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嘆息

暗く冷たい、乾いた空気が支配しているその空間には、一つの棺桶が人の腰ほどはある台の上に乗せられ置かれていた。


本来、この場には生きた人間は一人としていない筈だった。


それを前提として、この空間、地下に作られている完全に閉ざされている小さな部屋の中には、外とは比べ物にならない程の冷気が満たされている。

普通の人間は、雪が降り積もる真冬に高い山の頂上へ登るような装備を身に付けなければ数秒ももたない。そんな冷気が部屋に満たされているのには勿論、そうしなければならない訳があってのこと。


此処は遺体を安置しておく為の部屋だった。


この部屋の頭上、つまり地上に広がっているのは、それなりの規模を誇る大きな街て、周辺の町や村からも働き口を求めて人が押し寄せてくる。

この辺り一帯で一番大きなギルドが配置されていることから、他国からも冒険者や傭兵が訪れる。

それらの人々がこの街で亡くなった時、どうするのか。

そんな事を思案した領主が数代前に存在した。

そして作られたのが、この部屋だったのだ。

遺体をこの街の墓地に葬られるのは、移動に掛かる日数や気候、何よりも疫病などをばら蒔く可能性が高いことから許される訳がない。

だが、家族が居るものなら、その家族が死に顔を見て、最期の別れをしたいと考えるかも知れない。

その領主はそう考えた。

既知の魔術師に依頼し、死体が腐ることなく姿を留めていられてる部屋、というものを作らせた。魔術師はその依頼を受け、腐敗を進める湿気や卵を植えつけようとする虫などを排除するよう、何より遺体を目にして気分を害す人が出ないように、用がある者しか出入りしない地下の部屋を用意させ、その上で遺体を保存する為の冷気を放つ魔道具を部屋に埋め込んだ。

それから数十年、この部屋は多くの人の亡骸を安置し、幾人もの別れの言葉と涙を聞き続けてきた。


そして、今もまた。


「まったく、お前って子は」


棺桶が置かれた台座に腰掛け、投げ出された足を優雅に組み、その上半身は棺桶にしな垂れかかっている。

その不安定な体勢だというのに、女性の細い腕一本で、いとも簡単に大きく重たい、大の大人でも二人や三人掛りで持ち上げをする棺桶の蓋を開け、放り投げてみせた。

そして、大きな嘆息と共に呆れた声を、自分が開け放った棺桶の中へと落としたのだ。


光源は何一つない、真っ暗な部屋だというのに、その人の姿だけは浮かび上がるようにはっきりと見える。薄紅色の髪を腰掛ける台座の下へと垂れ下がらせ、豊満な肢体を色めかせて棺桶に身を任せている。その艶やかな髪の色と同じ燐光が蛍の光のように周囲を上へ下へと浮遊させ、その中に浮かぶ棺桶の中身を見つめる金色の、縦長の瞳孔を持った瞳が、彼女が人では無いと示していた。


呆れの中に、慈愛を湛え。

30歳に届くか届かないかの年齢に見える美しい容姿を持つ女性は、棺桶の中に静かに横たわっている自分よりも年嵩の、くたびれた感じもある男の遺体を、じっと、その内側まで見透かしてしまおうという目で見つめていた。


「やはり、中身は居らぬか」

まったく馬鹿息子めが。


人の世界で公には死んだとされたせいで、動こうにも動けなくなっているやも。

そんな馬鹿げた事もやりかねない、間抜けな息子をからかい、そして助けて恩に着せてやろうと、足を向けた母ユーリアの心配は杞憂に終わったようだ。

だが、それはまた、新たな心配、頭痛の種を彼女に知らせるものだった。


では中身は何処に?


これでは死んでも仕方無いという損傷を受けている人間の体ではない、ユーリアが卵として産み落とした生粋の竜としての体は、間抜けなことに随分と前に盗まれている。そのありかは今だ、つかめてはいなかった。

本来、魂は自分の体と強く繋がり、何かの拍子に魂が体から離れてしまっても自然と戻っていくものだ。

これは常々、体を次から次へと新しいものに変えていく同胞、『死人大公』フレイが口にしている持論だった。

だが、これまでどれだけ挑戦しても自分の体に帰れなかった、とクインは言っていた。

クインの体が死んだり、消失している訳ではない。それならば、そうと気づくはずだからだ。

何処かに大きな力を用いて隠されているのだろう、とクインにしても、話を聞いたユーリアにしても予想している。そんな状態に置かれている体に、仮初にしている人間の体が駄目になったからといって、これまでの苦労や努力をあっさりと否定して、戻れるものなのか。

ユーリアはそうは思わない。


「まったく、いい年をして迷子なのかしら。…一体、誰に似たのかしら、あの能天気は」


私である訳が無い。

では父親か?

