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親子

「殿下は、左腕を噛み千切られたようです。」

そんな報告が天井から降りてくる。

普通ならば動揺が走るであろうそんな報告に、衝撃を受けるでもなく、怒りを露にするわけでもなく、笑い声が上がる。

それには、普段笑い声の持ち主の行動や言動に慣れている筈の側近や侍女達も呆れ、嗜めの言葉さえ漏らしていた。


皇帝というものは、いや皇帝に限らず公務を行なう皇族は皆、起床の時間から就寝の時間まで、一秒単位で予定が組み込まれている。

そんな皇帝の日程において、起床と定められている時間を少しだけ過ぎた頃、何時もならば侍女や侍従、そして近衛に囲まれて身支度を整える光景が見られる皇帝の寝室では、常にはない近衛や侍女などの動きが静かに、だが慌しく起こっていた。


皇帝ラザフォルによる手出し不要の指示があったとはいえ、それでもと張り巡らしていたあらゆる仕掛けを、まるで子供の悪戯を踏み潰すように侵入した魔族によって、護るべき皇帝に危害を与えられてしまったのだ。

長年、ラザフォルに忠誠を誓い護ってきていた近衛達が苦々しく思うのは当たり前のこと。ましては、それが二度目であるのだから、彼らの近衛としての誇りはズタズタに切り裂かれていた。

笑い声を上げるラザフォルとは真逆に、皺も目立ち始めている顔に怒りさえも滲ませ、むつりと引き締めている彼等に、ラザフォル本人から「気にするな」と声が掛かるがその空気が緩むことは無かった。


一切気を緩めることのない近衛達や、身嗜みを整えようと周囲に侍る侍女達に囲まれながら、ラザフォルは纏っていたガウンの前を肌蹴、ゆったりと椅子に腰掛けている。

年の割には引き締まっている身体の、その腹部には赤黒い拳の形がしっかりと浮かび上がり、胸の少し下辺りには丸い紫の染みが出来ていた。

「陛下、笑われては治療が出来ません。それと、普通は御子息が怪我を成された時には御心配なされるべきかと存じますが?」

椅子に腰掛けるラザフォルの前に膝を立て、内出血を起こしている殴られた痕を治療しようとしていたグリーフェル公爵が嗜めた。

ラザフォルよりも年上で、白髪が大半を占める頭のグリーフェル公爵アグラムは、クーロン氏族の持つ再生能力だけではなく、人間の間で普通に使われている治癒魔術をも治め、他にも薬学や魔術に頼らない治療術も学んだ人物で、王宮医師として王城に勤めている。一族が帝国に身を寄せてから数代、その再生能力を活かし無償の救護院を民に対し解放してきた。彼はより一層その活動に力を入れ、貴族だけでなく帝国の民達からも崇敬を受ける人格者として有名となっていた。

子供の頃からの己の治療を一手に引き受けているアグラムの嗜めに、ラザフォルは笑いをなんとか収めたものの、まだ笑い足りないらしく身体を時折、小刻みに動かしていた。


「ッ!」


そんなラザフォルの、はっきりと痛々しい拳の形を残している部分を、アグラムは少し力を込めて手で押した。嗜みにも止まることなく堪え笑いを漏らしていたラザフォルも、さすがに痛みには敵わず息を呑んで笑うことを終えることになった。

「あぁ、申し訳御座いません。ですが、陛下が私の血を飲むのは嫌だと仰るので、治癒術をかけるしかありません。少し痛みはありますが、我慢をお願い申し上げます。」

そう言いながら、指先にほのかな光を灯らせて、赤黒い部分に指を強く押し当てるアグラム。

痛みを訴えようにも、段々と内出血によって変色している赤黒さが薄れていっているのを見てしまえば、文句を言う訳にもいかない。

「…別に、ブライアンの事を笑っている訳ではないぞ。それをけしかけたのも、余なのだしな。」

そこまで人でなしでは無いと主張するラザフォルに、アグラムは呆れた目を向けた。

そもそも、そうなるように仕向けること事態が、親のする事ではないと娘を持つアグラムの目は訴えていた。

「腕一本無くなろうが、アナスタシアが居るだろう。余の時とは違うと分かっての上だ。」

ポンッとラザフォルが音が大きく響くように叩いたのは、彼自身の右足。

膝から下の、あるべき足が無くなっている右足に全員の視線が集まり、その原因を知っている古参の近衛達やアグラムの眉間に皺が寄る。

「あぁ、別に責めている訳ではないさ。これは余がすべき事をした結果。この程度で民やお前達を護れたのだ、安いものよ。」

それは、まだラザフォルが皇太子だった頃の遠い昔の事。ある一部の貴族の起こした騒動によって、ある魔族の怒りを買い、帝国に災いが降りかかることとなった。その際、ラザフォルの右足を代価とすることで、災いを消し去り帝国の窮地を救うことが出来た。

普段のラザフォルは、魔術を組み込んだ義足によって右足が無いことなど気づかれることなく、動くことが出来る。若い世代の国民にいたっては、皇帝が義足であるなど知らぬ者も多い程だった。


