歌姫
四曲ほど、観客を魅了する歌を披露した歌姫は舞台を暗転させて姿を消した。
惜しむ声を上げていた客達も、再び舞台に光が生まれ、次の歌い手がその声を披露し始めると歌姫への想いを口にすることを止め、酒を飲んだり料理を口にしたり、傍に控えている美女達に声をかけたりと、各々にこの場を楽しみながら、舞台を楽しみ始めた。
シエルとムウロは、歌姫が舞台を去るとすぐに、バーバラに先導されホールを後にした。
歌姫に届け物がある、と説明を受けたバーバラは、頬を赤く染めて喜んだ。
「まぁまぁ!今、爵位持ちの中で話題の的になっている届け物を受け取るだなんて。あの子の名前に箔がつきますわ!!」
うきうきと体を揺すりながら先導したバーバラに案内されたのは、関係者以外は絶対に立ち入り出来ないという、飾り気の余り無い通路の奥深く、舞台に上がる者達が出番まで控えるという楽屋だった。
この階層随一の人気を誇る歌姫の楽屋は、相部屋や、常に違う部屋を使う事が通常であるという中で、決まった部屋を彼女だけが毎日使い続けているという特別扱いだった。
コンコンッ
「メリッサ~ちょっと良いかしら?貴女へのお客様なの。」
ダンッ、ガンッ、バサッ!!!
バーバラが楽屋のドアをノックして声を掛けると、その突然の声掛けに驚いた為だろう慌てふためく音が聞こえてきた。
「ま…まぁ、ほほほほっ」
舞台上に見たか細い姿や雰囲気からは、そんな落ち着きのない音を立てるような女性とは繋がらず、シエルは唖然と口を開いてドアの凝視していた。
そんなシエルの気を逸らそうとバーバラは笑い声を上げたが、その拳はガンガンッとドアを殴りつけていた。
カチャッ
「は~い。申し訳ありませ~ん。今ぁ、ちょっと着替えを始めようとぉしてたところだからぁ~」
小さく開かれたドアから、可愛らしい子供が顔だけを出してきた。
うるうると大きな目を潤ませ、上目遣いをして謝る子供は、とても可愛らしい女の子だった。
だが、歌姫は子供ではなかった。
その可愛さに見惚れてしまっていたシエルも、それを思い出して「じゃあ、この子は誰なのか」と考えた。
それに対して、初めに答えを出してくれたのは、その女の子本人だった。
「って。なぁんだ、ムウロ様じゃん。客だっていうから、外面作ったってぇのに~。」
チッ
顔をドアから出した時には甘さを感じさせる高い子供の声だった。だというのに、舌打ちを放って低く態度の悪い、先程感じた印象からは酷く懸け離れた声に変わってしまった。
それは、その顔も同じだった。見上げた目でムウロの姿を捉えた瞬間、その顔は一瞬にして目を眉間に皺を寄せながら細め、潤ませていた目は冷ややかで鋭い眼光を放つものに変化していた。
「なんだ、だなんて失礼なことを言うんじゃないよ、この馬鹿息子!!」
ごめんなさいねぇとムウロに謝りながら、バーバラの拳は先程ドアを叩き付けた時よりも強く、ドアから出ている頭の上に振り下ろされた。
「イタッ!!なぁにすんだよ、このババア!?」
拳が見事に決まった頭を片手で摩りながら、シエルが女の子とばかり思っていたその子は、ドアを完全に開け放ち通路へと飛び出してきた。
そして、バーバラを文句を口にしながら睨みつけたのだが、今度は全く注意していなかった胴体へと繰り出されたバーバラの蛇の尾によって、痛みを声に出す事も出来ずに悶えることとなった。
「誰が、ババアですって?」
バーバラも言葉に、二つの手で頭と横腹を押さえている少年が答えることは出来なかった。
「申し訳ありませんわぁ、ムウロ様。それに、驚かせてゴメンなさいねぇ。」
頭を摩っている手の上に自分の手を重ねたバーバラは、その頭を強制的に下げさせ謝罪を口にする。
「ムウロ様は御存知でいらっしゃるけれど、ご挨拶させますわね。私の不肖の息子、ヘンゼルですわ。」
ほら、挨拶おし。
小さな声で、バーバラの手によって押さえ付けられている少年ヘンゼルの耳に囁く。
痛みに声も出せなくなっていたヘンゼルだったが、その頃には少しだけ痛みも和らいでいた。母親の命令に、渋々といった感じで従った。
「歌姫メリッサの助手を担っております、ヘンゼルと申します。先程の失礼をどうかお許し下さい。」
ドアを開け放ったことで見えた全身を見れば、それは下半身が蛇のものであることを除けば、普通の少年のもので、その表情や声音は女の子とは間違いようのないものだった。
「女の子だと思った。」
シエルが素直にそう口にすれば、少年は怒るどころか笑顔となって喜んだ。
「マジッすか!いやぁ、マジで嬉しいっす。」
最近じゃあ騙されてくれる奴も少なくなっちゃって落ち込んでたんすよね~。やっぱ、体が成長しちゃったからですかね。前はもっと、騙された大人共がチップとかこっそりくれたりしたんっすけど。最近、それがないんで遊びに行ったり出来ないんっすよ…。
シエルの手を両手で包み、ブンブンと振り回して喜びを露にするヘンゼル。
そのヘンゼルの手首をムウロが掴んで絞め、バーバラがヘンゼルの頭にもう一度拳を振り下ろさなければ、それはまだまだ続いていたと思われた。
「本当にゴメンなさいねぇ。誰に似たんだか、粗野な子に育ってしまって。」
ヘンゼルの首根っこと掴み大人しくさせると、バーバラは楽屋の中へと二人を導いた。楽屋の中に入ると、ドアをしっかりと閉めて、楽屋の中が閉ざされた空間になったことを確かめた。
楽屋の奥には壁一面に広がった鏡があり、それをたった一人で独占しているのだろう、中央にある椅子に舞台の上に居た時は寸分変わらない姿の歌姫が腰掛けていた。
「さぁさぁ、この子が私自慢の歌姫メリッサですわ。」
口元だけを残した顔の大半をすっぽりと覆うレース。その為に、彼女の顔立ちや表情は一切見ることは出来ない。驚いているのかも知れない歌姫メリッサの肩を押して椅子から立ち上がらせたバーバラが、シエルとムウとに彼女を紹介する。
「メリッサ。こちらは、『灰牙伯』ムウロ様と『銀砕大公』の魔女であられるシエルお嬢様。シエルお嬢様は『届け物係』という大変なお役目を担っておいででね、今日は貴女に贈り物を持って来て下さったのですって。」
何かしらね。誰からかしら。
…様からかしら。それとも、…様?
