態で、女王を讃える言葉を吐くようになっている。
女王の名は、アウディーレ。
アウディーレ・ヒルデ。
アウディーレ王国を統治することの出来るのは、この名を抱ける只一人だけである。
「女王アウディーレ。あれはとんでもない化け物っすからね」
寄せ集めの体を持つ、見るからに異形、魔族の中にあっても恐れられている異質な存在の一人であるバックが、苦々しい表情に笑みを作り、そう吐き捨てた。
「うちのボスもクリーオも、そして俺やうちの奴等全員、人だの魔族だのの体を好き勝手に付け替えしまくって大概に化物だけどよ。あれは俺達以上に化物って言っても、皆が納得してくれるってもんだよ」
こきんこきん、と首を左右に折りながら音を経て、バックはこれまでの疲れをシエル達に見せ付ける。
「化物。女王様…」
シエルがその言葉の真偽を問おうとムウロを見上げれば、シエルがそうするだろうと予想を立てていたムウロをしっかりと目が合い、ムウロの苦笑を浮かべての頷きを見ることになった。
「魔族側では有名な人だよ。勿論、人の側でも知っている者は知っている」
「…その女王様が、私と一緒の、『左目』を持っている人、なの?」
アウディーレ王国には『左目』が居ると、嫌そうな顔で『右目』を半分持っている帝国皇太子ブライアンは言っていた。
『勇者の欠片』を持つ者には魔に属する存在を完全に消滅させてしまえる力がある。
化物とはそういうことを含んでの言葉なのかと、シエルは考えた。
「そう。女王は『左目』の持ち主。でも、あれが化物と言われるのはその程度を指してという訳じゃないんだよね」
困った事に、とムウロは笑う。いや、口元は笑ってはいるものの、その目は怒りや嫌悪などの負の感情が渦巻いた恐ろしいものになっていた。
「そんなに、怖い人?」
「大丈夫。滅多なことでは自ら動く人間ではないから。シエルが会うことは無いよ」
と信じたい。
シエルのこれまでを考えると、考えたくもない可能性に辿り着く危険性は高いとは、ムウロも分かっている。
その危険を思えば地上に上がってしまうことは回避した方がいいとは思う。ブライアンはシエルならば感知されにくいだろうなどと言っていたが、人間達が考えている程に女王アウディーレは簡単な存在ではない。それは大戦の以前から、その存在を見知っているムウロには分かるのだ。
"鏡よ鏡"
大戦が始まる直前、ディアナと共に勇者側についた『魔女大公』アリアに会いに行った時に、勇者やその仲間達と遭遇した際に見た、そして聞いた女王アウディーレの存在は、忘れたくとも忘れられない。
あんなに怖いと思った女性を見たのは初めてだったというのも、それを忘れさせてはくれないのだろう。
母である『夜麗大公』ネージュに『桜竜大公』ユーリアなど持つ力の上で恐ろしいと感じる相手は幼い頃から何人も見てきている。『魔女大公』アリアだって、上の姉であるディアナもある意味ではムウロは恐ろしいと思っている。下の姉であるルージュも馬鹿だなと思う一方で恐ろしいと思う事もある。
ただ、女王アウディーレに感じた恐ろしさはそれらとはまた違う、怖気が走るという方向に恐ろしくたまらないものだった。
あまりシエルの近くに寄せたくはない存在だ。
「…最近。何を思ったか、此処につぎ込んでくる手数が一段と増えました。何とか、第二階層、第三階層辺りで持ちこたえてみせてはいますけどね。地上に出たら何がどうなるかなんて、いくらムウロ様でも分かったもんじゃないですよ?」
「どうする?」
「行く。頑張る!」
バックが問い掛け、その問いかけをそのままムウロはシエルへと向ける。
ムウロとバック、二人の視線を浴びることとなったシエルだったが、迷うことなく目に強い光を宿して頷いた。
そこにロゼが居る可能性があるのならば。
神聖皇国皇后殺害から始まった全てを解決する手助けが自分に出来るというのならば。
シエルは頑張りたいと思う。
勿論、自分一人では無理だと分かっている。
絶対に助けを貸して貰わないといけない、一緒であれば絶対に大丈夫だという信頼の強い、ムウロが良しと言ってくれている限りであるのだと、シエルは理解している。
強い意思を示す光で目を輝かせながら、それでも恐る恐るという様子で、シエルはムウロを見上げた。
「頑張るから。ムウさん、力を貸して…お願いします」
今までも苦労をかけたことは理解している。
その上で、シエルは今一度、しっかりとお願いしないと、と思うのだ。ムウロのその嫌そうな表情や、バックやブライアンの話、微かに胸の奥底に蠢く何とも言えない感覚に、今まで以上の迷惑、苦労、危険な目に合わせてしまうかもしれない、巻き込んでしまうと考えられた。
ふっ。ふふふ。
シエルの真剣なお願いに返ってきたのは、意外なことにムウロの、何とか抑えようと努力が窺える静かな笑い声だった。
「今更、じゃないかな?それは」
口元を抑えて暫くの間笑っていたムウロがようやっと口にしたのは、そんな言い分。
シエルが今までも、何事にも一生懸命に頑張っていたことも、ムウロが頼まれなくても手を貸していたことも、何もかもが真剣にお願いされるには今更過ぎる。勿論、シエルがシエルなりにこれからの事を考えて、真剣そのものの面持ちでお願いしてくるのだと、ムウロには簡単に読み取れることだったが。それでもムウロは、女王アウディーレの事を考えれば考えるだけ緊張に強張っていた気持ちが程よく解れ、笑いが込み上げてきたのだった。
「うん。大丈夫、大丈夫。あの女が何を仕出かしてこようが、シエルの事は僕が絶対に護るよ。頑張って、ロゼを見つけよう」
「ありがとう、ムウさん」
にっこりと、それまでの表情など一切忘れるように笑顔を浮かべ、ムウロはシエルに告げる。
それに答え、シエルも無意識の内に満面の笑顔が溢れ出し、口から出たムウロへのお礼の言葉には喜びが満たされていた。




