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馬鹿な狼

巨大な体にも関わらず、生い茂る木々の間を器用にも擦り抜けて走ってきたのは、木の枝や葉を毛に絡ませ、茶色に汚れた巨大な狼だった。


木の葉と土煙を舞い上げて目の前に現れた狼を見て、シエルは契約の時に見たアルスの狼の姿よりも少しだけ小さいと感じた。そして何よりも、その体のあまりの汚さに唖然と口を開け放ちました。


多分、本来の毛色は白に近い銀なのだろう。

所々、ほんの少しだけ白銀の毛が見えます。

けれど、体のほとんどが茶色く汚れ、特に前足が濃い茶色に染まっている。


口を大きく開けてしまった為に、舞い上がった砂が口の中に入り、シエルは目に涙を滲ませながら狼を見上げた。

シエル達を見下ろしている狼は、緑色の目を細め、笑っていた。


「珍しいじゃん、ムウロ。俺の事、呼んだか?」

「呼んでないから、帰っていいよ。」

ムウロは冷たくあしらいました。


「さぁ、先を急ごうか。」

そう言ってシエルを見たムウロからは、すでに巨大な狼、ムウロの兄であるケイブに一切の興味を失っているように感じられた。

「おい、おい!!久しぶりに会った兄ちゃんにそれってよぉ!泣くぞ!」

「泣けば?」

やはり冷たくあしらうムウロ。

多分、人型であったのなら額に青筋でも立てているのではないだろうか。


「昔は兄ちゃん、兄ちゃん、って可愛かったのによ。」

悪態をつくケイブの目がシエルを映し出した。その目が、驚きに見開き、玩具を見つけた子供のように煌きを放ったのを、シエルとその後ろにいたイルは見てしまった。

「嬢ちゃん?なんで親父の匂いがするんだ?それに・・・」

クンクンと、土に汚れた鼻をシエルの体に近づけ匂いを嗅いできた。

手や首の服に覆われていない場所に冷たく濡れた鼻があたり、鼻息で服が揺れる。ヒャッっとシエルは小さく声をあげた。

「兄上。その子に馬鹿な事したら、父上にまた仕置きされるよ。」

シエルが後ろに下がってケイブの鼻から逃れようとしているというのに、匂いを嗅ぐのを止めない兄に向かい、ムウロは睨みつけ喉を唸らせた。

ムウロの気迫と言葉に、ケイブはシエルから鼻を離して後ずさった。

「お気に入りって事か?」

兄弟達の中でも、そして後宮にいるアルスの女たちよりも長い間、アルスの子をしてきたケイブは、ムウロよりも父親の本性を知っている。なんせ、まだ本性を隠す気もなかった頃のアルスに殺されかけた経験だってあるのだ。そんな父親が、直接仕置きに出てくる程のお気に入りを作ったのだろうか。ケイブは眉間に皺を寄せ、声を低めた。


「父上の魔女だよ。」


「魔女!?親父がぁ!!?」

ムウロから返ってきた言葉に驚き、再びシエルに顔を突きつけそうになるケイブ。しかし、アルスの仕置きという言葉をしっかり覚えていたのか、急にシエルに向かっていた動きを止めて、人型に変じた。


ボロボロに汚れた元は白かっただろうシャツに、破れが目立つズボン。

アルスに似ているだろう顔の下半分はボサボサの髭に覆われている。


シエルの倍くらいあるだろう背の男に変じたケイブが、シエルの目の前に立っていた。

「親父、趣味変わったか?…あぁでも、」

「兄上。そういう事じゃないよ。父上のお気に入りの村の娘で、迷宮内の集落に物を届けてくれる子なんだよ。」

「あぁ、ミール村ね。そういえば、そんなような事オーク共が言ってたな。頼んだ品を届けてくれるんだっけ?」

へぇと顎を手で撫で、ケイブはシエルに真っ直ぐ目を向けている。

その目には悪意はなく、ただ面白そうに煌いている。ジッと見られていても怖さを感じず、むしろ可愛いと感じたシエル。

「えっと、届け物係のシエルです。よろしくお願いします。」

「届け物係。いいねぇ。可愛いじゃん。俺もよろしく頼むな。」

髭に覆われた口をニカッと笑わせ、ケイブがシエルの頭を撫で回す。ゴツゴツとした労働者のような手で、ガシガシと乱暴にシエルの頭を撫でた為、シエルが頭から被った赤い頭巾がずれ、シエルの目元に覆いかぶさってしまった。


「にしても、ミール村ねぇ。」


シエルがイルに手伝ってもらいながら頭巾を直していると、含み笑いが混じる声でケイブが小さく呟いた。それがちゃんと聞こえたシエルは頭巾を直し、目をケイブに向けた。

首を傾げて見上げてくるシエルに気づき、ケイブがその無言の問いに答えた。


「ロゼとグレル、あとシリウスは元気か?」


ケイブの口から出た三人の名前。シエルには聞き覚えがあるものだったが、それが誰なのか、すぐには思い出せなかった。村の人たちではない。生まれてからずっと世話になってきた村人たちの顔も名前も全部知っている。

