『朱撃のエミル』
地面に倒れこんだ男たち。
様々な怪我を負い、倒れ伏せて呻いている彼等は、一様にして全身を鞭に打たれた痕があり、その痕から薄っすらと血を滲ませている。
パシンッ
男が立ち上がろうとする度に、エミルが振るう赤い鞭がその身体に打ちつけられる。
「ごめんなさい、は?」
男達を見下すエミルの声は低く、冷たい。
ただ呻きながら起き上がろうとする男に、もう一度腕を振り上げ・・・
「止めろ。」
鞭を振り下ろそうとしたエミルの腕を大きな手で掴み、これ以上の一方的な暴力は止められた。聞き覚えがある声に、エミルが顔を上げて振り返ると、そこには夫フレッドの姿があった。
Aランクの冒険者でもある宿屋の主人は、屈強な身体を持つ冒険者たちの中でもがたいが良く、大人しくしていれば普通の街娘に見えるエミルと並ぶと、同じ人間かと失礼極まりない言葉を投げ掛けられる程体格差が激しい。
「あら、あなた。」
フレッドの後ろには、息を切らせて肩を上げ下げしている若い男の姿が見える。その背中を何人もの手が軽く叩いている様子を見るに、叩いている男達が若い男に宿屋にいるフレッドを呼びに行かせたという事だと思われる。
「暴走癖はいい加減にしろと言っただろう?」
「ごめんなさい。でも、あの店は貴方が結婚を申し込んでくれた思い出の店なのよ?しかも、妹も同然の大切なシエルと食事をしようって予約までした日に。つい、カッとなっちゃって。」
呆れ顔のフレッドに叱られた事で、それまでの勇ましい様子が一変し、シュンと頬を赤らめて顔を伏せた。
その姿を見た、先程の惨状を見ていた街の住人たちは何ともいえない表情を隠そうとはせず、エミルを知らない街の外から訪れた人々は、はぁ?と呆気に取られている。
「馬鹿だな。そんな事で、お前が怪我なんてしたら俺はどうしたらいいんだ。」
「あなた。」
見下ろすフレッドと見上げるエミル。
背の高さも全然違う二人が、甘い空気を生み出して路上の真ん中で見つめ合った。
その足元には、呻く男たちが倒れているのだが、そんなことは二人の目には入らない。完全に相手だけを見ていた。
あ~はいはい。と街の住人たちは解散し始め、一部は集まった者たちの誘導を、一部は倒れた男たちの救助、そして周囲に散らばるゴミを片付け始めた。
『朱撃のエミル』なんて名前が有名になるような女が早々に危険に陥ってたまるか!という思いを胸にして。
「それに、そのシエルを放っておいてどうするんだ?」
「そう。そうよね。」
フレッドの言葉に、二人の世界を終わらせたエミルは、先程シエルに待っているようにと言い置いた店の壁に目を向けた。
「シエル?」
集まっていた人々が消えていき、少しは人混みが解消されてきて見通しが良くなった筈なのに、そこにはシエルの姿はない。あの目立つ真っ赤な頭巾の色も見渡す限りには無い。
呆気に取られている愛妻の顔を見て、背の高いフレッドもエミルよりも遠くまで見ることが出来る背の高さを利用して周囲を見回すが、今朝、エミルから妹みたいな子だと紹介されたシエルの姿は何処にも見当たらない。
周囲にいる顔見知りの住人たちに、フレッドはシエルの特徴、その目立つ赤頭巾を見なかったか大きな声で尋ねた。
その間、口元に手を当て俯いているエミルを心配して、その肩を抱いた。
すると、ブツブツと寄り添ったことでエミルの小さな呟きがフレッドの耳に入ってきた。
そう。そうよね。あの子を1人にするなんて馬鹿な事した私が悪いわ。
今度は何かしら?嫁探しの吸血鬼?生贄目当てのリッチ?
どうしよう・・・最悪、街が消えるかしら。消えるわね。
シエルを助けて、フレッドも連れて村まで逃げようかしら?
遠くを見つめるような、焦点が合っていない目で地面を見つめているエミルの言葉に、冗談の響きは一切無く、フレッドは背筋に冷たい流れを感じた。
朝に紹介された時には「少し困った子なの。だから村から余り出ることが出来なかったから世間知らずなのよね」と言っていたが、今のエミルの言葉を聞く限り、困った子で済ませていいものかと頭を捻る。吸血鬼やリッチなんて、個体差はあるものの、最低でもCランクが集団になって当たる案件だ。それに、街が消えるってどういうことだと思ったが、そういえばミール村に手を出せば許さないという『銀砕大公』の言葉を、エミルの弟分のフォルスが領主に伝えたなと思い至る。
フレッドが思い至った考えに顔を青褪めた所に、酒場でよく一緒になる顔見知りが、手に籠と荷物袋を掲げて走ってきた。
「姐さん、姐さん!これって、その子の物じゃないか?」
「そうよ!」
地面から顔を上げたエミルが籠を見て叫び、男から受け取った後に一応中を確認する。シエルが嬉しそうに語っていた村人たちからの贈り物がしっかりと入っている。
「確かに、これ。何処にあったの?シエルは?」
「路地裏の奥だ。赤頭巾を見たっていう話を辿って入った路地裏の奥にあったよ。」
「やばいな。最近、近隣の町で人攫いが出たって噂になってたが、それが回ってきたか。」
エミルは頭を抱えた。
どうして、そんな危なげな所に入っていったのか。
いや、分かっている。あの子から目を放した私が悪い。そういう所はグレルとロゼと一緒じゃない。対処法を持っていて故意にしていたあの子達よりも性質が悪いけど、あの子たちで慣れていた筈なのに。ごめんなさい、シリウス!
