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ある青年。

不思議な任務。


クーゼル・ワーグは、そんな思いを胸に宿しながら、人々の波の中に姿を潜ませ、目の前を歩く一行の動向に、注意を傾けていた。


警邏隊隊長であるクイン・ドクマ。

皇太子の学友で、若くして帝国最強であると名指しされる近衛騎士であるシリウス・アルゲート。

そして、そのシリウスと面影が似通っている母子。

今日の朝から母子が帝都を去るまで、近過ぎず遠過ぎず、悟られないようその動向を見続ける。

そんな命令を受けたクーゼルが、見続けなければならない面々だった。


何故、そんなことをしなければいけないのか、クーゼルには知らされていない。

『御用聞き』『鼠』と呼ばれるクーゼルには、帝都の中を駆け巡り、情報を集めたり、細々とした事案を片付ける、そんな事を命じられ、任される事が多かった。その際、依頼人や事情などは隠されていることがほとんどだった。けれど、様々な情報が常に耳へと入ってくるクーゼルには、それを考え事態を組み立てる頭があった。命令と自分の持つ情報を組み合わせ、事実を見抜くこともあった。

だというのに、突然のことで情報を集めることが出来なかったとはいえ、今回の主からの命令に隠された意図を全くクーゼルは考え付くことが出来なかったのだ。

それはクーゼルが一人で仕事を任されるようになってからでは初めてのことで、仕事に全神経を費やしながらも、その端で不安が尽きることはなかった。


事の始まりは、朝食を取ろうと赴いた朝市でのことだった。

主人であり育ての親でもあるニール翁と共に、クーゼルは朝市に足を運んで居た。『鼠』の名に相応しく、年不相応に小柄で、何か魔術の影響でも受けているのかと聞かれることさえ多い幼い顔立ちを、クーゼルはしている。そんなクーゼルの半分程の大きさしかない腰を曲げた老人、ニール翁と呼ばれるその人は、その優しそうで一部では可愛らしいとさえ言われている見た目ではそうとは思えないが、帝国の裏社会で一番大きく名を知らしめ、多くの組織の首魁達がその意向に神経を研ぎ澄ましているという、そんな人間だった。


屋台で購入した朝食を、放り出されていた木箱を椅子代わりにして食べていた時、屋台が建ち並ぶ朝市の通りで、あの騒動は起こった。

それに関しては、さほど珍しいとは思わなかった。

人が集まれば、一つや二つ争いごとは生まれる。多種多様の人間が多く集まっている帝都であるのなら、小さな揉め事など日常の風景といえる。

何より、その被害者にあたる人物にも、加害者にあたる人物にも、クーゼルは見覚えがあった。

クーロン氏族の姫、アナスタシア。

そして、そのアナスタシアの標的にされてしまっている、シリウス・アルゲート。

場所が朝市というのは珍しかったが、その繰り広げられている光景は珍しくもなかった。

ただ、シリウスが連れているのが、彼と同じように有名な弟妹ではないのだと、気づいた時にはもうシリウスがアナスタシアの首を切り裂いたところだった。

裏に身を置いているのだから、赤色を撒き散らすそんな光景など見慣れている。

ただ、クーロン氏族が肉体を再生させる時の、あの何とも言えない薄気味悪い動きは、何度見ても慣れることは出来なかった。


うわぁ。


せっかくの朝食が不味くなる、とそんな事を心配し、クーゼルは顔を背けた。

その時、朝食を食べていた手を止め、驚いた顔で一連の出来事を見開いた目で見つめているニール翁の様子に気づいた。

目の前で、何人もの人間が拷問を受け、阿鼻叫喚の光景を作り出していたとしても、平然と肉料理さえ食べることが出来るだろうニール翁が、何をそんなに表情に出してしまって驚いているのか。

