一人でお泊り
返してこい!
大ッ嫌いだ、と伝えろ!
一応、それをした場合の面倒臭さに辟易したムウロが説得しようと試みたのだが、メリッサは頑なにそれを曲げようとはしなかった。
美形の癖に!と怒るメリッサ。鬼族には鬼族の美観というものがあり、それに当て嵌めればダクセは鬼族始まって以来の醜さなのだ。血筋や実力、人柄などでによって鬼族の統率者の地位に伸し上がり、一人の公爵を倒し公爵位まで手に入れた。それだけの存在でありながらこの数百年、その醜さによって嫁のなり手が噂にも上らなかった。
そう、ムウロは説明したのだが、メリッサは一切聞く耳を持たなかった。メリッサを宥めていたヘンゼルによれば、そのメリッサの主張にダクセに対する一抹の哀れさを覚えてしまったヘンゼルとバーバラが何度もそう伝えたのだが、メリッサの怒りは緩まることはなかったのだという。
「歌だけしかしんねぇくぜに!なぁにが小鳥だや。美じいだぁ?私のことを、なんぞ知っとるっていうだよ!!!」
鬼族の基準などメリッサには関係ない。
美形、美人。メリッサがそう判断出来た時点で、好きにはなれない存在だと部類される。
美人でなかったが為に奴隷として売られ、バーバラの下で最低100年は歌い続けなければ返せない借金を抱えているメリッサにしてみれば、美形などに心休まるわけがない。
メリッサが頭からすっぽりと、視界を遮るように覆い被っているベールは、客達に歌だけを聞かせる為であり、メリッサの心を荒れさせる美形・美女を目に入れないようにという意図があった。
「私、なんが間違ったこと、言っでるだや!?」
美形の癖に、という主張には首を傾げるものがあるものの、自分のことを何も知らない癖に、という叫びには何の間違いは無い。
そう思ったシエルは、鼻息の荒いメリッサに詰め寄られながら、うんうんと頷いた。
同じ人間の女である、そんな理由でシエルに詰め寄ったメリッサは、シエルの同意を得られると大いに喜び、シエルを抱きしめて大きな喜びを表現した。
「分かっでぐれるだな!
「うん。わ、分かる、よ?」
押し切られた感がある事はあるのだが、ぎゅぅっと自分を抱きしめてくるメリッサが、シエルの耳元でホッと安堵の息をついているのを感じれば、しょうがないという気持ちになった。
「これじゃあ、受け取って貰うなんて無理だよね。」
前のヴェルティ達夫妻は、一応ではあるものの最後には受け取ったということになった。
だが、完全に拒絶し、それにしっかりとした理由があるメリッサに、無理矢理ブレスレットを押し付けて帰る訳にはいかない。メリッサの熱い抱擁の中から、シエルはムウロに目を向けた。
「そうだね。…でも…本当に面倒なんだよね、鬼の奴等って…。どうしようか?」
頭を抱えるムウロ。
女気は一切無いダクセだが、鬼族の中で族長としては慕われている。本人は否定に否定を重ねるが、鬼族以外からの女達の人気は大きい。
ダクセ本人も暴走されたりしては面倒臭いというのに、その周りからの反応や影響を思えば、より一層面倒臭い。
「あっ、じゃあ、じゃあ!それ突き返してきてくれたら、アルス様のつけをちょっとだけ減らしておくっすから!」
バーバラは自分が説得する、とヘンゼルはムウロに頼んだ。ついでに出禁をしっかりといい含めてきてくれたら嬉しいと、迷宮主としての要求もしっかりと沿えて。
「……まぁ、どうせ受け取って貰えないなら返しに行くしかないからね。覚悟を決めて行ってくるよ。」
何処かに捨ててしまうという考えも頭を過ぎったムウロだったが、それがダクセに知られた時に危険に晒されるのは届け物係であるシエルだ。初めから、選択肢は返しに行くしかないことは分かっていた。面倒事に巻き込まれるしかない自分を慰める為に悩むフリをしていたのだが、莫大なアルスのツケが少しでも減るというのなら少しは心が救われた。
アルスのツケが大きくなれば成る程、アルスの血族として降りかかる面倒がある。家計を任されている姉が荒れ狂う姿を思えば、少しは頑張ろうとも思える。
「それじゃあ、一回ミール村に戻って…」
さすがにシエルを一人にしては置けない。ダクセが荒れ狂えば、早々に帰ってくることが出来ないかも知れないのだ。ミール村で待っていて貰うしかない。
ムウロはそう判断し、シエルに伝えた。
「うん、わか…」
「なら、私の家に泊まればいいだよ!」
ムウロの提案に、シエルは了承を示し頷いた。
だが、その言葉はメリッサの大きな声によって遮られてしまう。