いや、大戦で勇猛に戦い、勇者の薫陶を受けて多くの魔族を狩っていた多くの戦士達を道連れにして果てた男も、クインのあの性格や間抜けさを持っていたとは思えない。

ならば、卵の時代に身を置いていた『魔女大公』の箱庭が原因か?


そんな事を考えながら、ユーリアはクスクスと笑いを零した。


そんな事を考えるのも無意味か、と。


「私も、我が同胞達、フレイにアルス、ガルスト、ロキも。ネージュはそう変わりは無いだろうな元からあぁであったのだから。あの血肉が湧き踊る大戦の頃を思えば、大人しく、可愛げを見せるようになったものよ。魔界もくだらぬものが流行ったり、種族を超えて友誼を深めたり。それを思えば、あれの腑抜けさも、時代の流れとも言えるやも知れぬな」


ユーリアは懐かしい昔に思いを馳せた。

大戦直後の魔界はもっと殺伐とし、親子、兄弟、信頼しあった同族、友人同士であっても、血を血で洗う戦いを繰り広げたものだ。

それが今では、女は種族の枠を超えて共通の趣味を得て興じているし、男共も種族を越え、時には人間とさえも友情を築き、お気楽に生きること。

大公の中で最も凶悪で危険であった『死人大公』でさえも、今では子や孫に囲まれて、あの頃では想像も出来ない姿を見せている。


「陛下が消えたのだ。それも仕方無いことではあるな」


破壊の神子。

破壊の意思を背負って生れ落ちた魔王が、勇者との戦いに敗れ、消えることとなった大戦。

あれが境であった、とユーリアは笑う。

魔族を突き動かしていた、破壊衝動はあの時から段々と薄れていっているとユーリアは考える。

このままいけば、地上と魔界を隔たり、力あるモノを地上へは向かわせないようにしている壁も、その必要がなくなる時もあるのではないか。

不死に近いユーリアならば、それを見ることもあるやも知れない。そう考えると、ユーリアは楽しみだと思えた。


「さて、その未来をもっと楽しむ為にも、不肖の馬鹿息子を探し出し、嫁殿もどうにかして助けてやらねばなるまいな」


ユーリアは理解している。

紹介はまだではあるが、息子の選んだ嫁である娘が、自らの意思で動いてはいないということを。それが何かは、直接見ていない今はまだ分からない。だが、息子の嫁ならば、ユーリアにとっては娘も同じ。

竜は己の宝を護る為に命をかけ、全力を尽くす生き物だ。

息子も嫁も、我が手の中に取り戻し、大切に大切に抱え込んでしまおう。


ふわり


ユーリアは笑みを深め、棺桶の中に横たわる息子の体に使われ、その匂いが染み付いているモノ言わぬ冷たい体の頬を一撫ですると、腰掛けていた台座から飛び降りた。

かつん

ユーリアが履いていたヒールが石造りの床に降り立ち、甲高い音を立てた。

その音の余韻は何度も何度も、部屋の中に跳ね、ユーリアの耳を楽しませる。


ふと、ユーリアは床と同じ石を組んで築かれている天井を見上げた。


黄金の目が、より瞳孔を細め、淡い光さえ放つ。


「おや、面白い男が来ているね。…協力を願おうか」

久方ぶりの地上。

実をいえば、ユーリアの知る昔からは大きく変わった地上の光景に、右も左も分からない事も多い。

つい最近に、息子が一人暮らしをしている家を訪ねた際は、己が管理する迷宮から出て真っ直ぐに向かった為、他には何も構っていなかった。

ならば、地上をよく知る誰かに行動を共にさせればいいな。

天井の先の地上に感じ取った、頼りになりそうな人間の気配と力に、ユーリアは「私は運が良いな」と艶やかに笑う。



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