祖父である貴族に引き取られ村を去るまでの間、我が道をそれぞれ歩み続けた一つ年下の幼馴染たちの姿と、それをエミルと一緒に諌め続けた、双子や母親よりは常識があった一つ年上の幼馴染である双子たちの兄。彼等との付き合いで、シエル相手にも慣れたものだと考えていた自分を殴りたい。心の中で、末の妹を気にかけていた年上の幼馴染に謝り、エミルは顔を引き締めた。
「あなた。私は領主のところに行くわ。フォルスに報告しないといけないし、領主にも万が一を伝えておかないと。」
「あぁ。分かった。」
街に住む冒険者として、昨夜領主の屋敷に呼び出されていたフレッドは、エミルの呟きが無かったとしても事の重大さを理解出来ている。
エミルが領主の下へ向かったら、住人たちに声をかけて探して回る事をエミルに約束した。
「ごめん、フォルス!シエルが浚われた!」
フレッドと別れ、一度家に駆け込み現役時代の装備を見につけると、エミルは領主の屋敷に駆け込んだ。
規則通りの対応をしようとする門番や執事を振り切り、一度入ったことがある話し合いが行われる部屋にまっすぐに突き進んだ。
廊下を走りながら、もうすぐ部屋に辿り着くといったところでエミルは鞭を手にもち、射程距離に入った途端に、目的の部屋の扉を鞭を振るって砕いた。
すでに頭に血が上っているエミルは、夫との約束も忘れていた。
部屋に入ると、予想通り領主や町の有識者たち、そしてフォルスの姿があった。
警戒する領主たちの視線を受けながらも、エミルの意識にはフォルスしか映らなかった。
頭を抱えているフォルスに謝り、シエルが浚われたことを伝えると、フォルスはただ「やっぱり」とだけ答えた。
その様子に、フォルスがそれを知っていた事に気づいたエミルは少しだけ頭を冷ました。
「もしかして、連絡があったの?」
エミルは、フォルスに近づき、声を抑えて尋ねる。
首を縦に振って答えたフォルスの姿に、少しだけホッと息を吐く。
少なくとも、シエルが大怪我を負っていたり、意識が無い状態では無いということは分かった。
「ラインハルト候。村から一緒に出てきている子供が、どうやら人攫いにあったようです。協力して頂けますか?」
「それは。最近、この周囲の町で頻発していて警邏隊を派遣して警戒していたのだが、この街でも被害が出てしまったのか。良かろう。特徴などは?」
真剣な顔をしたフォルスと、冷たい殺気を放つエミル。
二人の姿に息を呑みながら、ラインハルトは深く頷いた。
「良かった。村でも可愛がられている子で、私にとっても妹みたいな子なのよ。領主の協力があれば、すぐに見つかるわよね。」
「あぁ。本当に良かった。村に関わる全ては『銀砕大公』の物だと明言されているからな。もしも、それが本当なら『銀際大公』の手がこの街に伸びることになる。早いところシエルを見つけないと。」
「嫌だわ。この街気に入って住んでいるのに。」
ニコニコと笑う二人に、全員が喉を唸らせた。
「真っ赤な頭巾を被った、黒髪と深い赤の目をした13才の娘です。年の頃よりは少し小柄になります。」
よろしく頼みます。そう言い残し、フォルスとエミルは壊れた扉から部屋を出て行った。
「なんで、壊すんだよ。ばっかじゃねぇの?」
「ちょっと暴走しただけじゃない。あっ、旦那には内緒ね?」
廊下から微かに聞こえてくる二人の声。
ハッと息を呑んだラインハルトは、すぐに兵を出すよう指示を飛ばした。
まさか、娘1人の為に大公が手を出してくることは無いとは思うものの、『隠遁者の村』に住む世を捨てた実力者たちに睨まれる事は避けなくてはいけない。
シエルが浚われるシーンが少し分かりにくいとの指摘がありましたので、改善しました。
話の流れに変化はありません。
あのシーンが分かりにくい、誤字・脱字など、筆者が見逃した部分をご指摘頂ければ、すぐに訂正します。よろしく御願いします。




