鬼の所業
バキィッ!!!
「もぉ、いい加減にしてくれない?」
ドォォオォオォン!
飛んだり、跳ねたり、時には自身に迫る大斧を蹴り返し、ムウロは大斧を手足のように自在に操って繰り出されるダクセの攻撃を回避していた。
息一つ乱すことなく軽々とした身のこなしのムウロだったが、避けそこなったこともあるようで、右腕や左腕からは赤い血が滲み出ていた。
見た目には痛々しい姿だったが、ムウロ本人は痛みを感じてはおらず、傷そのものを気にもしていないようで、ムウロのその顔にはうんざりという想いがありありと滲み出ている。
そんなムウロに、『豪腕公爵』ダクセは攻撃する手を一切止める様子を見せない。
真っ黒な艶もなくボサボサと手入れもされていない髪を振り乱し、普段ならば存在する白目さえも真紅に染め上げたダクセは、なんの感情も浮かんではいない淡々とした顔つきでムウロを睨みつける。ダクセ本人がどれだけ鍛えても筋肉がつくことがないと悩む、普通の鬼達の半分も無い両腕で2本の大斧を振り回す。
一歩足を前に突き出せば、床がひび割れて沈む。
鋭い牙が生えた口で轟音を放てば、ムウロを囲んでいる空気が揺らいだ。
「ちょっと、誰でもいいから止めてくれないかな?」
だが、色々と建物に被害を及ぼしているダクセのムウロに対する攻撃は、本気のものではない。それはムウロにも分かっている。
大戦のことなど知らず、もちろんムウロよりも年下のダクセは、鍛錬に鍛錬を繰り返すことで力をつけ、公爵の一人を殺すことでその地位を手に入れた。高位爵位持ちの中では最年少で公爵となり、侮るもの達を退け続けているダクセが本気を出し、そして伯爵位とはいえ二人の大公の子であるムウロが本気で対抗すれば、その被害はこの程度で済む筈はない。
ダクセのこの攻撃は、いわゆる「八つ当たり」だった。
「いやいや、あれはムウロ殿が悪い。」
「そうですな。あと二、三発は甘んじて頂かねば。」
器用で豪腕、自然を愛し、平時ならばそれなりに多種族との付き合いも良い鬼族だったが、簡単に箍が外れ暴れ狂うという困ったところがある。
その為か、鬼族の里ではこの程度の騒ぎは日常茶飯事。
公爵としての立場があるのだからと建てられた、荘厳さを放つ石造りで広大なダクセの屋敷。その中では、屈強な肉体を持つ鬼族の男達が手馴れた手つきや動きで、ダクセとムウロによって生み出されていく破壊痕を修復し始めていた。
年老いた者から子供まで、右往左往と屋敷内を動き破壊痕を築いていくその後を追い、ひび割れの補修や陥没の埋め立てなど忙しそうに手を動かし、生暖かい目で二人の動きを窺っていた。
その只一人として、ムウロの呼びかけに答えてくれはしなかった。
「振られたばっかの若の目の前で、恋人の話なんてするからぁ。」
「シエルは恋人じゃないんだけど!?」
「振られてなどいない!!!」
一人の若い鬼が笑いながら口にした言葉に、攻撃の手、逃げる足を止めることなくムウロとダクセが反論する。
ダクセがお届け物係に託した歌姫への贈り物。
それを返し、さっさとシエルを迎えに行こうと考えていたムウロだったのだが、ビロードの箱をムウロによって着き返された後、ぶつぶつと悲嘆を露に呟き始めたダクセに腕を掴まれて捕まり、帰るに帰れない状況となっていた。
何故?どうして?
