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竜の親子

はぁ


目の前の光景に、覚悟していたとはいえ、重い溜息が零れ落ちた。


貴族の屋敷で使われているような、窓の外が透き通ってみえる質の良いガラスではない。ぶ厚く、窓の外の景色など朧げにしか見えないガラス窓だった。

だが、クインが自分の家に帰ってみると、夕暮れの空が、飛んでいる鳥や虫さえはっきりと見て取れる状態となっていた。

窓は、しっかりと閉まった状態。

だが、外から吹き入る風が窓枠を通り抜けて、カーテンを揺らしていた。


窓から目を逸らせば、床も酷い有様だった。

ぶ厚く、細かい、汚れも目立つガラスの破片が、床の上に散乱していた。


男の一人暮らし。

綺麗に整頓されていたとは言いがたい部屋ではあったが、それでも最近では何かと世話を焼く存在が頻繁に出入りしていたことで、小奇麗にはなっていた。

こいうのを使えば整理は楽でしょ。

そう言って、棚の上に並べられた小物などは、ガラスが割れた際の衝撃のせいか、床に落ちて転がっていた。


そして、窓辺を陣取っていたベットの上では、床に散らばっているのと同じガラス片が光を反射して煌き、木箱二つの周りを飾っていた。


「突然、窓が割れたんですよ~。見ていた人の話だと、もの凄い勢いであの箱が二つ飛んできたんですって。」


両腕を腰に当て、どうするんだと半眼で睨みを効かせてきたのは、大家の孫娘ナターシャだった。

どうせ、掃除道具なんて碌に持っていないだろう。

クインが帰ってくるのを待ち構えていたナターシャは、その手にちり取りと箒を持っていた。

本当は、危険なものが投げ込まれたのではないかと警戒し、すぐにクインの部屋に踏み込みたかったとナターシャは舌打ちを零す。

それが出来なかったのは、この10人が借りることの出来る共同住宅の権利者である大家が定めた決まりがあったからだ。

大家だからといって、無闇に人のわたくしの部屋に入るなんて許されることではなく、遭ってはならない。

そんな信念を持つ大家は、部屋の鍵は借り手である店子に渡すただ一つだけ、大家の手元には予備さえも無い、という状態にしていた。

だから、ナターシャは騒ぎを聞きつけてきた警邏隊の隊員を走らせ、クインに事情を知らせて来させるか、それが出来ないのなら鍵を預かって、中を確認しようとした。

だが、何が起こったか分かっているから、というクインの伝言が届くだけ。鍵も承諾も無い状態ではクインの部屋に入ることも出来ず、今の今まで、原因の確認も、窓の修理を始めることも出来なかったのだ。


「クインさんが警邏隊の隊長さんで、色々とトラブルも多いっていうのは、ちゃんと理解してるんですけど、ね?」


チラリと、頭を抱えているクインの横に立ったナターシャが横目で寄越してきたのは、「迷惑かけるんなら、追い出すぞ」という気配が大いに滲み出ている視線だった。


「いや…これは、警邏隊が原因って訳じゃない。」

だから巻き込まれるとかは無いから安心してくれ。

そう続けようとしたクインの言葉は突然、随分と身長差のあるナターシャに襟元を掴まれ、本当に近くから睨み上げられたことで遮られた。

「警邏隊が原因じゃない?ってことはあれですか?よくある感じの、女関係ってやつですか?」

17歳という、クインからしてみれば、まだまだ子供でしかないナターシャが襟元を掴まもうと、それがナターシャにとって全力の力であったとしても、クインにとっては何の問題も感じられない程度だった。

だが、ナターシャの睨みに含まれた凄みに、クインは思わず圧倒されてしまった。


「女関係?…ロゼお姉様っていうものがありながらぁ!!!ロゼお姉様に何の不満があるっていうんですかぁ!?」


圧倒され、否定することを忘れてしまったクインの様子に、ナターシャはそれが正解だったから返答に困っているのだと判断した。

そして、クインを怒鳴りつけた。相手が年上だとか、警邏隊隊長という住人達から尊敬され頼りにされている人だなんて、ナターシャには関係無かった。

学園生活でお世話になった憧れの先輩、ナターシャが心酔してやまないロゼを裏切る行為を、許せるわけがなかった。

ロゼが初めて、クインを訪ねて祖母から管理を任されているこの建物にやって来た時は驚き、そして何でこんなおっさん、だなんてナターシャも思ったりした。だが、時折物陰から見えたロゼが嬉しそうに笑っている顔や、ロゼを頻繁に見ることが出来る事、何よりロゼ本人から「秘密にしていてね」なんて秘密の共有をしてしまった事で、一応は何も言わずに見守っていた。

