表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
317/364

彼から彼女への願い事

「という訳で、君に御願いがあって来たんだ」


にっこりと鮮やかに笑ってみせるブライアンが突然、本来ならば訪れることの無いであろうこの場所に現れた。

コツン、そんな音を立てて床に足を降ろし、そして最初からそうすると決めていたのだろう、すぐにシエルへと顔を向けて言い放った。

だが、シエルはそれをきょとんと、瞬きを数回繰り返して首を傾げるしか出来ない。


という訳でってどういう事?


突然現れて、そんな事を言われても理解出来る訳はない。

「あれ?話はまだ、聞いてない?」

戸惑うシエル、そして眉を顰めて自分を注視してくる人々の表情を読み、ブライアンはおや?と笑みを深め、それを指示していた近衛騎士達に顔を向ける。

まだ?と声なく尋ねる皇太子に対し、平然とした顔でこくりと首を縦に振ってみせた。指示されていた事を成していなかった、その事を指摘されているというのに、慌てるわけでも、自身の言い分を展開するわけでもないのだから、この二人は肝が座っているといえばいいのだろうか。それとも、ブライアンのその指示はそれ程重要では無かったということなのか。


「そうか。うん、まぁそこは説明しなくてもいいことだから置いておくとしよう」


という訳で、という部分。ブライアンはあっさりと説明を放棄した。

そして、さくさくと次に話を進めていく。

「ロゼの捜索にシエル嬢、君の助けが必要なんだ」

「お姉ちゃんを?」

瞬きをパチパチと二度。シエルがブライアンの言葉を理解するのに掛かったのは、それだけだった。理解、といえるものではないかも知れない。ただ"ロゼを探す"という言葉だけをシエルは理解した。その中に含まれている意味も、思惑も何もかも、そんなことはシエルには重要ではないのだ。ただただ、ロゼを探したいというだけの気持ちがシエルを突き動かした。


「うん。何をしたらいいの?」


「シエル」

ぐいっとブライアンに近づいて聞こうとしたシエルに、すぐさまムウロの注意が飛ぶ。

「だって…」

「せめて理由とか、何をさせられようとしているのかを聞いてから、返事しろ」

ジークもまた、父親らしくシエルを叱った。

始めに注意する言葉はムウロに先を越されてしまったが、それでも一言でも言っておかなければと思ったらしい。


「それと」


シエルを柔らかくも叱ったジークは、そのまま視線をブライアンへと移し、そして…。

「こいつにはまず、これをしとかないとな!」

ゴンッ

それはそれは、凄まじい音だった。

もちろん、足を悪くしているジークの拳の威力など元・冒険者とはいえ、現役の時に比べれば酷く落ちたもので、人を殺したり、再起不能にするなどの効力があるなんてことは無い。

だが、その音と光景だけで周囲の、全員の度肝を一瞬とはいえ奪うことは成功するものだった。

その音が発生したのは、ブライアンの頭の頂点。

ジークが勢いよく振り下ろした拳が、ブライアンのそこに接触することで発生した音だった。

痛みに声を失い、手で頭を押さえるブライアン。ジークもまた、思いっきり振り下ろしたことで拳に痛みが生まれたのだろう、手をヒラヒラと振って痛みを発散させるような動きを見せる。その時のジークの表情は、とても満足している、後悔など一切無いものだった。


「なんだ、動かねぇのか?」


満足げな笑みを口元に浮かべたまま、ジークが目を向けたのは二人の近衛騎士、イヴァンとソウ。

イヴァンは皇帝の近衛であるから、動かない可能性も無いことは無いが、ソウは皇太子の、つまりブライアンを何に代えてでも護るべき騎士だ。本来であるのなら、ジークが拳を振り下ろそうとした瞬間、いや不穏な空気を垂れ流してジークが近づいた瞬間に、ブライアンを護る体勢に移り、ジークを切り伏せていなければならない。だというのに、こうしてブライアンの事を殴った後にもジークは平穏無事に、生きている。