首を傾げたクーゼルに、ニール翁は「鼠。」と静かに命じたのだった。


「彼女達が帝都を離れるまでの間、何か不都合が無いか見守っていなさい。」


何時も通りの穏やかな声で、ニール翁は反論も否定も許さずに命じる。

飼い主に忠実であると誓った『鼠』は、その命令を忠実に守り、今も人混みの中を歩く彼女達を見守っていた。付かず離れず、今までに培った技術を全て出し切って…。



朝市の行なわれている通りを抜け、彼女達が向かったのは貴族達の別邸が建ち並んでいる景観区域だった。

そして、入っていったのは、ディクス家の"幽霊屋敷"。

財宝が隠され、それを守る幽霊が忍び込んだ盗人達を二度と外には出さない。

そんな噂が、裏社会で真しやかに語られている屋敷だった。

『巨壁』と呼ばれ、裏に通じて悪事を働いている貴族や裏社会の年寄り達に忌避されているディクス家の老獪が自ら、出迎えたことにも驚いた。

滅多に人前へと出てはこない『巨壁』の、その名の由来をなった丸い身体は、初めて見たクーゼルを驚かせるには充分だった。


そして、昼が過ぎ。

彼女達が"幽霊屋敷"から出て来た。

シリウス・アルゲートの手には、入る際には持っていなかった袋があった。

「じゃあ、ムウさん。お願いします。」

「ありがとう、ムウロさん。」

母子が、灰色がかった銀髪の青年に、頭を下げ礼を言っていた。

「お礼なんて要らないよ。実を言えば、まだ完全には頼まれ事も終わってなかったし。あの荷物はちゃんと家に運んでおくから。」

どうやら、銀髪の青年は此処で別れるらしく、母子の頭を上げさせた後、シリウス・アルゲートと挨拶を交わし、クイン・ドクマ警邏隊隊長を母子からは見えないよう小突いていた。


「兄様。私の家に、遊びに来てね。」

「やだよ、面倒くせぇ。死に掛けの年寄りが、あんな辺鄙な場所まで行けるわけがねぇだろ。」

「そう?」

「伯父さん。鳥、美味しかったです。お土産も、ありがとうございます。」

「燻す時に俺特製のタレ使うんだ。美味いのは当たり前だな。気が向いたら、ルーカス辺りでもパシらせて送ってやるよ。」


母子と『巨壁』が、和やかに話をしているという、何処か異様にも思える光景がクーゼルの目に映った。


ビクッ

クーゼルの身体が、クーゼルの意思に反して揺れた。

"幽霊屋敷"を見下ろすことも出来る木の枝に登り、緑の中に身を潜め、気配を消していた、クーゼル。

気づいた時にはもう、裏社会で生きなければならなかったクーゼルは、自分の持つ技術に誇りを持っている。小柄なクーゼルは戦いなどには重きを置かず、身を潜める、気配を絶つ、逃げ延びる、そんな技術に重きを置いて、ニール翁や組織の面倒見の良い先達に教えを乞うた。

だというのに今、銀髪の青年とクイン・ドクマと話をしていた筈のシリウス・アルゲートの目が、しっかりとクーゼルの目に合わさっていた。

睨んでいる訳ではない。

木に留まっている鳥でも見つけたかのような、そんな表情だった。

だというのに、全身が逃げたいと思う程の強い敵意を感じ取っていた。

距離もある。弓矢などを持っていないシリウス・アルゲートの攻撃範囲外だと分かっているのに、クーゼルの身体は登っていた木の枝を蹴り、彼の視界に完全に入ることのない場所に行くことを選んでいた。


朝からずっと、後をついていたのだ。

気づかれても仕方がない。

クーゼルは自分自身に言い聞かせる。

皇太子が信頼を置いている学友にして皇太子の近衛騎士。それ故に、帝国最強の箔を得ているのであろう若き騎士。クーゼルはそう考えている。そうでなければ、皇帝の近衛達や帝都よりも治安の悪い地方を仕切っている騎士団に属する者達を退け、最強の名を得ることがあの若さで、あの優男が出来るわけないじゃないか。

だが、それは浅はかな考えだった、とクーゼルは反省する。

それでも、それでも騎士としての訓練を受けているのだ。実力が必要とされる近衛に居るのだ、そこに所属する為の最低限の実力はあるのだろう。


さっさと外見を変えて、もっと神経を研ぎ澄ませて任務に従事しよう。


クーゼルは、僅かに震える手を抑えた。

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