ただいま おかえり
「ただいま~」
丁度、村人たちが昼食にでもしようと思い始めた頃。
だらだらと、大人よりも大きな狼の背中に寝転びながら村に入ってきたシエルの姿に、広場に出ていた村人たちは驚き、狼の体を叩いてシエルを下ろさせる者、家や食堂で昼食を食べ始めている村人たちを呼びに行く者で、村の広場は騒がしくなった。
「ちょ、シエル!?どうしたの、怪我?病気?」
地面に降りてもまだ、ぼんやりとした顔をしているシエルを、洋裁屋のリアラが心配そうに覗き込み、その全身を見渡して怪我が無いかを確かめていく。
「落ち着いて、お姉さん。ただの寝不足だから。」
集まってきた村人たちの人垣の中心で、シエルの体を見ていくリアラの肩を叩き、人型に変じたムウロが困り顔で理由を説明した。
朝日が昇る頃に起きてきたシエルは頭をフラフラ、目をショボショボと明らかに寝不足な様子だった。ムウロが、夜寝るのを邪魔した自覚があった事から出発を遅らせてもいいから昼まで寝てなよ、とシエルに伝えたのだが、ちゃんと前を見ているのかも怪しい閉じかけの目で、首を横に振って出発すると言い張った。その理由が「お母さんに怒られるから。」というものだったのには、ムウロも驚いた。なんでも、ヘクスにも夜に話をしているディアナの事は知られていて、夜に盛り上がり過ぎて寝不足になって怒られた事があったのだそうだ。
そんな顔で帰ったって怒られるんじゃないかな、とムウロは思ったが、そういった普通の家庭とか親子の光景を今までに近くで見たことが無かったなと思い至り、面白そうなので見学しようと好奇心を優先させた。
「誰?」
「こちらで御迷惑をおかけしているアルスの息子のムウロです。」
村が迷宮に組み込まれた初日に、広場に現れたムウロからの説明を、徹夜の仕事が終わり家で寝ていて聞いていなかったリアラは、首を傾げて自分の肩に手を置くムウロの顔を見上げた。
リアラの反応に、あれ?と思ったムウロだったが、まぁ見ていなかった村人だって居ただろうなと結論付け、頭を少し下げて挨拶をした。
「あっ、もしかして『灰牙伯』ってやつ?」
「うん。それだよ。よろしくね。」
頭の頂上から足の先まで。
リアラはムウロの全身を嘗め回すように観察し、溜息をついた。
「好みじゃないわ。」
「えっ?」
怪しい目を向けられた上に、突然過ぎる言葉。言っている意味は何となく理解し、ムウロの側にもその意思は無いのだが、一方的に突きつけられると少しショックなものだとムウロは肩を落とした。
「お前、そんな事言ってるから妹に先を越されるんだよ」
「おうよ。伯爵だぜ?顔もいいし、地位もあって、多分財産だってある。選んでられる年齢じゃないんだから、妥協ってもんをよ。」
段々と雲行きが怪しくなるリアラの周囲から、村人たちが後ずさりで離れていく。
その様子に気づいたムウロは、立ったまま眠り始めていたシエルを抱え、村人たちと同じように素早く、かつ音を立てないように、その場を離れた。
「ムウロ、お前反抗期になったのか?」
完全に眠ってしまったシエルを抱え、ムウロはシエルの家である宿屋へと向かった。そして、お邪魔しますと律儀に誰も居ない宿屋の玄関を潜ると、人の気配が感じられる食堂へ足を向けた。
昼食の途中で広場に駆けつけた村人がいたのか、幾つかのテーブルの上には食べかけの食事が湯気を立てていた。残っている数人の村人たちの中に、相変わらず顔を赤らめて酔っ払うアルスの姿をムウロは見つけた。
アルスもムウロが近づいてきているのに気づいていたらしく、よぉっと手を振り、来い来いと手招きしてムウロを自分のテーブルに呼び寄せた。
そして、近づいたムウロに向かって言った言葉が、「反抗期になったのか?」というものだった。
はっ?と首を傾げるしかないムウロ。
