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『豪腕公爵』の悦び

レースで顔を覆い隠した歌姫が舞台の上に立ち、その歌声を披露する。

彼女が舞台の上に現れ、光に照らされるだけで、酒や食事、美女達に興じていた客達も、息を呑んだ声を潜めていく。そして、歌姫の歌声が聞こえ始めてしまえば、誰もがうっとりと惚けた表情を浮かべて歌声以外の全てを忘れ果ててしまう。


「やっぱり、凄いね~」

帰る前に聞いていけ、とメリッサに言われ、バーバラが用意し案内した席で、シエルはニコニコと笑って舞台上のメリッサを観ていた。

透き通るような美しい旋律を紡ぐ歌声を放つ歌姫の、本来の姿を見知ったシエルでさえ、全てを忘れてその美しさに聞き惚れることが出来るのだ。どのような人物なのか想像するしかない客達は、思い思いの歌姫に想像を膨らませていることだろう。



「で、何やってんのさ、君は。」

その歌声は確かに美しいと思う。だが、ムウロが今それに聞き惚れることは出来なかった。

その原因は、といえばテーブルに頬杖を着いて呆れ顔になっているムウロの視線にさらされながら、テーブルの上の食事を貪っている最中だった。

歌を聞いているシエルの邪魔をしないようにと、ムウロが自分と子供、そしてテーブルの上を覆うように作り上げた目眩ませの結界がいけなかった。

周囲の視線を一切気にする事がないと理解した子供、ダクセは次から次へとムウロに食事を注文させ、見ているムウロの顔を引き攣らせる勢いで貪り始めたのだ。

ダクセが貪り続けているのは、グラスに注がれた鮮やかな赤色。吸血鬼などの為に用意されたメニューで、ムウロの事を知っている給仕たちは不審に思う事なく運んでくる。

魔族はその種によって糧とするものは違う。花の蜜を糧にするものもいれば、血肉を糧とするものもいる。時には大気中の魔力のみ、瘴気のみ、ある一定の感情という特殊なものを糧とするものがいるのだ。鬼族は、生命力に溢れる命をその血肉ごと喰らうことを好む。人間のような食事を取ることも多いが、より強い力を得るにはそれが一番の糧だった。

始めは、ダクセもそんな注文をしようとしたのだが、ムウロによってある事を指摘され血だけで我慢したのだ。

「角もない、牙もない、爪もない。鬼族が美しいものと誇る屈強な体もない。本当にただ脆弱なだけの人間の子供だね。」

そう、ダクセの今の体は完全な人のものだった。

齢でいえば、十になるかならないか。打ち捨てられ息絶えようとしていた子供の体に、ダクセは入っていた。

ほんの少しだけ、鬼か、それに近い魔族の血が何代も前に混ざったのだろう、その血がダクセの魂が体に馴染むのを手助けしていた。その血の僅かな香りが、バーバラやヘンゼルがダクセに気づくことを阻害したようで、ダクセは本当に丁度良い体があったものだと喜んでいた。


「私の小鳥が、あの顔が嫌いなのだと言ったのだ。それに私には分かる。彼女は今を壊されるのを厭っていることが。この迷宮の中で、今の状態を維持したいと思っている。」

まるでメリッサの思いを誰よりも知っているのは自分だというように、自信に溢れた表情を痩せこけた子供の顔に浮かべたダクセからは違和感と不気味さが感じられる。

ガリガリの細く、椅子に座ってしまえば床に届かないその足を組み、大人びた表情で笑みを浮かべる子供。ムウロが結界を張っていなかったら、その異様さに勘の良い者達ならば注意を払っていただろう。

「彼女への愛で我を忘れていた私は、酷いことをしてしまった。私の小鳥の愛を得る為にはどうすればいいか。私の下に彼女を招くのではなく、私が彼女に寄り添えばよいのだと考えたのだ。」

