迎え撃つ準備?
タッタタ
木の陰から出て来たムウロに走り寄ったシエルは、目に涙を滲ませていた。
「ムウさん、受け取ってもらえなかったよ!?」
どうしよう!!受け取ってもらえなかった包み袋を抱えたまま、シエルは目の前に居るムウロと、背後にある家を何度も見返す。
「あぁ、やっぱり…。」
そんなシエルの頭をポンポンと撫でたムウロは、もう片方の手で眉間に寄った皺を解しながら溜息を吐く。
「ごめん、ごめん。シエルが悪いわけじゃないから。あそこの姑と嫁の仲の悪さは魔界でも随一って有名なんだよ。」
「えぇ~!?」
「だから、息子宛だって言われても嫌な予感がして断ったんだよ?だけど、色々とある貸しを持ち出してきて押し付けられて…」
はぁ。
哀愁を漂わせるムウロ。そんなムウロの頭に、シエルは腕を精一杯伸ばしてポンポンと、自分がしてもらったように撫で返した。
シュルッ
シエルが腕を伸ばし背伸びをしてムウロを見上げていると、哀愁漂わせるムウロの上で大きく茂った葉を広げている木の枝から、一本の細い蔓が生き物のように動いて降りてくる光景を目にした。
「ムウさん、あれって…」
植物が動くのなんて珍しいことではない。
だから、シエルはそんなに慌てることもなく、驚くこともなく、ただその事実をムウロへ伝えようと口を開いた。
村が地上にある頃でさえ、普通に近隣の森の中に自生しているものもあったのだ。冒険者達の話では、植物が人の形を取っている魔族や魔物も居て、それらは木々や草花を自在に操って攻撃してくると、面白可笑しく教えてくれた。
「おっとっ!」
くるんくるん。
だが、シエルがそれをムウロに伝え終わるよりも早くにムウロが慌てた声が、シエルのその声を遮ってしまった。
シエルの目の前があっちにこっちにと回転し、様々な景色を映し出していく。
ちょっと大人しくしててね。
ムウロのそんな声が聞こえたが、激しい変化を繰り返し、ぐるんぐるんと体の中が移動するような感覚の中で言われても、シエルには頷くことも返事をすることも出来ず、身動き一つせずにいるしか無い状況だった。
変化し続ける視界の中に、シエルが気づく事の出来た範囲でいえば動く緑が必ず映っていた。
「大丈夫?」
上下左右、移り変わる視界に耐えた頃、ムウロの気遣う声が背後の頭上から聞こえてきた。
まだまだ回り続けているような感覚に襲われていたシエルだったが、そんなムウロの声によって、頭上に空があって足下に地面がある状況に落ち着いてことに気づく事が出来た。
そして、背中からシエルのお腹に回されて抱き抱えられている状況のシエルは、足下に本当の意味では地面が無いことを気づいてしまった。
ムウロに支えられ、シエルは空を飛び浮かんでいた。
「大丈夫…じゃない…うぅぅ…」
お腹に回されたムウロの腕にもたれ掛かり、シエルの体は二つ折りの状態となる。
目の前がグルグルと回り続けているような感覚が弱まってはいるものの、まだまだ止まってくれそうにはなかった。気持ち悪いよぉ、とグッタリとするシエルに、ごめんごめんというムウロの焦った声が届く。
それから暫くして、何とか目を開けることが出来るようになったシエル。二つ折りの状態のまま目を開けたシエルの目には、うごうごと些細な動きを繰り返している緑色に染まった地面が映った。
平原の所々に生えている木々には蔓が上って絡まり、先ほどシエルが訪ねた一軒家には棘のある蔓が覆い被さっている。家の周りに幾つもあった畑も、すっかりと蔓によって実っていた作物の姿が見えない状況になっしまっていた。
「…ムウさん?」
「さっき、シエルが会った女性の仕業だよ。ドリアード族のクロッサ。」
ドリアード族。
何処かで聞いたことがあるような、そんな頭の端に引っかかるもどかしさがシエルを襲った。
えっと…と悩むシエルに、ムウロが説明をしてくれた。
「魔界でも数が少なくて珍しい存在だからね。シエルが知らなくても仕方ないよ。」
古い木に瘴気と魔力が集まって人型を取るようになった魔族なのだと、ムウロは説明した。
「あっ、家に泊まった冒険者さんが言ってたやつだ!」