「あんだが帰っでくるまで、私の家で待っでればいいだ!この娘っ子にはもう隠すような事はねぇし、家なら警備は万全だよ!」
「つまり、僕がちゃんと返してくるまでの間の、人質ってことね。」
すぐにメリッサの意図に気づいたムウロが、威圧感を増した笑顔をメリッサへ向けた。
「な、何、言ってんのさ、メリッサぁ!!!」
ダクセからの贈り物は送り返したい。けれど、ムウロを怒らせたい訳ではない。
メリッサへと飛びつくように近づき、シエルを力強く抱きしめたままのメリッサをヘンゼルは引き離そうと手を伸ばす。
フンッ
シエルを抱きしめたまま離そうとしないメリッサは、そんなヘンゼルを鼻で笑ってあしらった。
「…シエルはどうする?」
ムウロは、シエルに判断を任せることにした。
歌姫というバーバラ自慢の売れっ子、しかも顔や普段の姿を完璧に隠した。その周囲に配置された警備は万全だというのは少し考えれば分かる。
ならば、ムウロが離れていてもシエルの安全はある程度は保障される。
「う…ん…、それじゃあ此処で待ってる、ね。」
少しだけ悩んだ様子を見せたシエルだったが、その顔には「面白そうだもん」という好奇心を抑えきれない表情がありありと浮かんでいた。
そんな顔で、いい?と聞くシエルに、ムウロは頷く事しか出来無かった。
「甘っ!甘いっすよ、ムウロ様!」
そんなムウロの対応に、ヘンゼルは小さな声で叫び、青褪める。
メリッサが自信満々に警備は万全だと言い張った。もしも、シエルがメリッサの家に泊まっている間に、何かあったらと考えれば、楽天的なところのあるヘンゼルの胃でさえもキリキリと痛みを訴え始めた。
「シエルに何かあったら、父上だけじゃなくて、兄上も乗り出すだろうから。頼んだよ?」
痛みに腹を押さえているヘンゼルの耳元で、ムウロは静かに囁いた。
『銀砕大公』を示す"父上"という言葉の後に続いた"兄上"の言葉。それが、吸血鬼を統べる『夜麗大公』の嫡男『麗猛公爵』のことであると、胃の痛みに動きが鈍ったヘンゼルの頭が辿り着くことが出来たのは、ムウロがシエルへ「行ってくるね」と言い残して転移した後だった。
「えっ、ちょ、な、なんで、レイ様まで出てくるんっすか!?」
気づいた後、パクパクと口を動かして呆然と思考停止に陥ってしまった、ヘンゼル。
そんな彼を完全に無視し、メリッサはシエルを連れて自宅へ帰る為に楽屋を後にしていた。落ちていたベールを被り直し、楽屋の外で待機していた護衛達に声をかける。自室に篭って何やら慌しく動いているバーバラへ、シエルと共に帰ることを報告した。
「…分かったわ。」
報告の為にバーバラの部屋に入ったのは、シエルとメリッサだけ。メリッサは報告を聞いて少しだけ頭を抱えたが、ヘンゼルとは違いすぐに顔を上げた。そして、部屋の外に自ら身を乗り出し、通路で待っていた護衛達に強く声をかけた。
「いいこと、お前達!何時も以上に気合を入れて警護なさい!!」
「お任せ下さい!!」
歌姫が言葉を交わすのは、バーバラとヘンゼルだけ。
その為、五人の護衛達に囲まれた状態では、メリッサとシエルの会話は一切無い。腕を引いたり、指を向けて指し示したり、そんなやり取りを続けながら通路を進む。
その先には、一つのドア。
三つ並んでいるドアには、それぞれプレートが掲げられている。
メリッサが指し示したのは、その右にあるドア。そこには、『第三客街』というプレートがかけられていた。
気になったシエルが、その横に並ぶ二つのドアのプレートの見てみると、それぞれ『第二客街』『第一客街』と書かれていた。
「何処に行くの?」
声を出す事の出来ないメリッサに代わって、シエルの質問に答えたのは護衛の一人だった。
「迷宮を楽しむ為に訪れるお客様方の為に、宿泊出来る階層も用意されて居るんです。階層を降りれば降りる程値段が高めになっていきますので、それに応じて『第三』『第二』『第一』と施設や値段、サービスなどに違いのある三つの階層があります。歌姫様は、地上に最も近い第一階層にある低価格が売りの『第三客街』に住んでいらっしゃるんです。」
歌姫ともあろう方が何故なのか、説明してくれた護衛の男の顔には、シエルにも分かる程はっきりとそう書いてあった。
だが、シエルにはその理由が、何となく理解出来た。
メリッサは田舎の出身だと、ヘンゼルが言っていた。それを思えば、高額なりの宿泊施設ではきっと落ち着かないのだと、帝都の皇宮で居心地の悪さを感じたシエルは納得した。
ベール越しのメリッサの耳元で、それをそのまま伝えてみれば、その通りだとメリッサは声を出す事なく頷いてみせた。