「いや、だってな。子供が親からの連絡を拒否するのは反抗期だって、ヘクスが見せてくれた子育て本ってのに書いてあったからよ。」
「それって、もしかしなくても父上からの連絡を僕が拒否したってこと?」
「落とし穴の後、何回か話聞こうと思って連絡したんだぞ?」
「連絡とか来たら面倒くさいなって水晶玉捨てたからね。」
こんな父親っぽい事を言う姿に違和感を感じ、全身がむず痒くなったムウロだった。
「シエル。」
厨房から出てきたヘクスが、ムウロに抱えられているシエルに足早に近づいた。
「どうしたの?」
「寝てるだけなんで、ご安心下さい。」
寝入っているシエルに眉を顰めるヘクスに、ムウロが鮮やかな笑顔を作り、シエルを何処に運ぼうかと尋ねた。
「どうして?」
「ちょっと夜が遅くなって寝不足で。」
ムウロの問い掛けに返事をせず、シエルが寝ている理由を尋ねるヘクス。ジッと向けられたヘクスの目にムウロは強い光を感じた。
「そう、またディアナちゃんと話込んでいたのね。」
まったく、と無表情のまま低い声で呟き、シエルの両頬をヘクスは両手で挟みこむように叩き、眠り込んでいるシエルを、文字通り叩き起こした。
「ふぇ!?」
痛みと音で目を覚ましたシエル。
ヘクスの行動に驚く、ムウロとアルス。
「眠たいのは自業自得。夜まで寝ちゃ駄目よ?前にも言ったでしょ?」
ヘクスは、シエルがまた眠ろうとしたら叩けるように、と両手を持ち上げたまま、シエルの反応を待った。突然起こされた反応の鈍いシエルの頭だったが、ヘクスに夜更かしを怒られた時に言われた事はすぐに思い出せたので、うんうんと首を縦に振り、両頬を擦りながら、ヘクスに謝った。
「あぁ、ビックリした。ヘクス、お前意外に躾がすげぇな。」
本当に驚いたようで、アルスとムウロの頭には耳が生えていた。
その耳をピクピクと動かしている。
「子育ての本に、悪い事はちゃんと叱るって書いてあったもの。夜更かしも子供の成長に悪いって。」
「あぁ、さっきの本ね。」
ムウロにシエルの様子を聞こうとした連絡が拒否され、あれぇと頭を捻っていたアルスにヘクスが手渡した本。ヘクスが上の三兄弟の時にも、シエルの時にも参考にした子育て本の内容をアルスは思い出した。
「でも、俺ん所の一番上も、ちゃんと叱って育てたんだけど、変な方向に突っ走った奴になっちまったけどな。」
アルスが思い浮かべたのは、自身の長男の事。
実力があるくせに、そんなものには興味が無いと自分から力を封じて落とし穴作りに没頭しているケイブ。昨日、シエルが落とし穴に落とされたとムウロから連絡があり、久しぶりに会うのもいいなと見に行ったが相変わらずな様子で、楽しそうに穴を掘っていた。
アルスは叱ったと表現したが、話を聞いて知っているムウロは、そんな可愛らしい表現で済まされないものだと知っている。多分、ケイブの事を思い起こしているアルスの背中に、ムウロは苦々しい笑いを向けた。
「そうだ、父上。姉さんの事、知ってたの?」
「はぁ?姉さんって、ルージュの事か?」
「そんな訳ないだろ。ディアナ姉さんの事だよ。」
「いや?見つかったのか?」
シエルの寝不足の原因である、行方知れずだった長姉の話を持ち出した。
もしも、シエルとディアナの関係をアルスが知っていたというのなら、吸血鬼と魔狼の戦争が始まるかも知れない。そうなっても仕方ない程、吸血鬼たちは、いや女王である母の代わりに現在吸血鬼族を纏めている長兄レイはディアナの事を心配し、探していたのだ。
「シエルの、『遠話』を使って仲良くなった友達が、姉さんだったんだ。」
「…すげぇな。世間って狭い。」
その反応に、聞くまでもなくアルスは知らなかったようだと判断し、自分がどちらに付けばいいのか分からない戦争が回避され、ムウロはホッと息を付いた。




