夜営がしたい。
「夜営!」
エルフの村で薬草茶をご馳走になっていたシエルたち。
まったりとしていた時、突然シエルがハッと顔を上げて口を開いた。
「び、びっくりした。どうしたの、いきなり!?」
周囲にいたエルフたちも、そして隣でお茶を飲んでいたムウロも目を丸め、両手の拳を握り締めて何かを決意しているシエルを凝視する。
「夜営をするつもりで用意も覚悟もして、楽しみにしてきたって事を思い出したの。」
そういえば、とムウロは笑う。
イルに依頼された時から夜営を強く意識し、そわそわと楽しそうにしていたシエルの姿を思い出す。夜営こそが冒険っぽい行動らしい。普通、敵と遭遇して戦う事こそが冒険っぽい行為だとムウロは思ったが、戦う機会が無さそうなシエルにそれを伝える事は止めておいた。ムウロは珍しく空気が読める魔族だからだ。
「じゃあ、今から村を出ようか?今度は兄上の落とし穴も無さそうだから普通に迷宮を歩いて行けると思うよ?」
ムウロの提案に、シエルは間を置くことなく、そして躊躇もなく頷いた。
イルをエルフの村に送っていくという依頼も完了している。長居する必要もなく、すでにシエルの頭は次の冒険へと向かっている。
「えっと、じゃあ、ここにイルさんのサインを下さい。」
シエルが取り出したのは、依頼の品と送り先、依頼者の名前が幾つも並ぶ羊皮紙。街で買出しした品物のすぐ下に書かれた"イルヴェルト 『銀砕の迷宮』茨緑地区第三階層エルフの村 イルヴェルト"の横にある空欄を指差すシエル。
アルスの説明によれば、その空欄にサインを貰えば羊皮紙から、その依頼に関する項目が消えるのだそうだ。
その説明の通り、イルヴェルトがサインを書くと、イルヴェルトと最初に書かれている項目がスゥッと溶けるように消えていった。
「初・依頼完了!」
満面の笑顔になり口元を両手で押さえて含み笑いするシエルの姿に、なんだか気持ちを和ませたエルフたち。
「ありがとう。また、何かあったら頼むよ。」
イルヴェルトはシエルの頭を撫で、頭の中で何を頼もうかとすでに考え始めていた。長寿であるが故に子供が生まれることが少なく、そして子供といえど大人びた性格になる事が多いエルフにおいて、シエルのように子供らしい子供という存在は珍しく、愛らしく感じる所があった。
「ロリコン。」
「私より年上が何を言っているのか」
笑みを浮かべてシエルの頭を撫でるイルヴェルトの耳に、ムウロのニヤニヤと笑いながら発した小さな言葉が届いた。
シエルには聞こえていなかったらしい言葉に青筋を立てながら、笑顔を保つイルヴェルト。イルヴェルトの物心が付いた頃には、すでに少年の姿を取っていたムウロには言われたくないことだ。依頼をした事で共に行動することになったイルヴェルトに対して、勝手に着いて行くと決めて行動を共にする事にしたムウロ。ロリコンはどっちだとイルヴェルトは内心にムウロに怒鳴りつけていた。
「シエルさん。これは私達からのお礼です。どうぞ、受け取って下さい。」
ルーズヴェルトがシエルに、小さな皮袋を三つ手渡した。
彼は驚きのあまり倒れただけだったので、目覚めるとすぐに起き上がり、シエル達が休んでいた家にやってくると先程の非礼を詫びたいと土下座までしていた。
大の大人に土下座された事など無かったシエルは、慌てふためき涙目になって「止めて下さい」とルーズヴェルトを立ち上がらせることになった。
依頼は達成したものの、結局の所「届ける」という事に対して自分は大した事もしていないから、と手渡されたものを断ろうとしたが、断ったらまた土下座してやるとルーズヴェルトが目で訴えていた。顔だけ振り向いて助けを求めたムウロ達も受け取っておけと頷いていた。なんだか納得が行かないシエルだったが、手渡された小さな皮袋を籠の中にしまい、「ありがとうございます。」と頭を下げた。
「初依頼、任務完了おめでとう。」
村から出て歩くシエルに笑顔で祝福したムウロ。
でも、シエルの顔は浮かばずにいた。まだ、イルからの依頼を完了した過程に対して納得がいっていなかった。
意外に頑固で融通が効かない性格なんだなぁとムウロは思った。