あぁ、私の小鳥。私の思いさえも贈ることは許されないのか。
面倒臭い。思っていた通り、面倒臭い状況となったダクセの様子を見守ることを強いられてしまったムウロは、早く帰りたいと顔にありありと出して訴えた。
そんな中でムウロの耳に届いた、シエルの『遠話』。
声を出す事なく、シエルの呼びかけに答えたムウロだったのだが、ダクセは腐っても爵位持ちだった。『勇者の欠片』が放つ特有の気配を感じ取り、独り言を繰り返していた顔を上げた。
大戦後に生を受けたダクセは、勇者を知らない。
だから、それが『勇者の欠片』によるものだとは気づくことは無かったが、ムウロが何かと繋がっていることには気づいた。
シエルが待っているのだと伝え、帰ろうとしたムウロ。
その時はダクセも、ムウロの手を離してくれそうになったのだ。それを一変させた最悪の言葉は、その場で話を聞いていた一人の鬼のものだった。
「そんなに早く帰りたいなんて、恋人ですか?」
ムウロが反論するよりも早く、離そうとしていたムウロの腕を力強く掴み直したダクセ。
「恋人…確かに、ムウロ殿ならば引く手数多でしょうな。…私なんかとは、大違いで…」
「あぁ、もう。いい加減にしてくれない?」
流石に苛立ちが頂点に達したムウロが、狼の本性を露にしてダクセの拘束を振りほどいた。豪腕で知られる鬼族の中でも随一の力を誇るダクセ、その力で掴まれ爪さえも食い込もうとしていた腕を狼の姿に戻ることで、無理矢理に解放させる。そのせいか、ダクセから離れた位置で狼の姿から人の姿に変じたムウロの腕には血が流れ出る一筋の傷が出来ていた。
「治るまで、戻れないな。」
一瞬にして傷を消し去ることが出来る大公達とは違い、ムウロでは傷口を完全に消し去るには一刻はかかってしまう。ゆっくりとシエルが休んだ後には帰るのだから問題はないのだが、何となくムウロが口にしたその言葉が、何故かダクセの攻撃を引き出すこととなった。
「いいものですね、怪我を心配してくれる優しい恋人。私は、彼女と会うことも許してもらえないというのに。」
引き離される想いを共に味わい、どうしたらいいのか共に考えて欲しい。
そして始まった、相談という名の八つ当たり。
「振られて無いって、バーバラの所自体に出禁扱いされて、こうして贈り物も返された。しかも、大ッ嫌いって伝言もあるんだけど。もう、きっぱりと諦めなよ。」
振られていないと叫んだダクセに、ムウロは呆れ果てた。メリッサの反応のその全てが、一粒たりとも希望の無いものだ。それで、どうして、そんな事を言い切ることが出来るのか。
「メリッサは、優しい娘なのだ。私が諦めるよう、そんな態度を見せているだけに過ぎない。」
そこで、ムウロは「あれ?」と、メリッサの名を呼んで身悶えている青年の姿をした鬼に目を向けた。
「歌姫の名前、知ってるんだ。」
アルスの迎えや付き合いなどで、ムウロは何度もバーバラの迷宮のあらゆる階層に出向いた事があった。地上の時間でいえば、数十年。顔を隠した歌姫が大きな看板として扱われるようになってから、それだけの時間が経っているが、彼女の素顔や歌以外の声、名前などを知ったのは今日が始めてだった。
その名前を、どうしてダクセが知っているのか。
そろそろ騒動を大きくしてでもさっさと帰ろう、そう考えていたムウロも純粋に驚き、ダクセに聞いていた。
「愛する人のことを知らない訳がないではないか。彼女を知り、彼女の優しさを見たその日から、彼女のことは全て知りたいと感じていたのだ。」
メリッサの事は何でも知っている。
獰猛な獣のような笑みを、うっとりとした声音を吐き出す口元に生み出したダクセは、胸を張ってそれを宣言した。
「彼女は優しい。妹達や同じ村から売られた者達だけでなく、共に売られていた奴隷達をバーバラに買い取らせ、その代価を今も返し続けているのだ。自分自身さえも極限だったというのに、他者を思いやれるなどと、なんて気高く、美しいのだろうか。」
切々と語り始めた、メリッサの話。生まれ故郷から生い立ちなど、呆気に取られて聞いていたムウロだったが、その途中で一つの言葉が頭を過ぎった。
うん、気持ち悪い。
メリッサは、ダクセの綺麗な顔が嫌いだと言った。鬼族の女達は、いい人だけど醜過ぎる(鬼族基準)から無理だと言う。
だが、そんな問題ではない、とムウロは今思った。
好きだからといって、此処まで隠されたことまで知り尽くす必要がある訳がない。
ばっ
切々と語るダクセから目を逸らし、ムウロは周囲で修復作業をしていた鬼族の男達を見た。
ムウロが何を言いたいのか気づいている彼等は、一斉に目を逸らす。
一番近くに居た鬼の若者が一人、ボソッとある事をムウロに教えた。
「もしかしたら御存知かも知れませんが…魔界の一部情報通な女達の間では、ダクセ様は"魔界三大ガッカリ美男子"に数えられておりまして…。」
そのせいで、鬼族以外からも嫁を見つけることは難しくなり、最早ダクセの嫁となってくれるのならば人間でも構わないと、鬼達は考えているのだという。
「ちなみに、一人は『麗猛公爵』となっております。」
それには、ムウロも反論の余地も一切無く納得してしまった。