「うん。よく、分かったよ。」

意味が分からない、ということが。

決定的な感想の言葉は声にはせず飲み込んだものの、ムウロはそんな考え一つで自分の体を捨て、人間の体を得たダクセを理解することが、どうしても出来なかった。

「それなら、鬼族の美形の体にでも入れば良かったんじゃないの?そうすれば、鬼族の女性を妻にすることも出来ただろうに。」

「あれらと、私の小鳥は全然違うじゃないか。」

何を言っている、とダクセが首を傾げた。驚き、不思議そうにムウロへ目を向けたダクセに、ムウロが驚いた。

鬼族の基準でいえば最悪といえる程に醜い為に恋人や妻になってくれる女性を見つけれなかった、ダクセ。メリッサも、ダクセの顔が嫌なのだと言った。その顔で厭われることは同じだ。ならば、メリッサの為に顔どころか体さえ放り出したのだから、それ以前の鬼の女性達に受け入れてもらう為にもこの手段は使えた筈だ。少なくとも、ムウロには二つは同じに思えた。

「鬼の女共は、本能にある美醜の判断によって私を排除した。だが、メリッサは違う。メリッサのそれは彼女自身の経験による嫌悪だ。それを嫌悪し警戒せねばならないからこそだ。全によるものか、個によるものか。全然違うだろう。」

「…あ、えぇっと、うん…違う、かな?」

「…御子息には分からぬか。弱く、孤立したものは己を強く持たねば生きてはいれない。私はそうやって力を得て、今がある。メリッサも、己を妹達を守る為に自分を強く持って生きてきたのだ。それが彼女の美しさをより一層輝かせている。」

グラスを傾け血の呑み干し、ダクセはうっとりとメリッサを見つめる。


「それに、この体は体で、なかなか良いものだぞ?」


骨と皮。そう表現するに相応しい、長い間歩いていられない程に痩せ衰えた足。此処に来るまでの間にメリッサやシエルに支えられなけらばならなかった。テーブルに着いた後には、グラスを持つ手が時折壊れたように力を失ってしまう瞬間が何度もあった。

ダクセの意思だけでは儘ならない事態を引き起こす身体が、良いものという意味がムウロには分からない。


「公爵位まで手に入れた鬼である私が、人間の女二人に逆らう事も出来ずに風呂に入れられた。歩く事も儘ならず、人間の手を借りねばならない。」

「よくも、そんな身体を選んだものだね。」

選ぼうと思えば、他にもあっただろう。経験豊かな冒険者でなくとも、こんなガリガリな子供という最低な条件でなければ色々とあった筈だ。ムウロや爵位を持つような魔族からしてみれば、人間など脆弱ですぐに死ぬ生き物だ。選ぼうと思えば、選べた。

そこまで考えて、ムウロは一番重要な事に思い至った。それをダクセに尋ねようとしたが、ダクセはメリッサを一心に見つめていた恍惚な色を宿した目をそのままに、衝撃的な言葉をその口から零し、ムウロが挟もうとした口を閉ざさせたのだった。

「素敵なことだろう。」

「は?」

「生まれ着いて力があることが約束された鬼の身体ではないのだ。魔術師になれるだけの魔力がある訳でもない。何の下地さえもない身体。つまり、痛めつければ痛めつけるだけ、鍛えることが出来るということだ!」


何処まで鍛えることが出来るだろうか。何処まで強くなれる?『勇者』は人間であった、それでいて魔王と互角に戦いあえる程に強かったのだろう?私も、そこまでに鍛えあげてみたいものだ。


うっとりと一人語りを始めたダクセに、ムウロは声もない。

「私の小鳥と一つ屋根の下、彼女の優しさに包まれて、無から有を作り出すように身体を鍛えることが出来る。どうして、今まで気づかなかったのだろうな、こんな素敵な事を。」


よし、もう関わるのは止めよう。


あまりにも意味が分からない、分かりたくもないダクセの主張に、ムウロは考えを放棄することにした。その被害を受けることとなるメリッサにも、巻き込まれることになるバーバラやヘンゼルには悪いが、こういう手合いには深く関わらない方がいい。