「あのね、シエル。こういう任務っていうのはね、最初と最後が良ければ途中は関係ないんだよ?シエルはちゃんと依頼を受けて、そして送り先に送り届けた。なら任務は無事達成され、シエルは報酬やお礼を受け取る権利を持つ。途中の工程なんて人それぞれ。今回の事なら、移動手段として兄上を使ってやったって思えばいいんだよ。」
「そういう、ものなの?」
「そういうものなの!冒険者たちだって、そうだからね。依頼の品に辿り着くまでに、どんな道を通ったとか魔物を倒したとかなんて、依頼主は気にしない。だから、冒険者たちも気にしない。」
「…うん、分かった。」
首を傾げながらムウロの話を聞いていたシエルも、ムウロの力強く自信にあふれる声による説明に頷き、納得し始めた。
迷宮の中だと分かっていても本物だと見間違える程美しい、木々が生い茂る上空に広がる青空には、太陽が光を放ち存在している。
エルフ達の歓待をシエルとムウロが受けていた時間が長かったようで、エルフの村を出て、第二階層に上がる頃には、その太陽が光を弱め始めていた。もうすぐ夜が訪れる時間になっていたのだ。
エルフの村があった第三階層と第二階層を繋ぐ道は、シエルが広げた両腕よりも大きな樹の洞だった。
シエルの背より高い位置にあった大きな洞に、ムウロに抱きかかえられる形で潜ると、その先にはキラキラと光を反射する水晶で出来た木々が生い茂る、幻想的な森が広がっていた。
その光景に、ムウロに抱きかかえられていたシエルは心を奪われ、ホウッと息を吐いて惚けてしまっていた。
「もう日が暮れそうだね。どうしようか、シエル。ここで夜営する?それとも、第一階層まで進んでみようか?」
惚けていたシエルは、ムウロの言葉で正気に戻り、地面に下ろされるとキョロキョロと周囲を見回し、その後に首を傾げてムウロを見た。村の外に出る予定が無かったシエルには知識はあったが経験は無く、こういう時は素直にムウロに聞いた方がいいと理解しての行動だった。
「日が暮れそうになったら、すぐに夜営の準備をした方がいいって本には書いてあった。第一階層はまだ遠いよね?」
「うん。最短で行けたとしても日は完全に暮れるね。」
「じゃあ、この近くで夜営する。大丈夫?」
周囲に敵意を抱いているような存在が居ない事を確かめ、ムウロはシエルに頷いてみせた。もちろん、そんな存在が居たとしても、ムウロの敵ではないし、シエルに手を出せるわけもないが、念には念を入れておくのがムウロの信条だった。
「じゃあ、テントを張るね。」
ムウロに言われ、少し歩くことで開けた場所を見つけたシエル。
手の上に乗る大きさの石を取り出し、ムウロに渡した。
「お願いします。」
「自分で出来るようになろうね。」
真剣な顔での頼み事に、ムウロは苦笑を浮かべて頼みを叶えてあげた。
この石、これはエミルからシエルに渡されたテントだった。
石の中には、魔術で圧縮されたテントが入っている。ほんの僅かな魔力を注ぐ事で、テントが設営された状態で召喚されるという、帝都など大きな都市部でそれなりの値段で売っているという魔道具だ。
僅かな魔力を注ぐだけで楽が出来る、と評判の品だったが、魔力量が一般人以下のシエルには難しい話で、エミルもムウロで無くても誰か相方が居ない時は夜営をするなという意味を込めて渡したものだった。
ムウロが、彼にとっては塵にも等しい程の魔力を注ぎ、テントを召喚した。
水晶の木々が生い茂る森で、薪となる小枝などは期待出来ないとムウロが生み出した炎がテントの前で揺らめき出し、シエルは満面の笑顔で鼻歌を歌い、内心では小躍りしていると見て分かるように体を揺らしていた。
よほど、夜営がしてみたかったのだろう。
不寝の番はどうするの?とウキウキ気分でムウロに尋ねていた。
「素人に任せられないし、何より僕は5・6日寝なくても大丈夫だから僕がするよ。それに、例え不寝の番をしていても安全だよ。僕に向かってくる奴なんていないだろうからね。」
ムウロはにこやかに言うと、シエルの事をテントの中へと押し込んでしまった。
「さぁさぁ、大人しく、ゆっくり、お休み。」
テントに入って眠るだけなら何を心配することがあるのか、とムウロも思うのだが、何かが起こりそうな、シエルが起こしそうな予感がして、ほんの少しだけ不安になった。
まったく、退屈しないよね。
ムウロは肩を落としてテントの前に座り、自分が放った炎を眺めた。




