包囲網
建ち並ぶ様々な店を次々と覗き、シエルとヘクスは心配しているであろうジークや村人達へのお土産を選んでいた。
多くの種族が、各地方、他国からも集まっている帝都で店を構えているその品ぞろいは流石の量と種類を誇り、シエル達の目を惹いていく。村では見たことのないものから、本の中にでさえ見たこともないようなものもあり、ついついシエル達の足を引き止める。
元々、あまり無駄なものを買うという事のない二人でさえ、普段なら見向きもしないような物にまで、買ってもいいかなという気持ちにさせるのだから、その物珍しさと店を構えるに至った店主達の商売手腕は素晴らしいものだった。
そして、そんな商売上手な店主達は、あの店この店、興味を惹かれた商品を手に取って眺めているシエルとヘクスに、決まってこう言うのだった。
「どうぞ、好きなもんを好きなだけ持ってってくれ。お二人の分の御代はクーロン様の方から支払われる事になってるからよ。」
「結構だ。」
店主達がニコヤカに放つ言葉は、シリウスによって遮られ、きっぱりと断れることになる。
そこまでが、寄る店寄る店で行なわれる一連のお決まりとなっていた。
シエルとヘクスも、どうしても欲しいと思うものでなければ、そう言われた時点で品を棚の上に戻したし、それでもまだ悩むものに関しては、きちんと自分達の財布を広げて、支払いを行なおうとした。
まぁ、それもシリウスに遮られ、実際の支払いはシリウスによってさっさと終わってしまうのもまた、一連の動きに含んでいいのかも知れない。
「ちょっと、シリウス様。いいじゃないですか、クーロン様方の気遣いに甘えてみてわ。私等も、クーロン様方に是非にと頼まれてるんですよ。俺達が恩人の頼みを叶える事が出来るって為にも、ねぇシリウス様!!」
勢いよく、強めにシリウスの名前を口にして、硬貨を突き出すシリウスの手を押し戻そうとする。
対人の体術もしっかりと心得ているシリウスにとっては、そんな力に任せた動きなど意味を持たず、すぐに自身の手を抑える腕を振り払い、代金丁度の硬貨を受け取らせてしまうのは簡単なことだった。
だが、それが何軒も何軒も続けば、機嫌が降下していくのは当たり前のことではある。
ましてや、それが日頃から迷惑を被っているアナスタシアの親族達からの差し金で、となれば一層イラつき、それが顔にはっきりと出てしまうのも仕方が無い。
最後には、泣き落としのようにシエルやヘクスに懇願してくる店主まで居るのだから、いい加減に無駄だと分かっていてもクーロン氏族相手に実力行使を行なおうかと、そんな考えがシリウスの脳裏には過ぎっていく。
もちろん、物理的に叩きのめしたとしても、大怪我を負っても時間が経てば再生するクーロン氏族には意味を成さないとは分かっている。そんな事は少し考えれば理解出来たし、何より、「兄に迷惑をかけるな」と言ってクーロン氏族の本邸を半壊させた、グレルによる前例がある。
性格も過激で、人を超越した魔力を攻撃に特化させたロゼに、全員の注意や警戒が集まっている中、大人しく理性的で行動を起こさないとばかり思われていたグレルによって行なわれた所業は、上司や同僚達を驚かせた。
だが、屋敷を半壊されたというのに、怪我一つ無いアナスタシアを始めとするクーロン氏族達は次の日には、顔色一つ変えることなく、それまでと同様の態度でシリウス達に接してきた。
そんな様子が、より一層シリウスからの印象を悪くさせたのだが、そんな事にアナスタシアが気づくことはなかった。
もちろん、常識もしっかり持ち合わせているアナスタシア以外のクーロン氏族は気づいていたかも知れないが、彼等が受け継いでいる迫害の記録や、実際に受けたこともある忌避を思えば、その程度では動じない心が培われていたのだ。
「い、言っておきますが、帝都のどの店に行こうと、支払いはクーロン様達っていう通達が届いていますからね。」
受け取らざる得なかった店主が一枚の紙を、シリウスへと突き出した。
『シリウス様の御母堂様と妹君が帝都でお使いになる一切の支払いは、わたくし、アナスタシア・クーロン・グリーフェルへと請求下さいますよう、お願い申し上げます。』
しっかりとアナスタシアの署名が成され、公爵家の刻印が押されているその手紙が、帝都中の店という店に配られていると店主は告げた。
そして、この通達を全ての店の主達が実行しようとすると、店主は胸を張って言い切った。
それはシリウスに、今の帝都全体が敵なのだと感じさせるには、充分だった。
「アナスタシアさんって…凄い人なんだね……変な人だけど。」
手紙一つで、この広い帝都にある全ての店にお願いを聞かせてしまう。
色々な性格や考え方の人が居るのだ。一人や二人、そんな事はしないと言い張る者も居ていいはずなのに…胸を張ってアナスタシアの願いを聞くと宣言する店主に、シエルは感動さえ覚えていた。ただし、アナスタシアがシエル達の前で見せた姿や言動を思い出せば、思わず最後の言葉が出てしまうのだが。
「おう。アナスタシア様はすっげぇ人なんだぜ!変な人だけど!」