誰なのか。

村から出ていった人たちの事もしっかり覚えている。

もしかして、シエルが生まれる前の人達なのか。

シエルの考えがそこまでに及んだ時、ようやく三人の名前に思い至った。

「…?あ!」

誰の名前なのか思い至ったシエルは、顔を真っ赤に染めて、手で覆った。

顔を覆う手の隙間から、小さな声で「お父さんとお母さんに怒られる」と言っているのが聞こえてきた。

「シエル?」

「…多分…元気…です。会った事ないけど。」

様子のおかしいシエルに、ムウロとイルは首を傾げ、ケイブはまた鼻を動かした。

「血縁だよな?匂いが一緒だし。」

「兄と姉…です。」

イルとムウロの、呆れた目がシエルに注がれる。自分の家族の名前を忘れるなよ、そう二人の目が語っていた。でも、とシエルは内心叫ぶ。会った事も無く、村人たちの噂話くらいでしか話を聞かない二人の兄や姉の事を忘れても仕方ないと思う、と。そして、それでもちゃんと兄弟だと言えるのかと落ち込んでもいた。

「なのに、会ったことないの?」

ムウロが聞いた。

「私が生まれる前に帝都に行ったから。」

「あぁ、だから最近見なかったのか。あいつらな、小せぇのに迷宮に潜って遊んでたんだよ。面白い奴等がいるなって、あいつ等用の落とし穴作りまくったのに引っ掛からない。最後に会った頃には、わざと落とし穴を壊して回りやがったのよ。作りかけの超大作まで壊して行きやがったんだぜ?」

まだ会った事のない兄姉を思い、少しだけ落ち込むシエルの肩を叩き、ケイブは自分が知るグレルたちの話を語りだした。一応、それは彼なりにシエルを励まそうとしているのかも知れないが、とうのシエルはケイブが加減なく叩く肩の痛みに顔を顰め、その勢いで前屈みになって耐えるのに精一杯になっていた。


ガッハハハハ と笑い続けるケイブからシエルを助けてくれたのは、イルが放った風の刃だった。シエルの肩を叩くケイブの手を的確に狙った小さな風の刃は、ちゃんと気づいたケイブに避けられ通り抜けていったが、前屈みになって痛みに耐えていたシエルを助けることには成功していた。


「あれ?イルじゃん。何してんの、こんな所で。」

「気づいてなかったんですか?」

ケイブが目を向けていたシエルの後ろにいたイルに、ようやく気づいたと目を丸めているケイブに、イルは呆れ顔になり、弟であるムウロに「どうにかしろよ」と何とも言えない視線を送った。その視線を受けたムウロは肩を竦め、手遅れだ、とイルに返した。

「所用で変性前に街に出ていたんです。なので、シエルさんに村まで送って頂くんですよ。」

一人は不安ですから。そう言って笑うイルに、ケイブは眉を上げた。そして、ムウロに真偽を問う目を向けたが、ムウロはこれにも肩を竦めて返すだけ。


「ふぅん。エルフの村にねぇ。何処に移動したかは分かってるのか?」

「大丈夫です。アルスおじさんに貰った地図のおかげで分かってます。」

地図を取り出し、茨緑地区第3階層と表示されている部分を指差して見せたシエル。腰を屈めて地図を確認したケイブは、ニヤリと笑った。

その笑みは一瞬で、シエルにだけ見えていた。


「うん。じゃあ、いいもんがあるわ。ちょっと、こっち来な。」


ケイブはシエルの手首を掴み、歩き出した。

「ちょ、兄上!!!」

予想もしていなかったケイブの行動に驚くムウロ。

イルに至っては、魔法を使う準備も始めていた。

「嬢ちゃん。ここから、真っ直ぐ行ってみな。」

草が生い茂っている中に向かい、ポンッと背中を押されたシエル。戸惑いながらも、ニコニコと笑うケイブから悪意を感じず、むしろ言うことを聞いた方がいいかなという考えが脳裏に過ぎり、言われるがままに草の中に足を踏み進めた。



「ヒッ」



6歩。

シエルが足を進めた所で、突然足元が消えてしまった。

落とし穴だった。

そして、その落とし穴には底が見えなかった。


きゃぁぁぁ


段々と小さく反響していく悲鳴を残し、シエルの姿は穴の中に消えていった。


「シエル!!!」

ムウロとイルが穴の中を覗き込むが、シエルの姿も底も見えない。

「何してんだよ、あんた!?」

「大丈夫、大丈夫。落ちてる途中に転送陣仕込んであるから、エルフの村の近くに怪我一つ無く行けるって。めっちゃ楽な近道だろ?」

面白いものを想い付いた、と自画自賛するケイブ。

「馬ッ鹿じゃないの!?」

コクコクと頷き笑うケイブに怒声を浴びせ、一瞬にして人型に戻ったムウロとイルは落とし穴の中に自ら体を落とした。

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