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母と子の絆

《ごめんなさい。私が死んでいるばかりに、公にロゼさんを庇うことも出来ない》

何だかおかしな言葉だ。

だが、ディアナのその声は極々真面目で、真剣に、申し訳ない気持ちをありありと含まれていることが伝わるものだった。

《でも、これだけははっきりと、誰に対してであろうと宣言することが出来るわ。彼女は彼女ではなかった、と。私の全てを賭けてもいいわ》

だから、とディアナの声はそれまで以上にはっきりと、力強いものになった。

《カルロにも、そしてレイにも、彼女を傷つけることが無いようにと命じました。極力傷つけることなく捕らえ、私の下へ連れて来てくれるように》


私を信じて欲しいとディアナは言った。

絶対に助けるから、と。


《--を引き離す事が可能なのは私くらいですもの》


引き絞るような声だった。そんな悲痛な声で、ロゼをロゼでは無くしている存在を、きっとディアナは口にしたのだと思われる。だが、その部分だけは何故か、シエルの『耳』にも届くことが無かった。

聞こえなかったものの、ディアナがそれが何であるかを知っていることは知れた。

それは何、とシエルは聞こうとした。

《姉上。これ以上は御体に障ります。まだ完全ではないのですから。以後は全て、私とカルロにお任せ下さい。姉上はゆっくりと、母上と私による護りを敷きました城にて、御体を休めることに専念なさって下さいな。すでに、姉上が過ごし易いように御部屋の準備も整っております》

シエルが声を発するよりも前に、レイの声が聞こえてきた。

「母上と兄上のって、姉さん、魔界に戻るの?」

《皇太后は死んだのだ。姉上が留まる必要は無かろう》

ムウロの問い掛けに、ディアナではなく、レイが答える。しかも、それは聞き間違えようの無い程の、嬉々とした響きを含んでいる声だった。


あぁ、これか。

ムウロは疑念に感じていた事の正体を察した。

シエルの『遠話』に応じたディアナの声と共に聞こえてきたレイの声。それに最初から含まれていた、隠そうにも隠しきれていない蕩けるような悦びの感情。

何よりも愛する姉を傷つけられたというのに、怒りよりも何よりも多く感じ取れたその感情の意味を、この場の誰よりも彼に近しく、長い時間を共に過ごしてきた弟であるムウロはそれを察し、深い深い溜息を吐き出し、軽く眩暈を感じたのだった。


姉さんが傷ついた事よりも、姉さんが自分の下に帰る悦びの方が勝ったっていうことか。


兄のあまりな考えに、ムウロはがっくりと虚脱感に襲われる。

おかしいと思っていたのだ。

ディアナを傷つけた相手、しかも話を聞く限りには死んでしまうような目に合わせた存在を、レイが放っておくわけがない。その咎はその親族にまで及ぶ、それが今までムウロが見てきた兄の在り方だった。

それを穏やかな声で、その妹であるシエルと今までと変わらない様子で言葉は交わし…。

ムウロの脳裏に、にやにやと悦びに緩む表情を必死に堪えてみせる兄の姿が浮かんだ。


だが、

ムウロはある事が引っかかった。

「姉さんは確か、あの国の勇者が残した秘術を肩代わりしてたよね?」

それなのに魔界に戻っても大丈夫なのか。

魔族であるのならば、魔のモノを退ける神聖皇国は忌むべきもの。その国を護る、ひいては地上を忌まわしい光の力で護っている秘術はあるよりは無い方がいいものだ。だから、ムウロがそれを指摘して、まるで秘術の喪失を危惧しているかのような態度は、多くの魔族からすると裏切りのようにも映るかも知れない。だが、それ程ムウロは今の状況を憂いてはいない為、秘術の喪失などどうでもいいことだった。

《ふん。元は神聖皇帝が背負うべきものであろう。姉上はただ、その優しさから担っていたに過ぎん。本来背負う筈のカルロに役目が戻るだけのこと。私はカルロがその程度のことを背負えぬなどとは思っていない。なにせ、姉上の子で、私の甥だ。きっとやり遂げてみせると、信じている!》

