暢気な救出劇
ガシャン
バキッ
そんな二つの音を立てて、シエルたちが背中をつける壁の、塞がれた窓からフォルスと灰銀の狼が飛び込んできた。
助けが来ることを伝えてあった少女たちは、耳を押さえていた手を外し、閉じていた目を開け、飛び込んで来たフォルスを見た。
「何だ!」
部屋の外で見張り役をしていた男が部屋に入ってきたが、フォルスと一緒に飛び込んで来た灰銀の狼に飛び掛かられ、床に後頭部を打ち付けて気絶してしまった。
その様子に、ホッと息を吐き出したのは助けが来た事に安堵しながらも、たった一人だという事に不安と恐怖を抱いたままになっていた少女たちだった。
平然として顔でいたのは、助けを呼んだ張本人であるシエルと、最初から顔色一つ変えていないエルフの少女だけだった。
「フォルス兄。その犬は?」
暢気にそんな事を聞いたシエル。その目は、倒れた男の上に座り込み、尻尾を振っている灰銀の大きな犬に向けられている。
「狼だと、思う」
呆れて、開いた口から溜息しか出てこないフォルスにかわり、シエルの隣に座るエルフの少女が、シエルが大型犬に思っているものが狼なのだと告げた。
狼・・・小さく呟いたシエル。
「アルスさんの、だ。」
あぁ、とシエルが正体を思いついたのと同時に、フォルスが濁しながら正体を教えた。
ムウロはトコトコと、完全に意識が無いことを確認した男の上から降り、シエルの目の前に歩み寄り座り込む。そして、頭を下げた。
その普通の獣ではしない行為を見て、エルフの少女は息を飲み、シエルは慌てて頭を下げ返した。
「ムウ・・・」
「ガウッ」
シエルが、アルスに向かわせると言われた名前を口にしようとすると、狼-ムウロが一鳴きして遮った。ムウロの名は魔族の爵位持ちとして、そして『銀砕大公』の息子として、地上でもそれなりに知れ渡っている為、無闇に名前を呼べば気づかれ騒ぎになることは目に見えている。
「じゃあ、ムウさん?ムー?ウー?」
名前は呼んではいけない。
ムウロの名前の重大さは全然理解していないシエルだったが、そこは宿屋の娘。手伝いをしていると、名前を呼ばれたくない客、過去を知られたくない客など様々な事情の客の接客をすることがあった。そういうことなのだろうと勝手に理解し、どう呼べばいいのか頭を捻らせている。
そんなシエルの姿に、フォルスは手で頭を押さえ、村に戻ったらオババに胃薬でも処方してもらおうと考えていた。伯爵位持ちという本来なら地上に出てきてはいない筈の魔族を前にして、例えそれが契約主であるアルスの息子だと分かっているのだとしても、初対面であだ名をつけるのはどうかと思う。
《ムウさんがいいな。》
シエルの頭に聞こえた、若い青年の声。
目の前にいる狼がニヤッと、狼なりに笑ったのを見て、それがムウロの声なのだとシエルは気づいた。
「ムウさん?」
「グルル」
改めて、指定された名前を呼べば、ムウロは喉を鳴らして返事をした。
《君の事は父上に聞いているよ。あの父上に付き合わされるのは大変だと思うけど、付き合ってやって?年寄りの相手は誰もしてくれなくて、いっつも暇してるんだよね。》
その言い方はどうなんだろう?シエルは頭を捻った。
でも、確かにアルスは偉そうな立場の癖に、頻繁に村にやってくるし、食堂で酔い潰れている。ムウロの言葉に、シエルは普段見るアルスの姿を重ね、笑いが込み上げてきた。
そうこうしている内に、男が阻んで開いたままになっている扉から、走り回る音、怒声、何かが壊れる音、そして悲鳴が入ってきた。
その音に、ビクビクと震える少女たち。
扉の近くに立ち、階下の様子を窺っているフォルスが、助けが来ただけだ。大丈夫だ。と声をかけるが、あまりに大きな音に震えが止まることはなかった。
普通の耳にも聞こえてくる喧騒。シエルは『右耳』を澄ませてみた。
なんだって、言うんだよ!
何で、こんなに早く!
そ、そろそろ止めた方が。
あの鞭を喰らっていいんなら、お前が止めろよ。
今やられてる奴、新しい世界開いてないか?
