一休みして
あっ、おはようございます。
ちょっと、お待ち下さい。
ぐっすりと眠ったシエルは、何時も以上に朝早く目が覚めることとなった。
そして、自分を追って帝都に来てくれたヘクスも疲れているだろうからと、食堂の給仕を手伝い、パタパタとテーブルと朝食をとろうと訪れた客達の合間を駆け回っている。
おかげで、それを何時もは一人でこなしているヘクスは、ゆっくりと椅子に座って村の女衆とお茶を飲む余裕さえ出来ていた。数回、お客達が固まって食堂にやってきた時などは、立ち上がってシエルと共に給仕をしていたが、ピークが過ぎればシエルに勧められて椅子に戻ったのだった。
「いやぁ、大きくなったよなぁ、シエルも。」
そんな声が村人の中から聞こえてきたが、それはヘクスも充分に感じていた。
少し前までは、スープなどをお盆に載せて運べば、お盆の上に少しだけだがスープを零してしまっていた。
客が入り乱れるテーブルの合間を上手く潜り抜けることも出来ずに、戸惑うことも多かった。
それが、今ではヘクスの代わりを充分に務めているように見える。
うわっきゃ!
大きくなった。
ヘクスがシエルの姿を見ながら、シミジミとそう思っている時だった。
突然立ち上がろうとした客が動かした椅子が、両手に片付ける食器を何枚も重ねてもったシエルの進行方向を塞ぎ、丁度他の客から話しかけられて余所見をしてしまったシエルがそれにぶつかってしまったのだ。
シエルの手にあった皿が宙を飛び、シエルの体が倒れていく。
感慨深げにした先から、とヘクスは椅子から立ち上がった。
「大丈夫?」
何人か、シエルの様子を目に入れた人達が、届かないと分かっていても手を出してしまっていた。
その腕は届くことはなかったが、シエルの倒れかけた体を支える為に届いた腕が一本だけあった。
「ムウさん!ありがとう。」
「どういたしまして。」
シエルが部屋で眠りに入った後、用事を済ませて宿へと戻ってきたムウロは空いている部屋を借りて、普通の人間のようにベットに入って体を休めたのだった。
ベットに横になりながら、階下から聞こえてくる賑わいなどを楽しみ、食堂の混雑が緩衝して来たことでムウロは食堂へと降りてきた。
丁度その時、シエルが慌てた顔で倒れそうになっていた。
「おわっ!すまねぇ、嬢ちゃん!!あんたも、ありがとうよ。」
シエルに椅子をぶつける形となってしまった冒険者の男がそのことに気づいて慌てて振り向いていた。そして、ムウロの片腕に支えられているシエルに謝り、自分の不手際を救ってくれたムウロに礼を言った。
「…にしても、あんたスゲェな!!」
申し訳なさそうな顔をしていた冒険者だったが、すぐに目を輝かせてムウロを真っ直ぐに見た。
その指は、シエルの斜め上を指していた。
何?とシエルがその指の先に顔を向ける。
「これ、ムウさんが?」
「まぁ、そうだね。」
シエルが両手に持てるだけ持っていた汚れた皿やコップが、フヨフヨと宙に浮かんでいる。
食器の中に残っていた僅かなスープや残り滓も、皿の上からは落ちてしまっているが、宙に浮いていた。
割れちゃ駄目だと思ってね。
シエルを助けるのと同時に、術を発動して全ての皿に掛けたのだと、ムウロが照れ笑いを浮かべて言う。
それに反応したのは、ムウロの正体を知らない冒険者達だった。
咄嗟なことにすぐに術を発動したこと、術を発動しながらシエルを助けたこと、皿からコップ、残り物にまで術を行き届かせたこと。
それらは見ただけで、ムウロが腕の良い魔術師であると彼等は感じていた。
良かったら、私達と共に行動しないか?
仲間にならないか?
