エルフの村
「貴様、何者だ!」
シエルが目を開けると、そこは木で出来た素朴な家が立ち並ぶ村の入り口だった。そして、シエルは村の周囲に張り巡らされている木で作られた柵の門に後数歩で入るという場所に座り込み、数人の耳の長い青年たちに槍を突きつけられている状態だった。
「えっ?えぇえ?ここは、何処ですか?」
シエルが覚えているのは、ケイブに案内された場所で地面に穴が開き、暗闇の中に落ちていったことだけだ。その後の記憶は無く、何時暗闇から抜け出たのか、ここが何処なのか、全く覚えが無かった。
「ここは、《茨緑の迷宮》第3階層、『華虐子爵』が治めるエルフ族の村。『銀砕の迷宮』に呑まれた為、現在の階層はまだ不明だが、こんな所にお前のような只の人間の小娘が一人で何の用だ!」
シエルの様子に戸惑いを見せたエルフ達だったが、その槍先を逸らすことはなかった。そりゃあ怪しいよねとシエルも他人事のように思った。普通、迷宮に挑むとなれば大多数の人間はパーティーを組んで、十分な装備を持っていく。シエルは、というと何処をどう見ても村娘の「ちょっと近くまでお使いに」姿。どうやって説明しようかなぁと頭を悩ませ、それを顔にありありと見せているシエルの様子に、エルフ達はますます不信感を募らせた。
「えっと…エルフの女の子を案内して来ようとして…」
説明を始めようとするシエル。しかし、この場合で一番重要で先に言わなければいけない肝心な事を忘れていた為に、エルフ達の眉間に皺が寄っていく様子を見る羽目になった。
「その、エルフが何処にいると言うんだ。」
「えっっと、それは落とし穴に嵌まって…」
「落とし穴?」
シエルの言葉に、青年たちは首を捻るが、村の中から様子を窺っていたエルフの女性や子供は心当たりに思い至ったようで、もしかしてと近くにいる者同士で意見を交えていた。
「そもそも、何故お前のような小娘が案内することになると言うんだ。怪しい奴め。」
そうですよね~。汗をダラダラ流してシエルは内心同意する。
「ねぇ、もしかして…」
「おい、出てくるな。」
一人の女性が村の門を潜り、シエルの正面にいる青年の肩を叩くが、青年はシエルから視線を外すことなく女性を村の中に後ろ手で押し返している。
「ちょっと、聞きなさいよ。落とし穴とエルフの女の子って、」
押し返された女性が声を荒げながら青年の肩に手を伸ばし、話を聞けと揺さぶり始める。そのせいで、シエルの鼻先に突きつけられている槍の刃先がシエルの鼻の前で行ったり来たりと、危うく刺さりそうになる瞬間があり、シエルは心臓をドキドキと鳴らして立ち上がることも出来ずに頑張って背中を反らしていた。
「はい、そこまで。その子に危害は加えないでね。」
こういう時に呼べばいいのかな、と酔っ払いながら助けてやるからなと言っていたアルスの姿を思い浮かべたシエル。
呼んじゃおうと決意し掛けた時、シエルの背後から伸びてきた手が揺れる槍の刃先を掴み、その柄をポキリッと折ってしまった。
「ムウさん!」
シエルが背中を反らし上を向いて後ろを見ると、ムウロとイルの姿がそこにあった。
「ムウロ様!」
エルフ達が驚いている声が聞こえた。
そして、
「彼女は私の客人です。」
「イル様!!?」
背中を反らすのを止めたシエルは、イルの姿を見て涙を浮かべながら、ムウロを見た時以上に驚いているエルフ達の姿を見ることになった。
「何処に行かれていたのです、イル様!心配したんですよ!!」
「そうですよ!とうとうボケが始まったのかと介護の手配までしてしまったではありませんか!!?」
「大公様から届けられた『依頼書』という魔道具に、貴方の名前を書くところだったんですよ!」