誘拐犯たちの声や、フォルスが連れて来たという兵士たちの声が聞こえた。
そうして『右耳』と閉ざして、普通の耳を澄ませてみると、少しだけ鞭が叩きつけられる音が聞こえてきた。
「フォルス兄。新しい世界って?」
ごんっ
シエルが『右耳』で聞いた言葉の意味を問いかけると、突然の思わぬ言葉によろめいたフォルスが壁に頭を打ち付けた。
そのまま答えようとしないフォルスに、シエルが頭を傾げているとエルフの少女が淡々とした顔でそれに答えた。
「新しい趣味・趣向って事。」
《うん。性癖ともいうね。》
その答えに、ムウロも答えを重ねてきた。
「ふぅ~ん」
いまいち分かってなさそうなシエルの声。
その様子に、少しだけ安堵したのはフォルスだった。まだ子供だと思っている妹分が理解したなんて言い出したらどうしようと、壁に頭を置いたまま胃を痛めていたからだ。
「あっ、誰か来るよ?」
シエルが階段を登って来る足音に気づいた。
シエルの言われるまでもなく、その足音にとっくに気づいていたフォルスだったが、とくに警戒することもなく、足音の主を二階へ招きいれた。
「ふぉ、フォルスさん。エミルさんを止めてくださいよ」
震えた声で、フォルスに訴えかけたのは、涙目になった兵士だった。
「気が治まるまでやらしとけば、その内に止まるさ」
「これ以上は過剰です!エミルさんも捕まえることになっちゃいますよ?」
「捕まえられるんなら、今も止められるだろ?」
御願いしますよ、フォルスさん!
冷たく返したフォルスに縋りつく兵士。彼よりも一回りも若いフォルスに縋りつく姿はとても情けないものだった。
だが、一応は冒険者が集まる街で、年から見て長いこと兵士をやっている男がこんな状態になるまで、エミルは階下で何をしているのか。シエルは、少しだけ覗いてみたいなと思った。
ガクガクと揺さぶられ、鬱陶しそうな顔をして、フォルスは階下に下がっていった。
涙目の兵士はというと、フォルスにシエル達の縛られた手を開放してやれという指示に従い、一人一人を後ろ腕に縛っている紐を切っていた。
全員の紐を切り終え、長い事無理な体勢で座らされていた少女たちを立ち上がらせたところで、階下から「降りて来い」というフォルスの声が聞こえてきた。
階下の状況に興味を持っていたシエルは、小走りで階段を下りていった。その足元にはムウロが付き添い、シエルとムウロの様子を兵士は呆気に見送った。そして、エルフの少女はその後は足早に着いていった。
「シエル!あんたならどうせ大丈夫だとは思ったけど、心配したのよ?」
階下に降りたシエルを待っていたのは、エミルの抱擁と「ん?」と思う言葉だった。
「だって、今まで吸血鬼だの竜だの、リッチだの、そんなのからも結果的には無事だったんだもの。誘拐犯ごときなら大丈夫だとは思ったのよ。でも、心配したのは本当よ?」
口を尖らせ不服を露にしたシエルの顔に気づいたエミルは、シエルの顔を覗きこんで首を傾げた。エミルの言っている内容にグウッの根も出ないシエルは黙ることを選んだ。
そして、そのまま話題を変えようかと捕り物が終えた室内を見回した。
床や壁、天井にまで及ぶ鞭で叩かれた痕。
床は足跡で埋め尽くされ、壊れた家具などの破片が転がっている。
そんな床に、縄で縛られ床に座らされている男達。
ただ、犯人の一人は服が破れ全身に鞭の痕が見え隠れし、フォルスに踏みつけられていた。その顔は、何故かうっとりとしてエミルを見上げていた。
「で、これは?」
エミルが指差したのは、足元にいたムウロ。
《ムウロさんだよ。》
《よろしく。これから、シエルに着いて回る予定のムウロだよ。》
「えっ?何それ?」
口に出して名前が言えない。その為、シエルは『右耳』の力を使って二人合わせて回線を繋いで、声に出さないで話が出来るようにした。
そして、ムウロから言われた衝撃の言葉。
「そんな事、聞いてないよ?」
《今、決めたからね。》
ムウロの前に座り込み、目線を合わせて問い質す。
捕り物を終えて帰り支度を整えていた兵士たちが大きな声に驚いて振り返った。
彼らが見たものは、狼を相手に真剣に話しかけているシエルの姿だった。




