ミール村にて
シエルが寝る前に取った連絡後
「そう。えぇ、分かったわ。そうね。じゃあ。気を付けなさいね。」
ミール村
宿屋の食堂の中で、ヘクスが窓にもたれ掛かりながら、相手もいないのに頷きや相づちを打っていた。
それを見る村人たちは、不審な目を向けるこなともなく、ヘクスに向かい微笑ましげに笑みを浮かべている。
「シエルちゃんは何て?」
食堂のどこかから、問いかける声が上がった。
今日も外からの客は居らず、村人たちだけが集まった食堂中の視線がヘクスに集まっている。ハラハラドキドキ、その成長を見守ってきた村人たちは、シエルの事が気になってしかたがなかった。そして、ほんの少しだけシエルがやらかすであろう事件に期待し、ワクワクと胸を高鳴らせていた。
「人拐いにあったけど、 フォルス君とエミルちゃん、あとムウさんっていう子に助けて貰ったんですって。何か、お礼をしておいた方がいいわよね?」
いやいやいや。
ヘクスが首を傾げて何を贈ろうかと考えはじめている姿に、村人たちは手振って考え込むヘクスの気を引き、詳しい説明を求めている。
一部の村人たちは、すでにお腹を抱えて笑い出している。
ヘクスの言葉に厨房から顔を出したジークは、目を手で覆い天を仰いでいた。
「ムウさんって誰だ?」
「あぁ、うちの息子だわ。」
今日もまた、酒を飲んで顔を赤らめているアルスが手を挙げた。
「あんたの息子~?ムウ…あぁ、ムウロか。この前来た。」
「そうそう。フォルスが脅しとけって言うから行かせたんだよ。」
「ってことは、お前詳しい事分かるだろ。」
ヘクスに聞くよりはマシだ、と村人たちはアルスのテーブルに押し掛け、アルスの手にあったコップに酒を注いでいく。
「え~っと…エミルが喧嘩に参加してるあいだに拐われたんだってよ。で、村人に何かあれば銀砕が黙っちゃいねぇーぞって意味で銀狼を彷徨かせたんだよ。
街の奴等のビビった顔、面白かったってムウロが言ってたわ。」
エミルかぁ
ありゃ血の気が多いからなぁ
あいつが結婚出来たのが不思議だよ
村人たちは、エミルが暴走して暴れる姿を思い出す。
「シエルは怪我してないだろうね。」
「ピンピンしてるよ。」
「なら、いいわ。あの子に何かあるなんて想像も出来ないけど、怪我しそうな事には事欠かないからねぇ…私は心配で、心配で。」
含み笑いをしながら聞いているものたちが多い男衆とは違い、女衆は心配な気持ちを隠すことなくアルスに向けていた。
「アルス、ムウさんは何が好きかしら?」
「ムウロ?あいつの好きなもんねぇ・・・血?」
まだ、フォルスやエミル、ムウロに贈るお礼の品を考えていたらしいヘクスが、父親であるアルスに尋ねてきた。
フォルスには、隠し持てる小さな武器を。エミルには、宿屋で使える小物を幾つかを。それぞれ贈ることにしたのだが、面識の無いムウロには何を贈っていいのか、まったく思い浮かばなかった。
だからこそ、父親であるアルスに聞いたのだが、返ってきた答えには、ヘクスだけでなく村人たち全員で頭を傾けた。
「何だ、それ?」
「あいつの母親、吸血鬼だから。小せぇ頃は俺の血をおやつ代わりにしてたんだよ。」
あぁ。と納得した村人たち。
吸血鬼が血を食事として好むのは常識だ。他にも食べるらしいが、吸血鬼には血が一番の栄養になり力の源になる。
小さな子供が、はぐはぐ、と大柄なアルスに噛み付いて血を飲んでいる姿を想像して、女たちや可愛いものが好きな一部の男が悶えていた。
「血・・・私の血って美味しいかしら?」
ボソッと呟かれたヘクスの言葉。
それに、食堂中が一瞬にして静まり返った。
「いやいや、やらなくていいからな。本気にすんなよな?」