我先にと、ムウロに詰め寄っていく冒険者達。
ムウロは腕で支えたままだったシエルを、自分を囲っている冒険者達の間から押し出して逃がした。
「ムウさん!」
「シエル。僕にも朝食をお願い。」
この人達とちょっと話をしたら食べるから。そうムウロに促されたシエルは、屈強な冒険者達に囲われて、灰銀色の頭の頂点さえも見えなくなっている一つの塊を背に、厨房へ向かうことになった。
ムウロによって宙に浮かべられていた食器達は、ふよふよと浮いたままシエルの後を追って厨房の中に消えていった。
「シエル、お前もこのまま朝飯にしちまえ。」
厨房の中でシエルの失敗を見ていたジークが、シエルからお盆とエプロンを奪い取ってしまった。
注意を払っていれば避けられたかも知れない事をやらかしてしまったのは、朝からヘクスの代わりにと給仕を頑張っていたシエルの疲れが溜り始めているからだと、ジークは考えた。
ジークが用意した朝食が盛られた盆は二つ。
ムウロと食べろと押し付けると、ジークは仕事へと戻っていった。
そして、そんなシエルの後ろから厨房へと入ってきたヘクスが、ジークによって奪われたエプロンを身に付け、お盆を持って食堂へと戻って行く。
「充分ゆっくり出来たわ。ありがとう。」
ポンポンとシエルの頭を撫でて戻っていったヘクスの言葉と、グーッと匂いに釣られて自己主張を始めたシエルのお腹の音によって、シエルは朝食を持って食堂に戻ることに抗えなくさせられた。
「ムウさん、ご飯持ってきたよ!」
「ありがとう、シエル。」
私も一緒に食べるよ。
シエルがテーブルに朝食のお盆を置いて座れば、自分を囲んでいる冒険者達に別れを告げてムウロも席につく。僅かに名残惜しそうにムウロから離れていく冒険者も居たようだが、短い時間ですんなりと話をつけることが出来たようだった。
「ねぇ、シエル。ちょっとね、頼みがあるんだ。」
食事を取りながら、ムウロが切り出した。
「頼み?」
切り出されたシエルは、ムウロの言葉を繰り返しながらも、その視線は村人達が集まっている食堂の一角へと向かっていた。
目の下に隈をつくり、ふらふらとした足取りでシエルが食事を始めた後に食堂へと入ってきた、ホグス。
その体に巻きついている、ホグスよりも大きいかも知れない大蛇に、シエルは目を奪われていた。
ヘクスによって運ばれた朝食を取り始めるホグスの体に、その動きを邪魔しないように器用に巻きついている大蛇は、村人達から「みーちゃん」と呼ばれて、肉の塊などを貰っていた。
厨房に一度入っていったヘクスも、大きな肉塊を手に蛇の下に向かい、蛇の口よりも大きな肉塊を丸呑みにしていく様子を楽しんでいた。
「シエルにね、運んでもらわないといけない荷物があるんだ。」
シエルの目が、みーちゃんへと向かっていることを理解していながらも、ムウロは話を進めた。
「荷物?」
届け物係としてのお仕事の話だと気づいたシエルは、ホグスと大蛇に向けている興味を一度引いて、ムウロへと顔を戻す。
「魔界でね、届け物係の話が出たんだよ。そしたら、興味をもって自分も頼みたいなんて言う暇人が多いこと、多いこと。しかも、その大半はきっぱりと断ったんだけど、どうしても断れない貸しのある人とかもいてね。」
三つくらい、頼まれてくれないかな?とムウロは頭を下げた。
そんなムウロに驚き、シエルは慌てて頭を上げてと叫んでいた。
「本当。断りたかったんだけど、兄さんや兄上や、父上が迷惑を掛けて貸しになってる人達だから、断れなくて…」
ギリッという音がムウロの口の中から聞こえたのは、もしかしたら空耳だったのかも知れない。そんな風に思えてしまう笑顔で、ムウロはお願いとシエルに頼む。
「大人の事情って奴だね!」
ムウロの呼び方で、それが落とし穴を作って回っているというケイブや、シエルから見れば酔っ払いでだらしのないアルスが何か迷惑を掛けたのだと分かった。
だが、兄上が示すレイに関しては、彼の事をディアナが関わらなければ綺麗でビシッとした人という印象でしかないシエルでは、何をしたんだろうと首を捻らせるだけだった。
「いいよ。大丈夫。だって、それが届け物係のお仕事だもん。」
どんな所に届けるんだろう。どんな物を届けるんだろう。
すでにシエルは好奇心で溢れる心をワクワクと躍らせていた。
どうやって行くの?
そう聞くシエルに、ムウロは「ありがとう」と笑って、自分の首から鎖によって吊り下げている紫の宝石がついた指輪を見せた。
「転移の術で、さっさと回ってしまおう。」
転移を行なう為の魔道具を揺らす。
だが、それにはシエルの顔に少しだけ不服そうな色が浮かび上がった。
しっかりと冒険をしたい、というのがシエルが届け物係をする上での願いだった。
転移の術を使ってしまえば、あまり冒険を楽しめない。
シエルの主張に今まで付き合ってくれていたムウロだったが、今回は引いてはくれなかった。
「父上の迷宮でならそれでいいんだ。シエルが怪我をすることはないし、何より攻略はある意味で簡単なものだから。でも、今回シエルに行ってもらうのは、真面目な迷宮だから。とっても、危険なんだよ。」
だから駄目。
ムウロが言うには、変な場所に隠されている扉を潜って次の階層に向かうなんて勘が大きな役割を担う方法は主にアルスの迷宮でだけ見れる方法なのだという。真面目な迷宮とは、扉を護る門番を倒したものが次の階層へ向かえるという方法が取られている実力重視なのだという。
その説明を聞いて、シエルは素直に無理だねと認めた。転移の術をもって届け物をしていくことを承諾したのだった。
「じゃあ、シエル。頑張ろうね。」
「うん。頑張る。」
そして、シエルは残っている朝食を口へと運び、片付けいった。
その目を時折、シャーと鳴いて肉塊を呑み込んでいる大蛇へと向けながら。




