それは初めての対応で
「ヴェルティさんにお届け物です。」
「あら、あの人に?何かしら?」
綺麗にリボンが結ばれて包装されている包みを差し出したシエルに、受け取り人であるヴェルティの妻クロッサが頬に手を当てて、不思議そうに頭を捻る。
滅多に魔族であろうと訪ねてくることもなく、道無き道を切り裂く冒険者でさえ足を踏み入れてくることのない夫妻の家のノッカーが初めての音を立てた。
何!?と驚き、ドキドキと心臓が破裂しかねない程の音を鳴らし、クロッサが玄関を開けてみると、そこには何もかもが不思議に満ち溢れた少女が一人、その両腕の中に大きな包みを抱えて、ニコニコと笑って立っていた。
真っ赤な頭巾に目が惹かれる以外は、何の可笑しなところもない女の子。
それが、地上の街中、いや村の中とかでなら違和感はないだろう。
だが、クロッサが居るのは迷宮の奥深く。それも、人の冒険者の中では難易度で迷宮を上げていく際には必ず名前が挙がると、昔この近くにまでたどり着くことが出来た冒険者の一宿一飯の代価としての話の中で聞いたことがあった。
そんな場所に、剣や弓矢、普通の魔術師が持っているような杖も何もなく、リボンで包装されている包み袋と籠だけを持って笑顔を浮かべている少女に、クロッサは驚きを隠せない。
だが、普通なら警戒を露にして玄関をさっさと閉めてしまうか、家の近くの畑で作業をしている夫に助けを求めて大声を出すなど、出来る事やらなくてはいかない事はたくさんあるというのに、ニコヤカな無防備な少女の笑顔と姿を見ていると、そんな気が一切湧いてこなくなってしまう。
「ヴァローナさんから、誕生日プレゼントだそうです。」
「あら、まぁまぁ。フフフッ。間に合っておりますの、お帰り下さい。」
バンッ!
少女を見ているだけでクロッサの心はほんわかと和んでいたのだが、少女が届け物の差出人の名を告げると、そんな気持ちは遠くの彼方へと飛んで行ってしまい、笑顔を浮かべたまま冷たく断りを入れて玄関を勢いよく閉じていた。
クロッサの天敵ヴァローナ。
『毒喰大公』が造り出した迷宮の奥深く、ありあらゆる毒で造り出されている迷宮の植物などが自然の防壁となって魔族も冒険者も滅多には辿り着くことの出来なくなっている先に存在している小さな平原は、襲い来る脅威と戦う必要がなく平和といえる場所だが、その場所ゆえに自給自足をするしか生きる糧を得ることは出来ず、娯楽もなにもない苦労の多い場所でもあった。
夫妻が何故、そんな辺鄙な場所に居を構えているのか。
その原因が、ヴァローナという女だった。
大変な生活の中で、ヴァローナに怯えなくても済む生活に安心していたというのに、今更その名を聞くことになるとは…。
クロッサは家の奥へと、いざという時を想定して手入れを整えていた己の武器を備えようと急いだ。
ムウロと共に転移の術を潜り連れられきたのは、こじんまりとした可愛らしい家が一軒だけ建っている平原だった。
家の周りには様々な作物が青々と実っている畑が広がった、のんびりとした光景がシエルの目の前にあった。
「この家が一つ目の届け先?」
「うん、そうだよ。ヴァローナっていう人から頼まれた、これの届け先。」
そう言ってムウロがシエルに渡したのは、白い布に綺麗な赤いリボンが結ばれて包装されている包み袋。中に何が入っているかは分からないものだったが、その丁寧に整えられた外見からシエルは、誕生日などに母や父、村人達から貰うプレゼントを思い出した。
それを口にすれば、ムウロがうんと頷いた。
「そう、シエル大正解。あそこは、ヴァローナの息子夫婦が住んでいる家なんだ。これは、その息子の誕生日プレゼント。」
それなら自分で届ければいいんじゃないのかな?