「ヘクス、駄目だからな。あんないい加減な奴の言うこと信じんなよ!?」
最近では村人たちや夫であるジーク、そして娘であるシエルから教えられマシになっていた為に忘れていたが、ヘクスに冗談は通じない。気をつけなくてはいけないのだったと村人たちは思い出した。
手首を見つめるヘクス。
その様子に、本気を見たアルスとジークが必死になって止めに入った。
「そうだ。飯!うん。普通の家庭料理ってやつが好きだって言ってた時あったわ。シエルと一緒に帰って来るように言っておくから、食わしてやってくれ。」
「作るのは、ジーク・・・」
「いや。父親として俺もお礼がしたいんだよ。今回は俺に任してくれないか、ヘクス?」
二人に説得され、考え込んだ後にヘクスは頷いた。
ようやくホッと息をつき、胸を撫で下ろした村人たちがいた。
「よし。じゃあ、ムウロに連絡入れとくわ。」
「おう、頼むわ。ついでに、シエルたちは何時帰ってくるんだって聞いといてくれ?」
アルスとジークが並び立ち、お互いの肩を叩き合っている。
通信の魔道具である小さな水晶玉を懐から取り出したアルスが、魔力を注ぎ込んで水晶玉を銀色に光らせていく。
「シエルなら、誘拐され仲間のエルフさんを迷宮の中の村に送ってから帰るって、さっき言っていたわよ?」
「エルフ?」
「えぇ、依頼されたんですって。村に送っていってくれって。初めての依頼だって喜んでいたわ。」
ぷっ。
くくく。
「初めて運ぶのが、エルフって。生き物って。流石はシエルってか。」
「普通の初めては、小物とか運びやすい簡単な物だろうに。」
食堂を包み込む大爆笑。
移動中や立ち寄った場所でトラブルに巻き込まれようが、物を運ぶ事に関しては何事も無く行なうことが出来ると思っていた村人たちは、さっそく意表をつく依頼を受けたことに驚き、流石はシエルだと目に涙を滲ませて笑い始めた。
「フォルス君は、兵士さん達を連れて来るから数日後になるから別行動ですって。ムウさんが付いて着てくれるって言っていたわ。」
「兵士?」
笑いに包まれていた食堂だったが、それは追加されたヘクスの言葉で唐突に終わった。
「ヘクス、兵士たちが何だっていうのは聞いたか?」
「いいえ。聞いた方が良かったかしら?」
もう一度繋ぐ?まだ寝たばかりだろうから起きると思うわ。ヘクスがそう言って、頭の中で糸を繋ぐイメージを持って、シエルに呼びかけようとする。
「いいよ、いいよ。今日は初めての事ばかりだったろうから疲れているだろう。ゆっくりと休ませてやらんと可哀想だ。」
なんだかんだでシエルには甘い村人たち。
「それにしても、兵士か。何処のが来ると思う?」
「そりゃあ、お前。東方騎士団だろ。」
「いや。『勇者の祝福』の情報があるんだ。中央騎士団が動くかも知れんぞ?」
そして、村人たちの脳裏に浮かんだのは、幼い三人の顔。
「っていうか、この村って聞いたら絶対にあいつら来るだろ。」
「そうだな。決定事項だろうと、どんな手を使ってでも自分達が来るように仕向けるわ。」
「なんだったら、辞職して来るんじゃない?」
風の噂や、帝都などに赴いた村人や顔見知りに突撃してきた事で、ヘクスの子供達がそれぞれ帝都で騎士団の役職に例外的な若さで就いていることを村人たちは知っている。
そして、彼等がどれだけ母親が大好きで、妹に会いたがっている事も。
辞職。それは笑えない話だった。
「いやいや。絶対に引き止められるから大丈夫だろ。監禁されて説得される。」
「でも、グレルなんて実力行使するからな。帝都消失ってか?」
ハッハッハッ
今度広がったのは乾いた笑いだった。誰もが、ありえる可能性に不安を覚えた。