力強いレイの声は、聞くものを奮い立たせる力を持っていた。

魔界の一勢力を率いてきた男のカリスマ性というものが多大に含まれているのだ、その威力は絶大だろう。

だが、その言葉の裏に、ディアナを連れ戻す、という隠しきれていない望みがはっきりと見て取れたムウロには、その力は通用しようも無かった。


《--はもう目的を果たしたから、私を狙うなんてことは無いと思うのだけど。でも、レイも、カルロまでそうしろと言うのよ》

また、その言葉だけが聞こえない。

《まぁ、元々そろそろだとは思っていたのよ?人の時間からいえば、私があの子の母親として居られるのは後僅かだって。でも、まさか、こんな風に終わるなんて思ってもみなかったわ》

ビックリしちゃった、とディアナの声は穏やかなものだった。

でも、それに続いた、仕方無い事なのよ、という呟きには穏やかさの中に、悲しく落ち込む様子が聞き取れた。


「ごめんね、ディアナちゃん」


ディアナが悲しむ、予定にしていなかった別れをもたらしたのは、シエルの姉であるロゼ。ロゼ本人ではないとは言ってはくれているが、それを疑うつもりは一切無いシエルだったが、それでもディアナのその声につい謝っていた。

《いやだ、シエルちゃん。何も謝ることは無いのに。大丈夫、ついつい引き伸ばしていた子離れが済んだと思えば、大丈夫よ》

これからは遠くから、あの子のことを見守るわ。


「まぁ、二度と会えない訳じゃないんだから。そこまで悲観することはねぇだろ」


ディアナの言葉にしんみりとした空気に包まれた。

が、それを今まで音を立てずに場を見守っていたジークがあっさりと引き裂いた。

「お父さん?」

《えっ?》

「だって、そうだろ。皇太后としては死んだかも知れねぇが、実際は生きてるんだ。生きてる限りは、母親と子供の絆なんて切れねぇよ。魔界とあの国で連絡が取り難いっていうんなら、お前が助けてやれば良い事だろ?」

違うのか、と父親に言われ、シエルは「そっか」と目をパチクリ。ディアナからも、《まぁ!》と明るい驚きの声が聞こえた。


ディアナはすっかりと勘違いしていたのだ。

長らく、息子が生まれる前からその立場にあった事で、母親という立場と皇太后という立場が同じ、寄り添うものだという勘違いを。

だからこそ、自分はもう息子に関わることが出来ないのだと思い込み、落ち込んでいた。皇太后が殺害されたから忙しさに駆け巡る息子や身近な者達にそれを零すことが出来なかったのも、その勘違いを持ち続けてしまった原因だった。

その勘違いを、ジークが消し去った。

しかも、立場的にも、場所的にも、しばらくは疎遠になるしかないディアナとカルロを繋ぐ手段さえも提示して。


「うん!私、何時でもディアナちゃんとカルロさんを繋ぐよ!」

満面の笑顔で、シエルは任せてと言い切った。

シエルもまた、ディアナの落ち込んだ声に勘違いしてしまっていた。父親による言葉でディアナを励ますことが出来ると知れば、それを否定するつもりはない。

《…本当?御願いしてもいいかしら、シエルちゃん》

「大丈夫。何時でも言ってね」


嬉しい、とディアナの震える声が全員の耳を打った。






「ジークさん」

良かったね、とシエルがディアナに声をかけている最中、ムウロが小さな声でジークへ話しかけた。

音も、気配もなく近づいてきたムウロに驚いたジークだったが、表面上は平静を装い「なんだ」と答えた。

「しばらくは身の回りに注意しておいた方がいいですよ」

平静を装っていたジークだったが、ムウロの率直で物騒な言葉に目を丸めた。

「はっ?」

「この流れは絶対に、あの兄上の望むところでは無かったので」

実をいえば、ムウロも姉の勘違いには気づいていた。

それを正そうとしなかったのは、これをもって地上との縁を切ってしまおうと、そう考えているであろう兄の想像したからだ。姉や、カルロには申し訳ないことではあるが、姉が関わった際の兄に逆らうのは極力避けたかった。

「…蛇よりも執念深い、とラミア族を始めとした蛇の性を持った者達に賞賛を通り越して恐れられている兄のことのなので。もしかしたら、死ぬまで危険かも知れないけど…。この迷宮に居る限りは、きっと大丈夫だとは思うんですが…」

煮え切らないムウロの言葉に、ジークは叫んだ。

「ちょっと待て!!」

と。


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