包み袋を掲げて観察していたシエルのそんな疑問に、ムウロは苦笑を浮かべるだけに留めた。
「僕はちょっと物陰に隠れているから。シエルだけで渡してきてね。大丈夫。彼等は二人とも、穏やかな性質でシエルに危害を加えることはないだろから。」
「えっ!えぇ!!?何でぇ?」
大丈夫、大丈夫。僕はちょっと、ね。
突然のムウロの申し出に驚き戸惑うシエルの疑問に答えることなく、両手を挙げてみせたムウロはただ「大丈夫だからね。」と呟き、困った顔を浮かべるて近くに生えている木の薄暗い影へと、その身を隠してしまった。
「な、なんだろう?ムウさん、何か悪い事でもしたのかな?」
隠れるということは何か仄暗いことがあるということ。でも、シエルにはムウロがそんな事をするようにも思えなかった。そして思ったのは、ムウロが申し訳なさそうに頼んできた届け物三つの、それを成さなければならなくなった原因であるアルス達のこと。また、一つ目の荷物の差出人だというヴァローナだけでなく、受け取り人にまでアルスの関係で何かあったのかなとシエルは考えていた。
三つの届け物が終わったらムウロを励まして、そして一言アルスにも言ってあげよう、とシエルは決意した。
コンコンッ
家に近づき、鉢に入った可愛らしい花々が飾られている可愛らしい玄関についたノッカーを鳴らす。
は~い。という少し焦った声が家の中の遠い場所から聞こえる。だが、その後に続いた物を蹴ったり、ぶつかったりする音がシエルを驚かせた。
「大丈夫かな?」
その音の合間に、パタパタとシエルの待つ玄関に走って近づいてくる音も聞こえた。
自分の訪問が、こんなにも住人を慌てさせてしまったとシエルがハラハラしている時に、玄関が開けられたのだった。
「はいはい。お待たせしました。…あら…えぇっと…どちら様?」
玄関を開けて家の中から姿を見せたのは、シエルが呆気に取られて仕舞うほど綺麗な女性だった。
透ける様にキラキラと輝く緑色の髪を一つに纏め、髪と同じ透明感のある緑色の目が大きく見開いてシエルを見下ろしていた。
ドレスを着ていても可笑しくない、綺麗でスタイルも良い女性に一つ違和感があるとすれば、それは纏っている服がヘクスや村の女衆が来ていても可笑しく無いような普通の服でエプロンをしていることだった。その釣り合いの取れていない様子のおかげで、思わず見惚れてしまっていたシエルは正気に戻る事が出来た。
「あ、あの、私はシエルって言います。荷物とかを運ぶお届け物係をしていて、それで、えっと…」
見惚れてしまっていたことに対する気恥ずかしさに頬を赤く染めたシエルは、少し慌ててしまっていた。
今までは、アルスの迷宮の中やそれに関わる相手ばかり。シエルが説明するよりも先に、届け物係のことを把握している者達ばかりで、改めてシエルがどんな事をしているのかを説明する必要も無かった。だが、今考えてみれば、アルスの迷宮以外に住んでいる受け取る人達に何と説明すればいいのか…シエルの頭は一瞬にして真っ白になってしまった。
真っ白になった頭でシエルが導き出した言葉。
「ヴェルティさんにお届け物です。」
ただ、それだけの簡潔し尽くしたド直球な言葉だった。
それを言われた方も言われた方で、シエルの知らぬこととはいえ、シエルという訪問者に驚いていたクロッサも、驚きのあまりシエルのそんな姿へ普通の対応をしていた。
「あら、あの人に?何かしら?」
シエルが差し出した包み袋に目を向け、頬に手を当てて悩むクロッサ。
その姿に、シエルは届けるように頼んだ相手の事を伝えるのを忘れていたと気づいた。
「ヴァローナさんから、誕生日プレゼントだそうです。」
ムウロから聞いた情報をそのままに、シエルはクロッサへと伝える。
よし、一つ終わった。
そんな安堵に胸を撫で落としたシエルは、クロッサが今までの受け取り人達のように喜んで受け取ってくれると信じていた。
だが、差し出された包み袋を一向に受け取る様子がなく、シエルは首を傾げてクロッサを見上げた。
「あら、まぁまぁ。フフフッ。間に合っておりますの、お帰り下さい。」
バンッ
そのクロッサの様子に、シエルは浮かべていた笑顔を凍りつかせることとなった。
人間では絶対に無いと確信を持てる綺麗な顔に浮かべていた、シエルも見慣れた純朴な笑顔。それが一気に引き攣ったものへと変化し、ゆっくりと低い声音で吐き出される笑い声は固く、何処かわざとらしさを感じられるものだった。
そして、シエルの赤い頭巾から零れる髪が揺れる程の風圧を巻き起こす勢いで玄関は閉じられ、クロッサの姿が消えた。
シエルの手には、届けにきた包み袋が残されてしまったまま。
「む、ムウさん!ムウさん!!?これって、どういう事?どうすればいいの?」
初めての反応に、シエルはパニックを起こしてしまった。
適度に離れた木の影に隠れているムウロを振り返り、シエルは叫んでいた。




