お呪いの効果
「お父さんへのお土産、喜んでくれるかな?」
「ジークが好きそうな味だもの。喜ぶと思うわ。」
多くの人が行き交っている通りの中で、良かったねとシエルとヘクスは、シリウスが手にしている袋に目を向けていた。
その袋の中には、モノグに頼み分けて貰った三羽分の燻製した鳥肉が入っている。
モノグが手ずから試行錯誤し、調合したという燻製する際のタレ。
それに浸した後に燻された、引き締まった肉質の丸ごとの鳥は、昼食にと出され、シエル達全員を感動させた。日頃、新しい料理を考え、客に提供することを考えているジークには、良い土産になるだろうとシエルが頼み、譲ってもらったものだった。
話が終わった後、シエル達はモノグに言われ、屋敷の外に出た。
煙を漏らしていた木箱から、吊るされた状態で燻されていた丸ごとの鳥が五羽を取り出したモノグは、「ちょっと待ってな」と、手馴れた手つきで変形を始めている鍋を石で組み上げた竈に乗せ、大量の切り跡が目立つまな板と包丁を使って昼食を作り始めた。
毎日のように食卓に並べることが出来る値段で、近所に一軒は扱う店がある、そんな平民の食卓には定番のパンというものがある。貴族が食べるような真っ白でも、柔らかさもないものではあったが、こんがりとした茶色の歯ごたえのあるパンはシエルも食べ慣れたものだった。
その少し細長な茶色のパンを袋の中から取り出したモノグは、パンの真ん中に切れ目を入れ、山の中で採って来たという数種類の香草を軽く炒めたものを敷きしめる。その上に今まさに燻したばかりの、温かい鶏肉を千切って乗せ、ピリリッと刺激のある胡椒をかける。
竈に乗せられて鍋の中では、これまた山で採れたという数種類のキノコや香草が入ったスープが良い匂いを立ち上らせていた。
「さっさと食って、帰れよ。」
そう言いながら全員に配られた二品は、とても美味しいものだった。
ボコボコに歪み、使い古されていると見ただけで分かる鍋の中にあったスープは、全員がおかわりをして綺麗に消え、少しだけ残っていた燻製鳥も二羽分が全員の口へと消えた。
それにしても…と、モノグが手早く料理をしていく姿と、その料理の味に、シエルは感動しながらも、余計なことを考えてしまい、それは思わず声に出てしまっていた。
「なんで、伯父さんは痩せないのかな?」
器に残っていたスープを飲み干そうとしていたクインは、もったいなくも、それを噴き出した。
苦笑を浮かべたムウロがシエルの名を控えめに呼び、そういう事は言うものでは無いよと嗜めるが、本来それをすべき母であるヘクスや兄であるシリウスは、それもそうだとシエルの呟きに同意して頷き、モノグのお腹へと視線を集めていた。
血の繋がりだね。
ムウロは苦笑を深めるしかなかった。
山の幸をふんだんに使った料理。その手つきから、モノグが作りなれていることが分かる。シエル達と一緒に食べているからなのかも知れないが、食べる量も大過ぎるということもない。
暴食や自堕落な生活にふける、評判の良くない貴族は実力を重視している帝国にも少なからず存在する。それらの見本のような大きく丸い体型が、どうやって維持されているのか、疑問に思っても可笑しくはない食事の光景だった。
食材も、自分で山に入って難なく採取している様子もあり、身体を動かすことが出来ないという訳でもない。
その理由を、ムウロは勘付いていた。
「知らねぇよ。医者にも不思議がられたが、別に狩りだって一人で出来るからな。食事量でも運動量でも、医者のお墨付きなんだがな…。」
モノグ本人も不思議に思っていたが原因は分からない。何をやっても痩せる兆しはなく、最早モノグは投げやりになっていた。
「あぁ、まぁ分からないだろうね。巧妙に気配を消し去って、隠してあるみたいだからね、その"呪い"。」
魔族の爵位持ちでも気づけるモノは少ないないんじゃないかな?
「呪い?」
「そう、呪い。大昔に作られた、とぉっても強力な"どんどん太っていく"呪い。」
懐かしいな、とムウロは微笑ましそうに、シエルとヘクス、シリウス、クインへと顔を向けて行き、最後にモノグに戻して止める。
それにつられ、全員の視線がモノグへと集まった。
「こんな、くだらない上に古い術を知っているなんて、しかも上手く隠しているのを見る限り、腕の良い術師ではあったみたいだね。」
「腕が良い…くだらない…」
"それにしても、本当に豚ちゃんよね。それで、そこそこに戦えるんだから、笑っちゃう。"
"うるせぇよ。監査されるような愚図でアホぅな貴族共は、これで油断しやがるんだ。好きで太ったわけじゃねぇよ。現役を引退したら、すぐに痩せてやるよ。"
"こう見えて、この馬鹿息子は学生時代は引く手数多だったんだぞ、リリーナ。"
モノグの脳裏に、昔の一場面が浮かんだ。
あれは確か、ヘクスが床を這い始めた辺りだったと記憶している。
"へぇ…まぁ、旦那様達の子だし?見た目が悪い方が可笑しいと思うけど…。でも、モノグが痩せちゃうなんて…。それってもう、モノグじゃないと思うなぁ、私は。"
"は?何だ、それ。"
「それが分かったの?ムウさん、やっぱり凄い。」
「褒められると照れるな。でも、この術に見覚えがあったから分かっただけなんだよ。」
モノグが思い出に浸り、顔を強張らせていっている目の前で、ムウロが照れ笑いを浮かべながら彼の思い出を披露する。
「実を言うと、これって父上がかけられた大騒ぎした事がある"呪い"なんだよね。」
「まぁ、アルスが?」
ヘクスも、興味が引かれたようだ。
「母上に、ユーリアさん、そして姫様。それ以外にも、魔界の主だった女性陣全員の怒りを買う余計な一言を言った父上が、どう見ても狼には見えない姿にされた事があるんだ。」
含まれている母親の名前に、クインがえっと目を剥いた。だが、そんな事があったなんて、クインがどれだけ記憶を探ろうと出てはこない。ということは、生まれるよりも前のことなのか。
だが、それを聞ける状況ではなく、開きかけた口を閉じた。
「あの時の父上は、"呪い"を込めた種を口から接種させられたらしいんだけど…」
何か怪しいものを食べたことは?
