母の愛?
本日二話目。
まさか!!
一瞬、母の微笑みに呆気に取られてシエルだったが、ある思いが脳裏を掠めたことですぐに正気に戻ることが出来た。
「お、お母さん。まさか、これってお母さんが何か・・・」
ヘクスの娘を生まれてからずっと、13年もの間してきたシエルは、ヘクスの突拍子もなさをよく知っていた。普通なら知っているような、子供であるシエルが知っているような常識も知識も持っていない、意表をついた行動をするなど、家族や村人、それを目撃した冒険者たちが驚くようなことを何度もしてきたのだ。
「・・・・行きたくないのでしょ?」
すでに微笑みを消し、表情のない顔でヘクスはシエルをまっすぐに見下ろした。
「なら、行かなければいいのよ。」
「行きたくないよ。村にいたいし、ここが私の家だもん。でも、私が行かないと村にも皆にも迷惑がかかるんだよ?」
食堂の中に、頭を抱えて悩んでいるとはいえ冒険者たちがいることを思い出し、シエルは声を潜めた。
「大丈夫よ。だって、ここは迷宮の中。誰にも、何も出来ないわ。」
「ちょ、お母さん!」
話は終わったとばかりに、厨房の中に戻ろうとするヘクス。
その腕を掴んで、シエルはもっと詳しい話を聞きだそうとした。
「何やってんの。早く料理運ばないと冷めちゃうだろ?」
腕を掴んだシエルと掴まれたヘクス。
厨房に入るか入らないかの所でお互いに動きを止めている二人に、呆れ顔で厨房から白いエプロンをかけた父ジークが出てきた。
昔悪くした左足を引きずるように歩いているが、妻と娘の横を通り過ぎ、コップが載るお盆を右手に、料理の盛られた皿を二つ左手に持ち、難なく運んでいる。
シエルと同じ深い赤色の目が覗く目は鋭く、首筋や服の中に覗く幾つもの古傷は、修羅場を幾つも潜ったのだと語っている。実際、今はヘクスが仕切る宿屋で料理番をしているが、ヘクスと出会ってシエルが生まれるまでは名の通った冒険者として腕を振るっていたと酒を片手に語っているし、時折宿屋に泊まる冒険者に挨拶されている様子を見る限り嘘でないようだとシエルは思っている。
「だって、お父さん!」
「シエル。」
また母が無茶をやらかしたのだと、配膳を済ませて戻ってきた父に言いつけようとしたシエルをジークは静かに名前を読んで黙らせた。
細められた深い赤の目を向け、威圧するようにシエルに視線を注いだ。
「ヘクスを困らせると、父ちゃん怒るよ?」
別にお母さん困ってないよ。とか、困ってるのは私じゃん。とか、拗ねたシエルは膨らませた。
「実の娘に殺気みたいなのを向けるのはどうかと思う」
「だって、俺。ヘクスの事大好きだもん。
お前も早く自分だけの相手を見つけるんだな。」
シエルの苦情もなんのその。父親よりも夫としての立場の方が大事なのだとジークは言い放つ。
「普通、父親って『娘はやらん』って彼氏とかを追い出すんでしょ?」
「むしろ、早く嫁に行ってくれればヘクスと夫婦水入らずが出来るから、すげぇ嬉しいんだが?」
シエルが幼い頃から変わる事のない父の言動ではあるが、何だが必要とされていないようで悲しいことは悲しいのだと、シエルが頬を膨らませて少しだけ涙を滲ませた。
「馬鹿を言っていないで、仕事なさい。
シエル、あんたは婿を取るんでしょ?この宿、誰が継ぐのよ。」
父と娘の昔から変わらない会話に呆れたヘクスが、夫の背中を蹴りつけ厨房に押し込み、持っていた木のお盆でシエルの頭を軽く叩いた。
これは、嫁に行かないと分かった上での父親の言動を母なりにフォローしているのだということなのだろうか?
「それで、婿はまだなの?」
ヘクスのぶっ飛んだ言動に慣れるのは何時の事だろう。シエルは頭を抱えた。
「私、まだ13才なんだけど?そんな話、頭の隅にも無いよ。」
高貴な血筋を守らなければいけないっていう貴族の娘とかならまだしも、村人の娘に13才で縁談とか結婚なんて早過ぎる。町に住んでいる平民や村人は16・7才で早め、18才で適齢期くらいが常識の内だ。学校などの教育を受けることが出来るのは貴族や大きな都市に住む人だけで小さな村には学校という場所があるころさえ知らない人も多い。そんな中でシエルは、学校に通った事があるという村人に勉強を教えてもらっていたので、本が読めるし、そこから普通の常識や知識を得る事が出来た。だから、母であるヘクスよりも常識があると自負している。
「そう?」
「そう!って、話が脱線してる!
