母娘の帰宅
「ただいま~」
転移の術によって、帝都から食堂へと帰り着いた、シエルとヘクス。
帝都の中でドンドンと積み上げられ、クインやシリウスの腕を借りてやっと持ち運ぶ事が出来ていた多くの荷物は、ブライアンから貸し出された三人の衛兵によって運ばれていた。
本当ならば、シリウス一緒に村まで来る予定だったのだが、皇宮内で起きた一つの騒動によって近衛は全員、皇族の傍を離れることが出来ない事態となっていた。秘かに行ってくれば、とブライアンも、他の近衛達も言っていた。
厳戒態勢が敷かれることとなった原因は、皇帝の私空間で起こった火災だった。
何も火の気などない場所で、皇帝が大切にしていた私物が燃えた。それも、簡単ではあるが調べてみると魔族の気配があったという。
鼻で笑いながら教えるブライアンの様子は、その原因を知っているようだった。
三人の、近衛ではないものの皇太子の信頼を受けている衛兵達を引き連れて帰ってきた二人。
そんな二人を待ち構えていたかのように、食堂にはジークにロゼ、グレル、村人や宿泊中の東方騎士団の面々が集まっていた。
これから帰るね~
そう伝えてはいたものの、こんな風に皆が集まってるなんて、とシエルは心配をかけてしまった事を改めて思い知り、申し訳ない気持ちで一杯になっていた。
「おかえりなさい、母さん、シエル。」
そう言って抱きしめてくれたのは、ロゼだった。
最初にヘクスに抱きつき、次にシエルをギュッと強く抱擁する。
変な事されなかった?嫌な思いはしなかった?とシエルの頭の上で問い掛けながら、シエルの顔を自分の胸に押し当てる。
「だ、大丈夫だよ。みんな、よくしてくれた…お土産も一杯…」
「お土産?」
ロゼと、その後ろでヘクスとシエルを抱擁しようと待っていたグレルが、ようやく二人の後ろに居た三人の荷物持ちに気がついたようだった。
「どうしたの、これ?」
本当に分からない、とグレルが首を傾げた。
三人の男達が腕一杯に掲げ持っている袋からは、果物や野菜、肉や干物など何かの買出しと聞きたくなるような、皇太子に招かれて皇宮へ赴いた者が"お土産"というには少し無理があるものが零れて見えた。
もちろん、母の要望で別邸や墓参りをしに行ったのは知っているが、その途中で買い込んだにしては、物欲があまり無い母が買ったには量が多過ぎた。
「お店の人達が、アナスタシアさんは良い人だよってくれたの。」
「「あぁ…」」
たったそれだけのシエルの言葉で、グレルとロゼ、そして遠巻きに話を聞いていた一部の団員達が、何とも言えない、一言で表せというのならば哀れみの表情を浮かべていた。
それは、大変なものを見てしまったんだね、というシエルに対するものだった。
「突然怒って魔術を使おうとしたし、シリウスお兄ちゃんが剣で切り付けるしで怖かったけど、皆は優しい良い人なんだって一生懸命教えてくれたよ。」
「やっぱり、もう一度殺れるかどうか試さない?」
「でも、ロゼ。無駄だって分かりきってる労力は使いたくないよ。」
「あら。この前のあれ、あれなら全部綺麗に焼却処分できそうじゃない?」
シエルの説明にもならない説明は、遭遇した事態を端的に表した。
普通ならば通用しないものだ。だが、アナスタシアが今までに行なった独り善がりの妄想と暴走などを鑑みれば、それを知っている者ならばおおよその予想はついた。
シリウスだけでなく、シエルやヘクスにまで迷惑を掛けるなんて。
目を据わらせてロゼが、一度は失敗に終わった計画の再始動をグレルに提案する。
殺るのはいいが、どうせすぐに回復され、義弟義妹が遊んで欲しいとおねだりしたとかアナスタシアが妄言を吐いて終わりとなることが目に見えている。そんな気色の悪い思いをするだけのことに力を使いたくないと、グレルは首を振った。
それに対して、ロゼが提案したのは最近見つけ、そして試してみた古い術のこと。
墓石さえも溶かした火力ならば、流石のクーロン氏族の再生も追いつかないのでは、と言うその目は爛々と本気の光を放っていた。
魔術の研究などを好むグレルも、その提案には少し興味を引かれたが、ロゼが試したその術によってもたらされた被害と、その後の面倒臭い日々を思い出せば首を振るしかなかった。
「あっ、それってお墓を壊したってやつだよね。伯父さんが言ってた。」
二人のやり取りを聞いていたシエルは、ロゼの言う術というものが、モノグが言っていた祖母の墓へ行けない理由にあったものだと気づいた。