その冒険者が遭遇し、酷い目にあったと語っていた時に出てきた魔族の名前だったと、シエルは思い出すことが出来た。
森に踏み入り、うっかりと木を倒してしまった冒険者に、木の枝や蔓を操って襲い掛かってきた女の姿をした魔族。火を使ったり、襲い掛かる枝を切り払ったりして、必死に森を抜けて逃げ切ることが出来たと語っていた姿が、シエルの脳裏に走った。
「へぇ、それは運が良かったね。中々、逃げ切るなんて出来ないよ。どんなに大きな森だろうと支配下に置いて襲い掛かってくるから。」
シエルが思い出したことをムウロに教えれば、ムウロは純粋に驚いていた。
「な、何があったんだい、クロぉ~」
ドンドン
足下から、慌てた男の人の声とドアを強く叩く音が聞こえてきた。
「あっ、あれがヴァローナの息子のヴェルティだよ。」
「…なんだか、意外だね。」
両手に拳を作り、棘のある蔓を押し退けて玄関の扉を叩き続けている男、ヴェルティの姿を見下ろしたシエルは、本心から不思議に思っていることが分かる声を漏らしていた。
この頃になると、シエルが感じていた気持ち悪さもすっかりと無くなり、シエルは二つ折りになっていた体勢を持ち上げて、空に浮かびながら立つ状態に出来ていた。
一言でいうのならば、ぽっちゃり系。
村に馬車を連なって来ていた商人も恰幅の良い人だったが、ヴェルティはそれ以上。けれど、シエルの伯父であるモノグと比べれば半分程度に思えた。
青褪めている顔も時折、シエルが居る上空からも垣間見ることも出来たが、先程対応してくれた女性クロッサと比べてしまえば、普通のおじさんとしかいいようが無いもので…。
そもそも、シエルが今まで出会ってきた人型を取っている魔族は皆、タイプはそれぞれながら綺麗だとか可愛いという言葉がピッタリ当て嵌まるモノ達ばかりだった。
ある意味、目が肥えているシエルから見ても惚けてしまう程に美しかったクロッサの、本当に旦那さんなのかとシエルは失礼な疑問を抱いてしまっていた。
そして、そんな事を考えては駄目だと、心の中に留めたまま自分を叱り付けたのだった。
「彼にそれを渡して、さっさと帰ろうか。」
シエルがそんな事を考えているとは露知らず、ムウロは空中に足を滑らせてヴェルティが扉を叩き続けている場所に降り立った。
「やぁ、ヴェルティ。」
「こんにちは。」
グニュ
シエルが初めに訪ねた先程には、玄関前のレンガを組み上げて造られていた踊り場があった場所。今では、棘のついている蔓に覆われ緑色に染まり、降り立った際には足の裏に微妙な感触を感じさせた。
「む、ムウロさん…」
声を掛けたムウロと、挨拶をしたシエル。
突然掛けられた声に驚いて振り向いたヴェルティの顔は、涙や鼻水が溢れるだけ溢れてしまっていた。
涙で霞む目で、自分に声を掛けてきたのが顔馴染みのムウロだと気づいたヴェルティは一度顔を伏せると、顔のあらゆる場所から溢れ出ている液体を服の裾でゴシゴシと拭く。それから再びムウロに向けて、顔を上げた。
「どうしたんです、ムウロさん?あっ、すみません。ゆっくりお茶でもお出ししようにも、何故かこんな感じで…。」
シエルが訪ねたことでこうなったなんて気づきもしないヴェルティ。
申し訳なさそうに首を傾げ、「今、開けさせますからぁ」と扉を叩くのを再開しようとしていた。
「いや、いい。君に用事があって来ただけだから。」
ね、シエル。
ノッカーの存在などすっかり忘れ、拳を握りなおして玄関を叩こうとするヴェルティを、ムウロは止めた。そして、シエルの背中を押して促したのだ。目を回そうが、気持ち悪さを訴えようが、しっかりと抱えて離さずにいた包み袋を、受け取り人として名指しされているヴェルティへ渡すように、と。
「あっ、うん。そうだね、ムウさん。」
背中をムウロに押されたシエルは、リボンで包装された包み袋をヴェルティに向かい差し出した。
「ヴェルティさん、お届け物です。」
クロッサに対して言ったのと同じ言葉。
にっこりと笑顔を浮かべるのも忘れずに差し出すシエルに、ヴェルティは不審げにすることもなく、包み袋を受け取ろうと手を伸ばした。