迷惑かかるって話だったでしょ!?」
シエルが帝都に行かなくても、迷宮に飲み込まれたとしても。
「迎えが来れないのだから、どうしようもない事だったのよ。だから、大丈夫。」
どうやら、ヘクスの中ではシエルが家を出る事はすでに終わったものになっているようだ。
シエルが掴んでいた腕が解放されたのをいいことに、厨房の中に身体を滑り込ませていった。
「そうそう。そうじゃよ、シエルちゃん。」
「大丈夫じゃて。」
「わし等は迷惑なんてしとらんぞ?」
「そうそう。それに迷宮の中で生活するなんて退屈しなくていいじゃねぇか。」
幾つかのテーブルに分かれて朝食を取っていた村人たちが聞きつけ、のほほんと声を上げている。
「おじいちゃんたち!」
腰が痛いとか曲がったとか、もうそろそろ寿命かなとか言いながら、森に入って狩りをしてきたりと元気の良過ぎる老人たち。
村が最高ランクの迷宮に取り込まれたというのに、動揺する素振りもなく楽しむ気満々の様子だ。
「あっ、すみません。水、貰ってもいいですか?」
いい年して無茶をやらかしそうな老人たちを睨みつけているシエルに、一人の客が声を掛けた。手にコップを持った冒険者の装備の青年だった。
「あ~はい。すみません、気づかなくて。」
「いやいや。こんな事態ならしょうがないよ。」
「ですよね!なのに、皆ったら・・・・・」
「ミール村は『銀砕の迷宮』以外にも6つの迷宮に囲まれている場所にあるからね。皆さん、心がお強いんだよ。俺達は冒険者だと言っているくせに、こんな体たらくだし。恥ずかしいよ。」
立派な装備を見に纏った、二十歳前後の青年が眉を下げながら笑い、いえいえと首を振って青年の言葉を否定しようとするシエルの頭を優しく撫でる。
「そういえば、帝都に行くって聞こえたけど。迎えが来るなんて凄いね。」
聞かれていたのか、とシエルの背中に冷たいものが流れた。
見る限り、純粋に迎えが来て帝都に行くということを褒めてくれているようだが、シエルは青年に対して警戒を持った。
受け取ったコップに水を注ぎいれ、青年に渡す。
「あっちで勉強することになったんです。親戚が誘ってくれて。」
「へぇ、勉強かぁ。凄いんだね。帝都ってことは、ツウェード学院に行くんだよね。頭いいんだね。」
本当のことを言うわけには行かないと、シエルは咄嗟に嘘をついた。
青年は驚いたようだが、嘘だと気づく事は無く勘違いを重ねてくれる。
シエルは、あとは青年の勘違いに乗っかっていけばいいだけだ。
「そんな事ないですよ?」
「いやいや。学院っていったら皇族がトップで、貴族とか『勇者の祝福』持ちが通うところだろ?そこに平民が行けるだなんて、そうとう優秀じゃないと。」
「でも、こんな状況ですから。」
落ち込んだように肩を落としてみせる。
すると青年はシエルの肩に手を置いて、慰めてくれようとした。
「そうだね。女将さんの言う通り迎えは無理だろうね。
そういえば、最近、新しい『勇者の祝福』が見つかったらしいから、もしかしたら学院で一緒になれたかも知れないね。」
「そうなんですか?そんな方にお会い出来たのかも知れないなんて・・・。でも、どうしてそんな事をを知っているですか?そういうのって秘密なんですよね。」
青年を見上げながら、シエルは目を丸め首を傾げた。
「昨日、この村に向かっている途中で『勇者の祝福』持ちの子を迎えに行くっていう騎士団見かけたんだ。知り合いがいたんで聞いたら、『右耳の祝福』らしいって。パルス国にいる『左耳の勇者』みたいな『予言の力』を持っているんじゃないかって帝都では期待されているんだって。」
「予言の力・・・凄いですね。」
「あぁ。今、帝国に属している『勇者の祝福』持ちは『右の薬指』『左の人差し指』『右足』がいるんだけど。『右耳』を含めて四人も『祝福』がそろうなんて他国の歴史にも無いことなんだって話だよ。」
「じゃあ、皇帝陛下は早く『右耳の勇者』に会いたいんでしょうね。」
「そうだろうね。騎士団も凄い規模だったよ。あれは二つくらい部隊が合流していたと思うよ。」
「へぇ~。残念ですね。会ってみたかったです。」
顔を伏せて床に目をやったシエルのその姿は、幼い子供が拗ねているように見える。きっと本人に伝えれば機嫌をそこねるだろうなと、青年は微笑ましげにシエルを見ていた。