彼女に感謝を
「どういうことだ!!!」
穏やかにあろう。
そう自身に定めていたことも忘れ、口から怒声を吐き出していた。
多くの人間が集まるような場所には必ずといっていい程存在している花街。それは当たり前のように、帝都の一角に存在し、日夜大きな賑わいを見せている。
子供などが絶対に足を踏み入れないように、帝都の中央からは入り組んだ道の先にある北の区画の端に大小様々な店が立ち並び、それに深く関わる商品を扱っている店屋なども娼館を中心とする花街の周囲を囲んでいた。
そんな花街の中心近く、一際大きく華々しい灯りを放っている店の中から、その怒声は外にまで漏れ出た。
声からすれば、まだ年若いと判断することが出来るのだが、その顔や頭の半分以上、首や服の袖から覗く手が醜く引き攣っており、その歪んだ火傷の痕が彼の年の頃を分からないようにしていた。
鋭く釣り上がった目がきつさを与え、その外から見ることの出来る肌という肌を引き攣らせている痕跡と元の造りも相まって、彼からの恐怖を感じさせていた。
帝都にあるに相応しい規模と質を誇るこの花街において、一・二を争う大店の主人である彼は、それだけでなく花街の街長を務めている。秩序や一般における規律などという言葉と相容れることなどない花街の治安を護る騎士であり、裁判官である役目を30代という、まだまだ老獪な者達からは若造と呼ばれる年で務めているのは、彼自身の実力もさることながら、彼が築いた交友関係にもあった。
『百華亭』の主人、レイニー・ミル。
帝都に住まう裏社会の顔役ニール翁の養い子の一人である彼は、そんな自分の立ち居地と花街の店主達から向けられる"翁の子"という期待を、しっかりと理解し応えることで上手く立ち回っていた。
翁のように、とその在り方を真似して強面には似合わない穏やかさを演出していたレイニーだったが、今夜届いた知らせに怒号を上げて、知らせを持ち込んできた子供を睨みつけてしまっていた。
悪い。
すぐに我に返り、子供から顔を背けて謝ったのは、その子供が彼の養い親であるニール翁の孤児院に暮らしている、レイニーにとっての後輩にあたる存在だったからだ。
「ううん。怒るのも分かるから。」
忙しい合間を縫って、孤児院やニール翁の家にちょくちょく顔を出すレイニーの顔に慣れている子供は、怒鳴られても怯えることもなく、彼の謝罪を首を振って大丈夫だと伝えた。
「警邏隊は何を考えてやがる。」
子供に謝ることで自分も落ち着きを取り戻したレイニーは、頭を回転させて考える。
ニール翁を連行した。
そんな話は瞬時に広まっていく。苛立つ程の、無駄な工程が必要となる表社会とは違い、裏社会では重要であれば有るほど、それが伝達する速度は速まる。裏社会の顔役であるニール翁が関わる話ならば、それが指の先を切った程度のものでも数刻もあれば帝国の外にまで届くだろう。
そして、次の日には組織の長直々に見舞いの品を持って来訪してくることになるだろう。
ニール翁が連行された。
そんな話ともなれば、自身の組織でも腕に覚えのある者達を引き連れて、警邏隊の本部を襲撃するくらいはやってのける。
帝都が荒れれば、レイニーの商売にも大きな影響が及ぶ。
それ以上に、ニール翁が大切にしている孤児院に悪影響が及び、ニール翁が悲しむことになる。
冷静な判断を下せる状態となったレイニーは、それを危ぶむ。
「じいちゃんが、話をするだけなので大騒ぎしないようにって。皆が伝言役で走り回ってるんだよ。」
兄ちゃんも、変なことはしないでね。
すでに夜も更けている時間。
普通ならば、ニール翁とレイニーの名前が守りとなるとはいえ、危険に溢れる花街になど送り出される年齢ではない子供が、強い眼差しをレイニーに向けて言い含める。
返事を聞くまでは引かない、帰らないという決意を秘めた子供に、分かった分かったとレイニーは返事をした。
「帝都以外の人達は、じいちゃんの家にいた人達が待ち構えて止めてくれるって言ってくれたよ。」