「だが、本当に腕一本で済ませたか。あやつも相変わらず律儀で真面目なことだ。」


それが分かっていて、ムウロに「腕一本」と言ったラザフォルだったが、それでも笑うことを抑えることは出来なかった。

実を言えば、ラザフォルの右足を奪ったのもムウロだった。帝国に災いを放った『死人大公』への詫びとして、身体の一部を差し出せばいいと助言したのが、偶然皇宮を抜け出したラザフォルが出会っていたムウロだった。

当時、魔族の言うことなどと信じては居なかったラザフォルだったが、それしか他に方法も無く、右足を差し出すこととなった。詫びの品として右足を、そしてムウロ自身も礼を寄越せと何かを持っていくだろうなと覚悟していた。

だが、ムウロは右足を奪うだけで他には何も望まず、ただ帝国内をウロウロしていても鬱陶しい監視を寄越すなという程度を約束させるだけで姿を消した。しっかりと『死人大公』の災いを消し去って。

短い間の付き合いではあったが、ムウロの真面目な性格を思い知ったラザフォルは、あの時も呆れ怒る側近達を余所に馬鹿笑いを上げていた。その事を思い出し、また改めて笑いを漏らした。




「もぉ、せっかくシリウス様がお義母様と義妹ちゃんを紹介して下さっている時でしたのに。」


頬を膨らませて怒っていることを示しているアナスタシアは、ブライアンが寝かされているソファーの前に立ち、近衛から刀身を向きだしに差し出された剣に手を添えた。そして、何一つ迷いの無い動きで、刀身に自身の指を押し当て、剣を持つ騎士に目配せを送った。

ズブリ。

鈍い音を立て、近衛騎士によって勢いよく引かれた剣が、アナスタシアの指を二本切り落とした。

アナスタシアは、それによって起こった絶叫を上げそうになる痛みを、薄く紅を引いた唇を噛むことで耐えた。それでも、痛みが無くなるわけではなく、その額からは大量の汗が滲み流れ落ちていく。噛み締めた唇からは血が滲み出ている。

切り落とされた指と、アナスタシアの傷痕から流れ落ちる血は、すぐさまズタズタに千切れているブライアンの肩と、血の気を失っている腕の間に当てられる。

「あっ、見てて気持ちいいもんじゃないっすから。」

そう言って、懐から出したハンカチを乗せたのは、アナスタシアの再従弟であるレノン。

気遣いや後始末をしっかりと行なうことが出来るが、おちゃらけて軽い言動や行動の多い少年だった。

「出来れば、白は止めておけ。」

痛みに顔を顰めながらも、意識はしっかりと保っていたブライアンから苦言が漏れる。

レノンが乗せたハンカチは、清潔なものだと一目で分かる折れ目以外の皺などない純白のもの。その為に、その下で行なわれている光景がうっすらと透けて見える上に、血によって真っ赤に染まっていく様子がはっきりと分かってしまう。

グニュグニュと血に濡れたハンカチの下が、子供が粘土遊びをしているような動きで蠢いている。

確かに、見ていて気持ちのいいものではないと想像出来るが、せめて色のついたぶ厚い布地だったのなら、もう少し見え辛くなって良かったとブライアンは訴えた。

「白こそが、紳士の嗜みっすよ。」

それに、いざと言う時には包帯代わりにもなりますし、という言葉は、医師であるアグラムの教育の賜物だと分かる。


「うふふ。お義母様をお茶会にお誘いするのは何時がいいでしょうか。義妹ちゃんも、我が家に遊びに来たいと行っていましたし…うふふ…可愛らしいお部屋を用意してあげなくてはいけませんわよね。何時でも遊びにこられるように、義妹ちゃんやお義母様用の離れを造ってしまった方が良いかしら。」


「…で、本当の所を言えば?」

始めは痛みを堪えるのに必死だったアナスタシアだったが、切り下ろされた指が再生していく内に痛みも感じなくなり、恍惚とした表情となって己の世界に浸っていた。

その様子に、何時ものことだと思いながらも、ブライアンはアナスタシアの言動の真偽を一応、問うた。

ムウロによって腕を千切られて事によって、何時もならば『目』によって覗き見をする事もままならなかった。

「いっつも通りのドン引きっすよ。」

親指を立てて笑うレノン。

その言葉に、やっぱりなとブライアンは笑った。

ハンカチの下の蠢きも収まり始め、感じていた痛みも消え始めていた。

ハンカチを捲り、その下の状況を確認したレノンが「うん」と頷き、ハンカチを持ち上げた。

ブライアンの腕は真っ赤に染まってはいるが、完全に肩と腕が繋がっていた。

「前にも一度あったから分かってると思うっすけど、暫くは異物感あって変な気になっちゃったりすると思いますけど、まぁその内無くなるんで気にしないで下さいっすね。」

「分かってる。すまないな、助かった。」

「いえいえ~これが仕事っすから。」

じゃあ、失礼しまっす。恍惚と天を仰ぎながら、増設する離れの内装についてを呟いているアナスタシアの手を引き、レノンは皇太子の私室を後にした。

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