だというのに…。


「誤解だ、誤解。これは、俺の故郷からの届け物だ!」


ナターシャの目に殺気が宿ったところで、クインは正気を取り戻し、ドウドウと落ち着くようにと促した。

ムウロによって運ばれてきた、母からの荷物。

なんで、こんな事をしようなんて思ったのかは分からないが、時折首を傾げる思いつきを行なうことは、クインが幼い頃から何度かあった。今回のそれも、多分それなのだろう。

顔見知りとはいえ、伯爵位を持つ、大公の子息に運ばせるのはどうかと、クインは苦々しく思うのだった。


「故郷から?」


クインの訴えに、ナターシャはすぐに冷静さを取り戻した。

そして、「あら…やだぁ」と頬を赤く染めて、自分の行動を恥らってみせたのだった。

「誤解が解けたんなら、良かったよ。それにしても…この窓はどうするか?」

ロゼに関わることで暴走したナターシャに絡まれるのは、これで二度目。だから、そんなナターシャの様子に驚くことも、怯えることもなく、クインは窓の意味を失っている窓の木枠を見つめた。

「あっ、これ。窓の修理代の見積もりです。ご近所の人達が、隊長さんだから特別って安めにして下さったみたいですよ。」

ナターシャがクインに渡したのは、三枚の紙。

それぞれに、どれだけ掛かるのかなどが書かれている。

安めに、とナターシャは言ったが、それぞれに微妙な違いはあるものの、確実にクインの懐事情に大きな打撃を与える値段だった。

質があまり良くないガラスを使うといっても、ガラス自体が安いものではないのだ。

帝都や大きな街では普通に使われているが、まだまだ多くの家では使おうと考えもしない価格となる、贅沢品といえなくもない代物だった。

だから、知らせを聞いた時に覚悟は出来ていたものの、こうして直面してしまうと頭が痛くなる。


「じゃあ、ロゼお姉様のお手を煩わせないように、自分でちゃんと掃除して下さいねぇ。」


紙を握りこんで落ち込んでいるクインに、ナターシャはちり取りと箒を握らせ、部屋を立ち去っていった。

そうだ、掃除しなくちゃな。

のろのろと、クインは頭を悩ませながら、まずはとベットの上のガラス片を払いのけようと手を伸ばした。

「あっ、そうか…。」

窓が破壊された原因、木箱をどけようと持ち上げた時、クインの表情が明るいものへと変化した。

修理代をどうにか出来るかも、クインはそんな妙案を思いついた。


「これ売ったら、それなりの値が付くよな。」


魔界から送られてきた、母からの届け物。

クインも地上に出てきて知った事だったが、魔界で普通に存在している物は地上では珍しい物として、高値で売り買いされている。

そうでなくとも、収集癖を持ち、それに執着して護る性質のある竜族。その頂点に立つ『桜竜大公』からの贈り物だ。

ガラス代を賄う程度には、確実になる。


ムウロの話によれば、二つの木箱の内、印が付いている一つはクインの恋人に渡す物だという。

それには流石に手をつけることは出来ず、印が付いていない方の木箱を、クインは脇に抱えると意気揚々と質屋に向かおうとした。



「母からの贈り物を、愛でようともしないで売り払おうなんて…。何時からそんな悪い子になっちゃったのかしら?」



部屋に背中を向け、出て行こうとしたクインの耳に、有ってはならない懐かしい声が届いた。

ギギギッギ

滑りが悪い扉を開けた時に聞こえる音、それが後ろを振り返ろうとする自分の首から聞こえた気がした。

「お、お袋…。」

「元気そうで何よりよ。便りが無いのが元気な証拠、っていう人間の言葉は本当なのね。」

ベットの上に置かれたままの、印が付いた木箱の横に、振り返ったクインは母の姿を見つけてしまった。

外から吹き入る風が、ベットに腰掛ければ床に落ち広がる薄紅色の髪を揺らしている。

その嫌味を含んだ声はコロコロと笑っているようにも聞こえたが、その縦長の瞳孔が目を引く金の目は冷たくクインを見ていた。


