塩 酒 それは消毒。
「それで、一応聞いてあげるようか、何があったのか」
足にしがみ付いてくるマリオットに、ムウロは仕方無いと再び指を鳴らして魔術を発動し、水を呼び寄せた。先程よりも多くの水がマリオットの上に浮かび、そして滝のように痛みに悶えている身体を降り注ぐ。今度はマリオットも痛みを訴える悲鳴を上げることなく、逆に歓喜の声を上げて一生懸命、特に痛かったのだろう傷の多い場所を降り注ぐ水に晒していた。
「いやぁさ~、ムウロ兄が俺をあれに無理矢理触れさせたじゃん?そしたら、アエーシュマ侯爵の、寝台があってその上で団子になってたから寝室でいいかな、に入っちゃったわけぇ。でぇ、此処から出して、ってお願いしたんだぁ。そうしたら、なんでか知らないけど、アエーシュマ侯爵、暴走しちゃってぇ」
此処は自分の迷宮なのだからって嫌なものは排除してくれる。
悲鳴などをあげるアエーシュマからマリオットが読み取れた言葉を纏めるとそんな感じになったらしい。アエーシュマとマリオット、そして寝台しか無い薄暗い空間の中では何があったのか知る術は何も無かったが、その言葉に迷宮の中で何かが起こってしまったことくらいは予想がついた。
やばい。
マリオットはそう思ったらしい。
ムウロに対する怒りと、絶対にやろうと思っている嫌がらせに頭が一杯になっていたマリオットの頭も一瞬にして冷め、そして大変だと怯えが支配を始めた。
迷宮事態に異変が起こるなんて大変なことを起こしたのがマリオットだと、その状況などを考えればムウロはすぐに気づいてしまう。そうなれば、何をした、と理不尽にも思える説教と仕置きがマリオットに振り下ろされるだろう。マリオットに反論も何も許される訳がない。今回に関しては主にムウロにも大きな一因があるが、今までの前歴などを考えれば長兄も、すぐ上の兄も、誰も信じてくれはしないだろう。それを自覚出来る程度に、マリオットは自分が家族にとって頭の痛い子である自覚があった。
よし、逃げよう。それが出来ないのなら、どさくさに紛れて頑張って隠れていよう。
マリオットはそう決意した。
だが、それは不可能だった。
「わたくし達のアエーシュマに何をした、この下郎!!!!」
「あぁいやだ!清らかな空気を汚す獣の侵入を許すだなんて!!」
「あぁ、可哀想な、アエーシュマ」
マリオットとアエーシュマだけだった空間に、美しい姿形の、透けるような薄い装いをしている女達が飛び込んできたのだ。
そして、マリオットの一応口にしようとした言い訳が言葉になる時間も与えず、淫魔だと分かる女達はマリオットに襲い掛かってきた。
武器を手にしている淫魔はいなかったが、彼女達には手入れの行き届いている鋭く尖った爪があった。マリオットの身体に四方八方から大量の手が伸び、髪を引っ張り、服をねじり、その肌を引っかいていく。
刃物や鈍器で攻撃された方が、ある意味ではマシだったのかも知れない。これで通常の精神の持ち主だったのなら、人であろうと魔族であろうと、女性嫌いになっているような、そんな攻撃だった。
化粧もしっかり、整った美女達の顔が険しく歪み、その目が血走っている姿を間近で見せられての攻撃は、本当にトラウマものだ。
彼女達よりも確実に美しい、母や長兄、それに少し劣るが次姉という存在達から仕置きを幾度となく受けているマリオットだからこそ、心の傷を負うことが無かっただけだ。
痛い、というのはあってもマリオットは平然としていた。
「あそこで悲鳴でもあげてたら良かったのかなぁ?」
マリオットはそう振り返る。
痛みを我慢して悲鳴も上げないマリオットに、女達は次の手に出たのだ。マリオットの頭の上から、大量の塩を振り落としたのだ。マリオットを中心とした塩の山を作り上げた淫魔の女達。
その塩を何処から出したのか、なんて疑問を口にすることは出来なかった。女達の爪によって出来た傷という傷に塩が染み込み、我慢のしようの無い激痛がマリオットを襲い掛かっていた。
いやだわ、汚いものを触ってしまった。アエーシュマに嫌われてしまうじゃない。
そうね、消毒しましょう。
塩の外から、そんな女達の声が聞こえた気もしたが、そんな事を気にかけている余裕はなかった。
「じゃあ、浴びせられたっていう酒は?」
「痛くて痛くて、頑張って塩を掘って外に出たんだよぉ。そしたら、まだ足りないわねってかけられたんだぁ」
そして、傷口に酒が染みて、塩の痛みも合わさって悲鳴を上げたマリオットに、淫魔達は冷たい目で見下ろしながら呟いた。
汚物は燃やして、跡形もなくしてしまわないと。
でも、汚物を燃やした煙がアエーシュマの口に入りでもしたら…。アエーシュマが可哀想じゃない。
そこに丁度よく、シエルの呼びかけの声が届いた。
女達の中でその声に反応したものが一人居た。
そういえば、これってあれでしょう?『夜麗大公』様の所の末。なら『灰牙伯』がいたわ。汚物は元の持ち主に返して、持ち帰ってもらえばいいのではなくて?
そして、マリオットはあっさりと、シエル達の下へと捨てられたのだった。
「ていう感じなんだぁ」
あの時、シエルちゃんが呼んでくれて良かったよ。ちゃんと聞こえたわけじゃないけど、ね。
マリオットは自分の名をシエルが呼んでいたと思っているようだった。
呼んだのは、アエーシュマの名前なのだが。
ありがとう、と珍しくも真剣な面持ちでマリオットはシエルに礼を言う。どうしよう、とシエルはムウロの顔をちらりと見るが、ムウロは別に教えないでもいいだろうと笑う目で語っていた。
「この恩は何時か絶対に返すからねぇ!」
これでも役に立つんだよぉ?
「持ち帰るってことは、僕達を迷宮の外に出すつもりはあるってことだよね?なら、どうして出口が現れないのか、誰も来ないのか?」
マリオットは胸を張ってポンッと叩くと、シエルにそう申し出た。
だが、シエルは困った顔でそれに返事をすることもなく、ムウロにいたっては完全に無視を決め込む。
マリオットの説明にあった淫魔達の話の通りならば、迷宮から出る為の出口が現れるか、アエーシュマは無理でもその部下である淫魔の誰かしらが説明に来てもいい筈だ。そのどちらも無いということは、どういうことなのか、と考えることでマリオットに目を向けることもしなかった。