ムウロの、曖昧な問いかけが飛ぶ。
怪しいもの、なんて曖昧な事に答えられる人間は少ないだろう。
だが、モノグの脳裏に再び、リリーナの声が響いた。
"はい、食べて。"
"なんだ?珍しいな、お前が飯を作るなんてよ。"
"あら、だって私は貴族の妻よ?使用人の仕事を奪うなんて、馬鹿なことはしないわ。でも、今日は特別。"
差し出されたのは、見た目には全く不備の無い、普通のスープだった。湯気が立ち上る、とろみのついた赤いスープ。匂いを嗅いでも、異臭はなく、むしろお腹を刺激する良い香りだった。
何より、差し出されたそれと同じものを父親が平然とした顔で口にしていた。
"なんだ、これ…!"
大丈夫そうだ、と赤いスープを並々にすくったスプーンを口に運んだ。
そして感じたのは、甘く、すっぱく、時折辛い。見た目も匂いも普通なのに、味は困惑という言葉で表現されるものだった。食べろと言われれば食べれないこともない、だが進んで食べろと言われれば食べたくない、そんな味だった。
"私の、愛情た~ぷりの、健康を願うお呪いが込められた特製スープよ。特に、豚ちゃんなモノグのは、他以上に力を込めてみたわ。"
"変なもん、食わせるな!!"
"おい、馬鹿息子。良薬は口に苦しという言葉も知らんのか。"
"クソ親父。それは不味いって言ってるのと同意語だからな。"
「あのアマァ!!!」
「あっ、心当たりがあるんだね。」
モノグは激昂した。
「"呪い"の解除方法は?」
「父上が元に戻ったくらいだから、あるだろうけど、僕は知らないよ。それに…もう手遅れだと思うよ。長い間で、すっかり魂に定着しちゃってる様子だし。」
興味を引かれたシリウスが聞くが、ムウロは首を横に振って、肩を竦めた。
そういう方面に特化していないムウロが見た限りでは、解除は無理なんじゃないかと感じ取っていた。
「まぁ、術者の体の髪一本でもあれば、解けるかも知れないけどね。」
「でも、痩せている兄様って何だか想像もつかないわね。」
「あいつと同じ事、言ってんじゃねぇよ、アホ娘。」
脳裏に流れたリリーナの言葉と同じ事を口にしたヘクスを、モノグは睨みつけた。
性格は似ていないくせに、ふとした瞬間に母親の面影を見せるのは、幼い頃と変わりが無い。その事を喜ぶべきかという思いもあったが、今はそれがチクチクとモノグの記憶を刺激していた。
「飯は食い終わったな。よし、さっさと帰れ。俺は用事を思い出した。」
そして、急かされるように、屋敷を追い出されたのだった。
始めたあった血縁との、時間にして見ればあまりにも短かった交流。そんなぁとシエルは声を上げたが、シエル以上に名残惜しいであろうヘクスは、あまり悲しんではいなかった。
「いいの、母さん。」
「だって、昔からこういう人だったし。それに、もう会えないと思っていたのに、生きていたし、こうして会えたし。兄様は居ることが分かっているのなら、貴方達やシエルにお願いすれば、音信不通になることもないでしょう?」
問い掛けてきたシリウスを見上げ、ヘクスは「頼める?」と首を傾げた。
シリウスとシエル、少なくとも二人の子供達はヘクスの頼みに、何時でも大丈夫だよ、と笑って頷いた。
頼まれごとが完全には終わってなかったんだ。
そう言った後に「気をつけてね」とシエルに注意を促し、ムウロはヘクスにリリーナの遺産を家に運んで置くことを約束し、別邸の前で別れることとなった。
モノグに別れを告げ、ムウロと別れたシエル達は、景観地のある山を降り、帝都の中心部へと歩いていた。
人混みの多い通りを幾つも抜けながら、シエルとヘクスは様々な店で村に持って帰るお土産を見繕っていく。
無防備な二人を狙ったスリや悪漢などに目を光らせ、ずっと感じている幾つかの視線へと殺気を送り返し、シリウスとクインは二人の買い物の様子を見守っていた。
「あっ、クイン隊長。さっき、クイン隊長の家の窓が突然割れたって大家さんが騒いでましたよ~。」
巡回中の部下からの知らせに、仕事中と変わらない真面目な姿を見せていたクインは、頭を抱え、溜息を吐く、少しだけ情けない姿を晒すこととなった。
「あぁ、分かった。心当たりのあることだ。大家には、ちゃんと直すからと伝えておいてくれ。」
"母親からの届け物、家に届けておくから。場所教えて?"
別れ際に、クインにだけ聞こえる小さな声でそう聞いてきたのは、ムウロだった。
その、にこやかな笑顔に、最初に会った時の不機嫌さは完全に収まったのだと、クインは素直に家を教え、その鍵を渡していた。
俺への八つ当たりは忘れてなかったのか…。
そんなムウロに、執着の激しいムウロの兄レイや、母であるユーリアが言うには『しつこい男』である父親アルスの面影を、クインは感じていた。
クインは、窓の修理に幾ら掛かるのか、自分の財布に相談を始めていた。