シエルが漏らした小さな声の感想に答えたのは、あらあらぁと店主とシリウスの小さな戦いを見守っていた住人達の中から顔を突き出した、一人の少年だった。顔に小さな出来たばかりの傷があり、服もよれよれで汚れている、見るからにやんちゃそうな少年は、自分の事でもないのに何処か自慢げに鼻を鳴らしていた。
「俺が馬鹿やって崖から落ちて、両足が動かせなくなるって医者に言われた時も、ちゃんと治してくれたんだ!」
そういって、少年は生傷を作っている足を叩いた。
ついさっき出来たと思われる血の滲んだ傷さえなければ、なんの傷痕もない子供の足を、少年はグルグルと動かして見せた。
それに応じるように、色々な声が飛んできた。
「そうそう。常日頃の言動を覗けば、すっげぇ良い人だよ。うちの親父が馬車に轢かれた時も助けてくれたしな。」
「俺も、指を元に戻してもらったよ。」
「もう無茶はなさらないで下さないな…なんて優しく治してくれるんだぜ、自分が血だらけになってドレスとか駄目になってるっていうのに。美人だし、学園でも憧れの的なんだぜ。…まぁ、見てる分には、だけど。」
「なんの礼も受け取らずに、救護院で怪我人の面倒を見てくれるしね。本当、クーロン様方が居てくれなかったらと考えるのも恐ろしいよ。」
アナスタシアとクーロン氏族のことを褒め称える人々。
だが、アナスタシアに関しては必ず注釈がつくのだから、あれはやはり可笑しなものなのだとシエルはホッとした。
褒め称える声が聞こえてきた時には、帝都って…などという可笑しな印象がシエルの中で生まれ始めてしまっていたのだ。間違った印象を持ったからといってシエルが困ることもないだろうが、少なくとも、その話を聞くことになったであろうジークを始めとする村人達や、ムウロやアルスを笑い殺さずに済んだかも、知れない。
「荷物、一杯になっちゃったね。」
「そうね。」
ほんの少しだけ、皆で一緒に食べれるだけのお菓子でも買おうかな。土産に関してそう思っていたシエルとヘクスだったが、あれこれと見ている内に買い物は進んでしまった。それでも、それは食堂で使えるような食材が多かったし、荷物持ちを引き受けたクインの片腕で済む程度だった。
だが陽が暮れ始め、村へ帰る為に転移の術が準備されているという場所へ向かう頃には、クインだけでは手が足りず、シリウス、ヘクス、シエルがそれぞれ荷物を抱える程に膨れ上がっていた。
それは、店が立ち並ぶ通りを歩けば歩くほど、持って行ってと押し付けるように人々から渡された小物や食材などだった。
支払いは確実にアナスタシアに請求せよという通達。シリウスに拒否されなくとも、恩を返したことにはならないと悩んだ店主達が「なら、おまけを奮発すれば良くないか?」と思いついたことで起こった現象だった。
クーロン氏族は決して礼を受け取ってはくれない。恩を返させてはくれない彼等に報いる方法を見つけた、と考えた彼等の暴走は激しかった。
「あっ!」
シエルの抱えていた袋から、紫色の果実が零れ落ちた。
幸いなことに、シャリシャリとした食感を楽しむ果実は、地面に落ちた程度では割れることはなく、コロコロと転がるだけだった。
シエルは自分が抱えている袋に気をつけながら、腰を曲げて果実の行方を追う。
「はい、どうぞ。」
コロコロと転がった紫色の果実は、それを見逃すまいと追ったシエルの視線の中で、黒い皮の手袋をはめた手によって拾い上げられた。
拾われる果実を追って、屈めていた腰を真っ直ぐに戻したシエルの目の前には、背がシエルより低く、頭と顔が境が分からない程の白毛に覆われている、僅かに覗く目元からは深く刻まれた皺が見える老人が居た。老人は、黒い皮手袋の手に持った青い果実を、シエルの持つ袋へと戻してくれた。
「ありがとうございます。」
「いやいや、いいんじゃよ。それにしても皆凄い勢いじゃったのぉ。」
シエルとヘクスに、我先にと群がって物を渡す光景を見ていたのだろう。シエルが抱える荷物を眺め、老人は笑っていた。
「うん。でも、なんだか面白かった。」
どんどんと、シリウスが止めるのも聞かずに四方八方から積み上げられていった荷物。果てには、荷台持ってくかなんて言うものさえ居た。
そこまでいってしまえば、もはや人事のようにも感じられ、シエルは笑ってしまった。
「あれが面白かったと。ほっほほ。豪胆じゃの。…さすが…」
「えっ?」
「あんたは!!」
シエルの背後から、クインの驚く声が聞こえた。
「ニールじいちゃぁん!!!!」
そして、老人の背後から、頭に野菜のカスを乗せて汚れてしまっている、涙目の少年が駆け寄ってきていた。
「おやおや、じいちゃんと呼ぶのは、もう止めたんじゃなかったのか?」
「あぁ、やはりニール翁の"鼠"だったか。」
苦笑を漏らし少年を振り返った老人の声と、シエルの背後から聞こえたシリウスの声が重なった。
ひぎゃぁぁぁっ!!!!
シリウスとクイン、二人の姿を目に入れた少年は悲鳴を上げて老人に縋りつき、ごめんなさいと謝り、もう帰ろうと言い募る。
「分かった、分かった。帰ろうな。まったく、もう一人前になったと偉ぶっておったのに。何をされたのやら…。」
老人の目が一瞬、自分の後ろに飛んだようにシエルは感じた。
だが、老人はすぐに背を向けて少年を連れて去っていった。
「また帝都に遊びにおいで。」
そう言いながら、黒皮の手袋に包まれた手を振って。