「殿下から指示は受けていましたから」

ジークに答え、ソウは笑みを浮かべたまま口を開く。ブライアンを気遣う様子を見せることはなく、その手も背中へと回されて、腰の剣の柄に一切触れてもいなかった。


「父親である貴方からの怒りは、受けていないままだったからね。こうなることは分かっていましたよ」


痛みが過ぎ去ったのだろう、ブライアンが頭から手を離し、僅かに俯いていた頭を持ち上げた時には表情はすっかりと整っているものだった。

平然、痛みなんて全くなかった、などという想いを表現している表情で、ブライアンはジークを真っ直ぐに見据える。


「シエル嬢を突然、帝都へと連れ去ったこと、申し訳…」


「ん」


もう一度、ゴスッと音が生まれた。

今度のそれは、ブライアンの腹から。音を生んだのはまた、ジークの拳。

先程までよりも、もっと柔らかく緩んで見えるジークの口元からは、その攻撃が繰り出されることを誰も想像も出来なかった。


「ジーク」


さすがに、何か思うところが生まれたのだろう。ヘクスからジークへ、咎めるような音を秘めた声が飛んだ。

ヘクスはもうすでに、ブライアンの謝罪を受け入れている。頬に一発、そして願いを聞き届けて貰うという代価で、だ。

そして、ヘクス以外の誰もが、ブライアンが殴られ、謝罪の言葉を発した時点でその話は終わると思っていた。いや、娘が突然に目の前で消えてしまうという体験が、一度二度のそれで収まるものではないとは思わないでもない。だが、それでもジークの、その柔らかく緩まった表情に油断していた。


「これは頼まれた分だ」


だから俺は悪くないからな。

その言い訳の言葉は、殴られたブライアンではなく、愛妻へと向けられた。

「頼まれた?誰に、お父さん?」

「シャラ、こいつの母親に」」

シエルの問いに、ジークはあっさりと答えた。

「やっぱり、母さんと連絡を取り合っているのか」

イタタタッと腹を擦りながら、ブライアンはジークを見つめた。先程は動かなかったソウが今度は、ブライアンの少し前のめりになった肩に手を回し、支える仕草を見せる。


「いや。連絡を取り合ってるっていうか、今回はあっちから無理矢理連絡が来たんだ」


それが届いたのは、シエルが帝都へと連れ去られ、ヘクスもそれを追って向かった直後のことだった。

まるで、それが起こることを知っていたかのようなタイミングで届いた手紙にはただ一言、「私の代わりに、人様に迷惑を掛けた息子に一発。頼む」とシャラの名前と共に書かれていた。

久しぶりの連絡だというのに、挨拶も近況も何もない、素っ気無いそれだけの内容。しかも、それを例え帝都に出て行ったとしても実行出来そうに無いその要件に、呆れて溜息もついた。

だが、こうしてその機会がやって来た。自分が出向かずとも、相手から飛び込んできた。

これはもう、実行するしかあるまい。

というのが、ジークがヘクスへの説明だった。

「ってことで、あいつの居場所は一切分からないからな。聞いたって無駄だぞ」

ヘクスにだけ視線も言葉も向かっていたジークだったが、一応ブライアンの事も忘れてはいなかった。ヘクスへとの説明が終わると、その言葉に続けるようにしてブライアンへ釘を刺す。


「それで、こいつに何をさせようって?」


ジークはその勢いのまま、話を元へと戻した。

ブライアンが何を、シエルに頼もうとしているのか。

危険かもしれない、厄介なことかもしれない、本当ならば頼み事など聞く耳を持つことなく、さっさと断って追い返すべきだろう。

だが、ブライアンはロゼの為と言った。彼女の捜索の為、と。

そういったことで、ブライアンが嘘を言うことは無い。それくらいの信頼はあった。安易な嘘は、立場を持つ者を殺す毒にもなりかねないと彼は教育を受けている筈だ。安易ではない、完全に騙すことの出来る嘘や後々撤回、ごまかしを効かせることの出来る嘘のつき方ならば教育を受けているのだろうが、今のブライアンにその様子は見て取れない。

だから、その頼みは本当に、ロゼの捜索の為なのだろう。

ならば、ジークがそれを拒否することは出来ない。ジークはロゼからすれば、継父でしかない。捜索の為という言葉を拒否出来るとしたら、それは母親であるヘクスが、妹であるシエルだけだ。


「簡単に捜索出来そうに無い、ある場所に行って欲しい」


帝国にも、神聖皇国でも、足を踏み入れることの出来ない国がある。

シエルならば其処に簡単に入る事が出来、その国の中でロゼを探すことも出来るのだ、と。


何より、その後に続いたブライアンの言葉は強力だった。

「其処にロゼの居る可能性は、他の何処よりも高い」


「うん、行く。行きたい」


お願い、と。

シエルの言葉はムウロへと向けられた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