うふふ、楽しみねぇ。
メリッサの返事も、シエルやムウロの反応も聞かずに、関係者以外は立ち入れない場所に居るのだという油断もあったのか、どんどんと自分の思いを吐き出していくバーバラのその姿は、先程シエルに対してペラペラと離し続けようとしたヘンゼルと本当にそっくりだった。
「はじめまして、『お届け物係』をしているシエルって言います。さっき、メリッサさんの歌を聴いて、とっても感動しました。」
ババア、落ち着けよ。呆れ顔のヘンゼルの声を完全に無視して、送り主やその物に対する空想を吐き出しているバーバラを横目にして、シエルはメリッサへと話しかけた。
「・・・・・・・・」
だが、少しだけ興奮を交えて褒め称えるシエルを見下ろして見ていることだけはメリッサの首の角度からは感じ取ることは出来たのだが、シエルの言葉に返事が聞けることは出来なかった。
「?」
何か気分を悪くさせてしまったのか。シエルが不安に思って首を傾げると、それに対する答えがヘンゼルからもたらされた。
「あぁ、申し訳ないっすが、そいつ歌っている時以外はしゃべんないんっすよね。でも、シエル様の言葉には喜んでるみたいなんで、許してやってくれません?」
「あらあら、いけないわ私ったら。…ちょっとした理由がありますの。ですから、返事が出来ませんが許してくださいな。」
ヘンゼルに宥められ落ち着きを取り戻したバーバラも、話さないというメリッサのフォローをする。
「いえ、いいです。大丈夫です。」
メリッサも、声を出さないまでも頭を下げて、声を出して返答が出来ないことを謝ってみせる。そんな事をされては、シエルは首を大きく横に振って大丈夫だと答えるしかなかった。
「ムウさん、ムウさん。」
そして、ムウロが持っている届け物を出してもらい、そのビロードの箱を自分の両手の上に乗せて、メリッサへと差し出した。
箱の蓋を開けた状態で、キラキラと光を反射する色とりどりの宝石がついたブレスレットが、メリッサにもよく見えるようにして、差し出す。
それを横から覗き込んだバーバラとヘンゼル親子が、声を出さないメリッサに変わってキャーキャーと歓声をあげていた。
「まぁまぁまぁ!!!」
「やっべっ。まじ、これタッケェ奴だな!」
早く受け取りなよ、と親子に促されたメリッサのたおやかな手が、蓋の開いた箱を受け取った。
「気に入ってもらえました?」
ヴェルティ、クロッサ夫妻の時に受け取って貰えなかったという事もあり、メリッサが受け取ってくれたことに、シエルはホッと安堵した。
そして別に聞く必要もないのだが、同じように歌姫メリッサのファンとなったシエルは、『豪腕公爵』ダクセからの贈り物への感想を尋ねていた。
コクッ
頷いたメリッサに、シエルは満面の笑顔となる。
「良かったぁ。ね、ムウさん。」
「そうだね。ダクセ殿にも、そう伝えるよ。」
癇癪起こされると面倒だったから安心したよ。ムウロも、そんな事を考えて笑顔を浮かべた。『豪腕』という名に相応しく、癇癪を起こして暴れ出したら被害は甚大なものとなる。かの公爵の治めている"鬼"の居住地域は、兄レイが大切にしている別邸の近くにあり、そこの景観が崩れるなどとなってしまえば大変なのだ。レイの機嫌が一気に低下し、ムウロにも確実に八つ当たりが回ってくる。それを回避する為にも、ダクセの機嫌は出来るだけ良好であって欲しかった。
「今、何と仰いました?」
「うわっ!やべぇよ、やべぇ!!!」
そんなムウロの言葉に、楽屋内の空気は一変してしまった。
はしゃいでいたバーバラとヘンゼルは重い空気を生み出して、顔を青褪めさせた。
そして…。
「・・・・・・ない・・・・・・」
「えっ?」
ムウロでも、バーバラでもヘンゼルでもない小さな声が、シエルの耳に届いた。
ガシッ
それを不思議に思ってキョロキョロと顔を動かしたシエルの手を、突然メリッサが掴んだ。
「えぇ!?」
そして、シエルのその手にメリッサは、喜んで受け取ったとばかり思った箱を乗せて返してしまう。
「な、なんで!?」
「あない奴からのもんなんて、いらねぇだ!!!ちゃっちゃっと、持って帰ってくんれ!!!」
明らかにメリッサのレースから唯一覗いている口から放たれた言葉に、シエルは凍り付いてしまった。