「やだぁ。シエルや母さんに、そんな失敗知られるなんて。」
クインさんにも聞いたんだよ。と、ロゼに内緒と言われたことを覚えていたシエルが、ロゼの耳元に口を近づけて小さく言ったその言葉に、ロゼは二つの意味で顔を赤く染めていた。
その言葉の通り、失敗談を聞かれた事も恥ずかしいものだった。
もう一つである、交際している恋人の名前が妹の口から出たことも、嬉しくも気恥ずかしい気分だった。
もちろん、母やシエルに紹介しようという考えもあっての案内役への推挙だったが、それでも恥ずかしいものは恥ずかしいのだ。
「伯父さん?」
そんなロゼに、双子ならではの感覚で大方の隠されている事を察したグレルは横目をチラリと向けたが、下手に突いても仕方がないとも分かっていた。今はそれよりも、とシエルに向かい合う。
帝都で何があったのか。
それを聞いて、何か聞き逃せないことがあれば、帝都に戻った後に対処しておこうとグレルは企んでいた。
グレルに促されるまま、シエルは何があったのかを説明する。
ヘクスの年の大きく離れた兄モノグと会った事。
別邸で、祖母リリーナの遺産を渡されたこと。
お墓参りは、ロゼの件があって立ち入り禁止で、出来なかったこと。
お店でお土産を選んでいたら、アナスタシアに恩があるという人々から色々なものを貰ったこと。
「じゃあ、あれは御祖母様の遺産ってやつなんだね。」
話を聞き終わったグレルは、食堂の隅に固められている木箱の山を指差した。
「うん、そうだよ。ムウさんが運んでくれるって。もう、帰ってきてたんだね、ムウさん。」
キョロキョロと周囲を見回し、シエルはムウロの姿を探した。
だが、ムウロの姿は何処にも無かった。
その代わり、シエルの目に映りこんだのは、ムウロが運んだリリーナの遺産を遠巻きに取り囲む村人達の姿だった。シエルとヘクスの為に集まったのかとシエルに思われていた村人達は、よくよくその様子を見てみれば、その視線はシエルやヘクスにではなく、何故か蓋が開いた状態となり中身が見えている木箱へと爛々と獲物を狙う狩人のものとなって向けられていた。
「ムウロなら、ちょっとアルスにも届けるものがあるからって出て行ったぞ?」
何をしているんだろうと村人達を見たシエルに、ジークの声が掛かる。
「お父さん?」
疑問に答えてくれた父親に目を向けると、シエルがほんの少しだけヘクスの姿を目に入れていない、何時の間にかに、ヘクスの腰へと腕を回して抱きしめていた。
本当ならば、妻を愛しているジークの事。
帰ってきてすぐに抱きしめたかったのだろうが、それはロゼとグレルによって先を越されてしまった。そんな二人が、アナスタシアへの対応に気を取られた隙をつき、ジークは本懐を成すことに成功していた。
「どうしたの、その顔?」
両親が仲睦まじいのは娘としては嬉しいが恥ずかしさを感じさせる光景だ。だから、普通ならば目を逸らして見なかった振りをするのだが、今回はジークの顔がシエルの目を捕らえてしまった。
「あぁ、これか?ロゼに殴られた。」
ジークの右頬が、真っ赤に染まって腫れ上がっていた。
「お姉ちゃんに?」
「だって、シエルがあんな形で連れて行かれたのは、この人にも責任の一端があるって言うんだもの。もちろん、殿下も殴るのは無理でも嫌がらせはする予定よ。」
悪びれることなく、胸を張ってロゼは宣言する。
「私が呼ばれたのは、頼まれ事があったからだよ?でも…」
何も知らない人達も居るのだ、『勇者の欠片』の関連や届け物係として呼ばれたなどとは言えない。だが、皇太子なんて立場にあるブライアンとジークが何故関わりがあったのかは父親に聞いてみろ、とブライアンに言われていたことを思い出し、それが秘密だということも思い出したシエルは口には出さなかったものの、抱きしめたヘクスの頭に顔を埋めているジークに問い掛けの目を送った。
その気配を察したジークは、片腕をヘクスから離してチョイチョイッとシエルを手招きした。
「何?」
なんだろう、とシエルは招かれるがままにジークと、ジークの腕の中に囲われているヘクスへと近づいた。
そして…。
ふぇ!?
二人のすぐ近くまで近づいたシエルは、手招きを止めたジークの腕が背中へと周り、強い力によって引き寄せられる。
母と娘の二人がジークの腕の中に抱きこまれている状況が生まれた。
 




