すれ違い
「ムウさん!出掛けよう!」
シエルがヘクスから痛いお叱りを受けて半刻程経った頃、まだ頬が薄っすらと赤く染めているシエルが、アルスと同じテーブルに座り、ジークが迷惑をかけたと出してきた食事を取っているムウロに突撃してきた。
眠気に負けそうになり線一本になっていたシエルの目はぱっちりと開けられ、くたびれていた服や赤頭巾をしっかりと整え直していた。
「お前、いきなり元気だな?もう眠くねぇのか?」
時々、目の前に座るムウロの皿から、ヒョイヒョイと手掴みで肉などを奪いながら、アルスはシエルのさっぱりとした様子に笑いを漏らした。
「うん。お父さん特製の眠気覚ましドリンク飲んだら、眠気なんてどっか行っちゃった。」
シエルが出てきたのは厨房。
現物を見ることは無かったが、あれだけ眠そうにしていたシエルがこんな状態になる。一体どんな材料で作ったらこんな効果が出るのだろうか、とムウロの好奇心が刺激された。
「でね、ムウさん。この届け物を早く届けに行きたいの。」
シエルがムウロに見せたのは、依頼が書かれた羊皮紙。
「人間側の神話が分かる絵本」「化粧品」「花の形をした髪飾り」「焼き菓子」「鞭」
シエルがエミルに協力して貰って街で揃えた物が並んでいた。
絵本を望んでいるのは、ケンタウロスの長。
化粧品を望んでいるのは、オークの女性。
髪飾りを望んでいるのは、コボルトの少女。
焼き菓子を望んでいるのは、吸血鬼の子供。
鞭を望んでいるのは、妖精族。
一応、全てムウロも面識のある集落ばかりだった。
人間に対しても、そんなに偏見や敵意を持っている者達でもない。
他の大公たちの迷宮に比べれば、『銀砕の迷宮』に住んでいる者たちには人間を絶対的に害悪を持つは少ない。けれど、少数ではあるが人間を見ただけで攻撃してくる者もいる為、シエルと共に行動するのなら警戒が必要になる。ムウロにとって敵にもならない者ばかりだが、シエルと僅かな間とはいえ一緒に行動して、油断は禁物だと心に刻んだのだ。
まぁ、こんな感じならトラブルもなく行けそうだね。普通なら。
楽な行程だな、と感じる心を戒め、けれどそれをシエルに悟られないように、ムウロは笑顔を作って頷いて見せた。
「うん。僕は別に何時でも行けるよ。でも、ゆっくり休憩しなくてもいいの?」
シエルは旅慣れない子供だ。
そんなに急ぐ依頼でもないだろうに、休憩もそこそこに、ヘクスやジークとの会話もそんなにすることもなく、どうして出発を急ごうというのか。
ムウロは、自分が子供だった遠い昔を思い出しながら、シエルに問い掛けた。
「なんか、そんな感じがしたの。」
色々と想像していたというのに、シエルから返ってきたのは予想の斜め上を行く答え。なんとも抽象的で理由のようで理由になっていないそれに、ムウロは思わず噴出してしまった。
「なに、それ?」
「う~ん。私でも分からないんだよね。でも、今すぐ出発しないとって思ったの。」
「いや、意味がわかんねぇ。」
「うん。分からないね。」
親子二人で頭を悩ませる。
女の勘ってやつか?
虫の知らせってやつかも。
そういや、勇者の奴も変に勘が良かったな。
じゃあ、それかな?