それを、ムウロは実兄によってしっかりと学んでいた。

魔界三大ガッカリ美男子なるものに同列で語られているらしいが、兄レイは家族故に関わりを絶つ事は出来ないのに対し、ダクセは別に関わらずともよいのだ。何の問題もない。

さっさとシエルを連れ、次の頼まれた届け物を果たしに行こう。ムウロはそう決めた。


「…あぁ、私の小鳥…」

「それで、元の身体は何処にやったのさ。まさか、放り出したなんて無いよね。っていうか、どうやって身体を移し変えた?」

一人語りを続けていたダクセの声を遮り、ムウロは帰る前に自分の抱いた疑問を解消することにした。

鬼はあまり術に精通した種ではない。魂を移し変える術をダクセが持っていたとは思えない。

「『死人大公』様にお頼みしたのだ。身体は、あの方が保管しておくと約束して下さった。」

「それって、大丈夫なのかな?」

あらゆる遺体を切り刻み、己の身体にしたり、人形の材料とする『死人大公』フレイ。フレイ好みの見目麗しいダクセの身体が無事であれるとは思えなかった。

「戻る予定もないから、どうなろうとどうでも良いのだがな。鍛えられ過ぎていて、あの方の好みではないと言われた。観賞用に飾っておくから、好きな時に取りにこいとな。」

「……飾っておく、ねぇ。『大公』の所にあるんだから心配は無いと思うけど、うっかり身体が盗まれて無かった、なんて事にならないように気をつけてね。」

「そんな馬鹿なことがあるのか?」

ムウロに言い方に、前例があるものだと感じたダクセは呆れ、馬鹿にして笑う。

「居たんだよ、そんな馬鹿が。今は暢気に人間の中に混ざって生活してるよ。」

勘が良ければ、今頃帝都の何処かでくしゃみ一つでもしているだろう、身体を盗まれた馬鹿な竜の姿がムウロの頭に浮かんだ。


「脆弱で小さな人の身体に、鬼の魂と魔王の力。器に収まりきらぬせいか、少々今の私は鋭敏に物事を感じることが出来るようだ。」


「何を、突然?」

本当に、ダクセの言葉は突然だった。それまで恍惚に揺らめいていた彼の目が、しっかりとした鋭利な光を宿してムウロへと向かっていた。

「何、私が愛しい小鳥と共に在れるようになったのだ。その喜びと、これらの食事を奢ってもらった礼だ。年下の、種としては貴方よりも弱き者の戯言だ。笑って流してくれてもよい。」

「奢るなんて何時、僕が言った?」


「この娘。ほんの些細な程度ではあるが、とても甘い、美味な香りが鼻につく。理性を持たぬものならば、この香りに誘われて喰らおうと考えるであろうよ。充分に、気をつけた方が良いと思うぞ?」


ムウロの言葉を無視し、ダクセは忠告をムウロに与えた。

どうせ大量にあるアルスのツケに加わるもので、ムウロの痛手には一切ならない。だが、何時の間にか何度もおかわりを繰り返したダクセの食事を奢る事にされていて、少しだけイラついた。

「忠告感謝するよ。でも、今でも充分にシエルには注意を払ってるし、護りは十二分に施してある。何があっても大丈夫だよ。」

「なら、いいが。」



歌姫の歌が終わりを迎えた。

彼女を照らしていた光が消え、舞台の上にあった彼女の気配が消える。

「歌姫様の楽屋に、そちらのお子様をお連れするようにと。」

給仕の一人がダクセである子供を迎えに来た。

「そういえば、あの子の名前って何だろう?」

給仕に手を繋がれ連れて行かれる子供に手を振りながら、シエルは一度も声を聞かなかったなと呟いた。

ぎこちない笑みを浮かべ、シエルに手を振り返して去っていく子供の姿に、ムウロは気持ち悪さに鳥肌を立てた。

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