「そうか。なら、安心だな。」
誰が居たのかと聞いたレイニーに、子供は指を折りながら孤児院でだけで通じるあだ名を持って教えた。
レイニー以上の力を持っている面々の名に、帝都が荒れることは避けられるとホッと息を吐く。
「リリーナっていう、じいちゃんの昔の知り合いの事で話があるって。」
家に来た警邏隊の人間が言っていた言葉を、子供はレイニーに伝える。
「リリーナ。」
何処かで聞いたことのある名前のような…。レイニーが頭を捻って考えていると、走ってきた子供にジュースを差し出していた従業員の一人が「あ、幽霊墓地の!」と小さく反応を示していた。
「幽霊墓地?」
店主の話に口を挟んでしまったと慌てた従業員に、「いいから話せ」とレイニーは促した。
「す、すみません。財宝が眠ってるって噂があって、何度も何度も墓荒らしにあってる墓があるんです。その墓を荒らした奴等は全員、女の幽霊を見て再起不能の怪我を負うって。」
「あぁ、そういや…聞いたことがあるな、その話。」
聞き覚えがあった名前も、その話の中に聞いていたのかとレイニーは考える。だが、何処か頭の端で違うと訴えるものもある。
けれど、何時まで考えていても浮かんではこないだろうと判断し、後へと回す。
「爺様の家で待つ。」
それは、子供と従業員、両方に対して向けた宣言だった。
話を聞かれるだけだとニール翁が言うのならば、その言葉の通りに事は終わり、家に帰ってくることだろう。けれど、その姿を自分の目で確認しない限りは安心出来ないと思うのも、レイニーにとっては仕方のないことだ。
一日やそこら、レイニーが留守にするくらいでやっていけない店ではない。
頼むぞ、と従業員達に言い置いて、レイニーは子供と共に店を後にした。
「おやおや。呪いを解く方法ですか…」
警備隊の隊舎にある応接室の中で、ニールは彼にとっては興味深く面白い話を耳にしていた。
彼の両手を侵している、リリーナの呪い。
触れるもの全てを腐らせていく呪い。ニールの生活に多くの苦難を与えてきた憎きものだったが、それ以上の恩恵と力を与えるものでもあった。法外な利息を吹っかけてリリーナがもたらした手袋だけが抑える手段であるという呪い。リリーナ曰く、特殊な伝手と手段をもって神聖皇国から取り寄せたという手袋。
どうせ、彼女のこと。ニールのような知り合いが神聖皇国にも居たのだろう、と今でもニールは思っていた。
長年、解く方法はないのかと探っていたニールだったが、それはつい最近まで見つかることはなかった。
まさか、彼女の遺体を使えば、という可能性があったとは。
多くの悪事にも手をつけてきたニールでも、死者に鞭打つ非道な行いに驚きは隠せなかった。
すでに、モノグ達の会話から知っていたニールだったが、この応接間で警邏隊から受けた説明には驚いてみせた。
「そうですね。もっと以前に、この呪いを受けたばかりの頃に知ったのであれば、どんな手を使ってでもリリーナの体の一部を入手しようとしたでしょう。」
だが、それはもう遅すぎる。
この呪いは、もうすでにニールを造り上げている大切な要素となっている。
この力をもって子供等を護ってきた。この力をもって、どんな困難に直面しようと自分の意思を押し通すことが出来たのだ。
今更、この力の無い生活など想像もつかなかった。やり直すには、ニールは老い過ぎたのだ。
黒い皮手袋はすでにニールの手を構成している肌と同じなのだ。
ニールは、リリーナに感謝さえしているのだ。
「話が終わったのなら、帰ってもいいですかな?」
穏やかに笑うニールの様子に、警邏隊の主要な面々は関係無しと判断を下す。
帰ると告げたニールを送り届ける為に、馬車を用意させる。
「リリーナの遺体が無事に見つかることを祈っております。クイン殿、ヘクス嬢やその御子方によろしく伝えて下さい。」
見送りに出たクインに対してそう言い残し、用意された馬車に乗ったニールは、彼のことを心配して家に集まっている子供達の下へと帰っていった。