「うん。それじゃあ、シエルの勘を信じようか。」
遠い昔の記憶を探りながらアルスとムウロが頭を悩ませたが、答えは出ず。自分でも変だなと思い首を傾げているシエルに再度問い掛けても分かるわけもなく。
ムウロは、シエルの勘の通りに動いてみるのも楽しいか、と少し投げやりにシエルと一緒に家を出て、広場に居た村人たちと挨拶を交わしながら、村を出て行った。
ムウロとシエルの背中が村を囲む森の中に消えていく。
その後姿が消えた場所で、空間が僅かに歪む光景が見られた。
「おい!ヘクス!!ロゼとグレルが来たぞ!!」
シエルが出発して行った、少し後。
ジークが嫌がらせのように熱したお茶を、猫舌のアルスが飲めるようになったくらいの時間が経った頃、右手に弓を、左手に狩ったばかりで血が滴っている大柄の兎を持ったまま、狩人のラドルが食堂に駆け込んできた。
「えっ?」
ラドルの言葉に、休憩に一杯とジークと向かい合ってお茶を飲んでいたヘクスの手から、まだ熱いお茶の入ったコップが落ちていった。
目を大きく開けてラドルを見るヘクス。
椅子に座ったヘクスの膝では、手から落ちたコップから零れそうになっているお茶が空中で動きを止めている。咄嗟にアルスが魔術を使ってコップの周辺に時間だけを止めたのだ。人間が行なおうとすれば、魔力を根こそぎ、そして準備に数日かかるような魔術なのだが、アルスにとっては手を振る程度のことだった。アルスに先を越されたと、嫌そうな顔をしながらジークがヘクスの椅子を引き、お茶が零れ落ちてもヘクスにはかからないようにした。
ジークがヘクスを椅子ごと移動させた事を認めたアルスが時間の拘束を解く。
すると、コップとお茶が床に吸い込まれるように落ちていき、大きな音が食堂に響いた。
けれど、寝た子も起きるだろう音を聞いても、目を見開いてラドルを見たまま固まっているヘクスが動き出すことはなかった。
「ロゼ!グレル!!」
「フォルス、大丈夫だったか?」
村に入ってきた兵士たちの姿に、隠しながらも警戒を強め、何時でも武器を持って交戦できるようにと準備した村人たちだったが、兵士たちの先頭にいる三人の顔を見て、警戒を解いた。
面影がほんの少しだけ残る、懐かしいロゼとグレルの姿に年甲斐も無く飛びつき、抱き締めて、笑顔で囲む村の老人達。
まだ若く、王都や街にも頻繁に出掛けることのある村人たちは、二人と一緒に帰ってきたフォルスに駆け寄り、涙腺を緩ませて、フォルスの苦労を労っている。
前者は三人の兄弟たちを孫や弟子として可愛がっていた村人たち。
後者は、村の外で三人に会って、母や妹について質問攻めにあい、精神的苦痛や肉体的苦痛を被った村人たちだ。
「うわぁ。変わってないね。」
「うん。変わってない。」
ロゼとグレルの双子が、上機嫌にニコニコと村を見回し、村人たちの抱擁や歓迎を受け入れていく。その様子を見て、軍人達は目を白黒させ、どういう事なんだという呟きを漏らしていた。
部下達のそんな様子に、仕方が無いと苦笑を漏らしながら、ルーカスの目は集まってくる村人たちの中を巡り、会った頃には少女だったロゼとグレルの母親の姿を探していた。
「だ、団長。あの二人って、この村とどういう…」
意を決した軍人が、目を凝らして村の中を見ているルーカスの腕を触れ、軍人達が疑問に思っていることを代弁した。
「あの二人と、上のシリウスの故郷だ。なんだ、知らなかったのか?」
聞かれた事に簡単過ぎる説明を返したルーカスは首を傾げたが、そういえば御家の大事で秘密になってたな、と遠縁であるディクス家の本家の隣にある、アルゲートの一族を思い返す。
ルーカスには、始めて帝都で会った時から見通せていた三兄弟の本性や本心を知ろうともせず、三人を飼いならせると思ったアルゲート家にはルーカスは何度笑わせてもらった事か。
「し、知りませんよ。アルゲート家の当主ご夫妻の子じゃなかったんですか!?」
「当主の放逐された実弟の子供だ。偶然にも、その才能を知ったアルゲート家が無理矢理引き取ったんだよ。」
「えっと、つまり、それは…」
これまでの双子の行動と言動、そして任務などで一緒になって知った双子の性格を、ルーカスの説明と組み合わせ、勇気を出して質問した青年の顔は真っ青なものへと変わってしまった。
あの兄弟が、無理矢理動かされることを許すわけがない。
「アルゲートがこれ以上余計な事をしないように願うしかないな。」
「ま、まったくです。」