「それで?その姿はどういうことなのかしら?」


「いや、まぁ…うん。お袋こそ、どうしたんだよ。」


いつかは知られるかもしれないとは思っていた。だが、まだ覚悟なんて出来ているわけもなく。

何とか話を逸らそうと、クインは魔界に居る筈の母ユーリアが自分の部屋に居る理由を尋ねた。こうして来るのならば、ムウロに荷物を運べと頼む意味は無い。母以外の大公達がよく形代などを利用して力を抑え、地上に出てきているように、ユーリアも出て来て訪ねてこれば良かったのだから。


「お前の心を射止めた、人間の女に興味があったから。贈り物の中に、ちょっと仕掛けをね。いいでしょ?私は母親。ご挨拶くらい普通でしょう?」


さぁ、次はお前が説明なさい。


ピシャリと言われてしまえば、クインは口を開くしかない。

そして、あったことを全て、そのままに口にした。


プッフッフフフフ!アッハハハハハ!!!


息子の、体を盗まれるという窮地を説明される。

それに対してユーリアが起こした反応は、目に涙を滲ませての大笑いだった。

「む、昔から、何処か抜けた子だったけど…。」

「親として、その反応はどうだよ。」

「ハッ。親だから笑って済ませているのよ。可愛い息子でなければ、竜族の恥として無かったことにしているわ。」


鼻で笑ってクインの言葉を一蹴し、そして再び咽ながら笑い続ける。

そんな中で見せた目は一瞬、クインが息を呑むほどの殺気を滲ませていた。

本当に、母子の情さえ無ければ、殺されていたのだと理解出来るものだった。


「それにしても、お前の身体まで、とはねぇ…。」

「まで?他にも何かあったのか?」


笑いを収めたユーリアは、顔を上げて目を細めた。その口元で、紅を引いた唇を舌で舐める。それは、母が重大な考えに耽る時の癖だと、クインは知っている。


「私の宝物庫からね、卵の殻が無くなっていたのよ。」

「殻って、俺のか?」

「お前のじゃなきゃ、宝物庫に置いておく訳ないでしょう?どうやって宝物庫から持ち去ったかは知らないけど、一連の騒動の一端でしょうね。」

腹立たしい、とユーリアは微笑みながら怒りを示す。

「一連の騒動?」

「今、魔界で起こっている事よ。大公を始めとする者達が所有していた、アリア姫に関わる物が次々と何者かに盗まれている。卵も、お前の身体も、多分それでしょうね。」

「なんで?」

ユーリアはそう言うものの、クインには心当たりが無かった。

「卵の頃、アリア姫の箱庭で過ごしていたでしょう。」

「あぁ、そういえば…そうだな。あぁ…そうだ。…思い出した。何回か、姫様やディアナ様に蹴り飛ばされて…」

竜族は卵のまま数年から数十年過ごす。その間も己の意思を持ち、外の様子を把握出来た。その記憶は、人が子供の頃の思い出を徐々に忘れていくように、竜達も忘れていく。

クインも記憶の片隅に追いやっていたそれを、母の指摘によって思い出した。

「蹴り飛ばされて…ムウロ兄さんが下敷きになって助けてくれたんだよな…。」

「あら、そうなの。それは知らなかったわ。」

今度、お礼でもしておこう。

思い出したクイン、それを初めて知ったユーリア、二人はお互い心の中ではあったが、同時にそんな事を思いついていた。



「それにしても…。ふふ。面白いことが始まろうとしているわね。」


そう笑いながら、現れた時と同様の唐突さで、ユーリアは姿を消して、帰っていった。


「…お袋が楽しそうなのはいいが、こっちまで巻き込んでくれるなよ。」

そうなってくれるな、と願う、クイン。

苦言は呈されたものの、それ以上は何も言われなかった。それを良い事に、クインは当初の予定通り木箱の中身を売って修理代とする為に、すっかり陽が暮れてしまった外へと出掛けていった。


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