シエルの前に進み出たイルを囲い、涙ながらに話しかけるエルフたち。
始めは「心配した」と言っていたのだが、段々とイルの背負う空気が不穏に翳っていくような声も聞こえてきた。
「大丈夫だった、シエル?うちの馬鹿兄がゴメンね。」
イルの背中に立ち込めていく暗雲を呆然と見ていたシエルを、ムウロが腕を持って引き上げ、立たせてやる。ケイブによって落とし穴に落とされたシエルの後を追って落とし穴に落ちたムウロたちは、持っている魔力の多さが仇となり、転送陣に込められたケイブの魔力と僅かに反発してしまい、シエルとは時間に差が生まれてしまった。転移した直後に、その時間の差のせいでシエルが危険な状況に陥っている様子を見たムウロは、退屈しない子だなと笑ってしまった。
「む、ムウさん…イルさんって、もしかして大人、なんですか?」
シエルがイルに接する様子で、彼女がイルの事を同年代だと思っていたことはムウロも気づいていた。もちろん、イルも。だが、別に聞かれた訳でも無く、言わなくても支障は無いと二人は言わずにいた。
「うん。彼はああみえてエルフでも長老格で、子爵の位持ちで『茨緑の迷宮』の主だよ。」
「彼!?」
イルを風呂に誘っていたからもしやとは思っていたが、やっぱりシエルはイルが男だということも気づいていなかったようだ。ムウロは今まで何とか笑いを我慢していたが、とうとう堪えきれずに腹を抱えて笑いだした。
そのムウロの笑い声で、イルに群がっていたエルフたちがシエルとムウロに目を向け、イルはというと近くにいた青年から槍を取り上げ、地面に転がりながらお腹を押さえ笑い続けているムウロへと投げつけた。笑い過ぎて呼吸困難になりかけ咳き込んでいたムウロだったが、飛んできた槍を人型のまま尻尾だけを出し、その尻尾で叩き落とす。両腕は痙攣するお腹を押さえたままだった。
「…シエル。改めて、僕はこの村の長『華虐』の名を持つ子爵イルヴァルト。世話になったね。この恩は必ず返すとエルフ族の誇りをもって誓おう。」
「うっ、えっ、は、はい。いえ、そんな事いいです!」
美少女にしか見えないイルの顔が近づけられ、にっこりと微笑まれたシエルは、色々な意味で胸を痛いくらいに鳴らせた。その顔は真っ赤に染まり、見ているエルフたちが憐憫を覚える程だった。
「お爺様、可哀想なくらいに驚いてますけど、御自分の事を説明してなかったんですか?」
「すっかり忘れていた。」
「!やっぱり、ボケが!!」
「仕置きされたいのか、ルーズ。」
イルヴァルトの孫である、シエルの正面で槍を突きつけていた青年は、イルから睨まれるがその口を閉ざすことは無かった。
「そうはいいますけどね、数日前から何も言わずに姿を消したお爺様が悪いんですからね。しかも、その間に大規模な変性はあるは、『銀砕の迷宮』に取り込まれているわ。私達がどれだけ不安になったと思っているんですか。」
睨みつけていたイルヴァルトだったが、逆に涙を浮かべながら睨みつけ迫る、自分より遥かに大きな孫の姿に罪悪感を覚えたのか、困り顔になり「すまなかった」と素直に謝っていた。
「で、一体、何処で、何をしていたんです!?」
「ちょっと調べ物をしに、地上の街にな。そうしたら変性が起こったと騒ぎになって帰るに帰れず…」
「悪い人間に誘拐されてたんだよ。それを、シエルが助けたんだ。」
「誘拐!!!!?」
「おい!ルーズ!!」
孫に押されながらも、誘拐された事は濁そうとしていたイルヴァルトだったが、その様子を面白がったムウロが誘拐の事実を説明してしまった。
それを聞いたイルヴァルトの孫、ルーズヴァルトは村中に響き渡る絶叫を上げ、白目をむいて卒倒してしまった。




