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皇太子ブライアン

「お初にお目にかかります、『灰牙伯』殿。」

ブライアンはその表情をにこやかなものへと変化させ、軽く頭を下げて見せた。


ブライアンが居たのは、皇太子が公務を行なう為と宛がわれている執務室。普段ならば、部屋の中とはいえ決して一人になることはなく、公務を補佐する文官や、警備の為に部屋の中と扉の前に必ず近衛が控えている。それが普通の光景なのだが、今はブライアンがただ一人。

これから訪れる存在を『目』の力から気づいていたブライアンによって、文官も近衛も全て、部屋から遠ざけられていた。

もちろん、それを素直に承諾した訳もなく。今も、姿は見えないものの執務室やブライアンに対する注意を、一瞬たりとも途切れさせてはいない。

ピリピリとした警戒は押し殺され、完全に隠しきれていると彼等は思っていた。だが、日頃の訓練の成果でもあるそれらの技術は、人ではない、気配や匂いに敏感な性質の魔狼族である『灰牙伯』ムウロからすれば詰めが甘いと鼻で笑い飛ばすものでしか無かった。

まだ、先程会ってきた皇帝の周囲に潜んでいた近衛や暗部のもの達の方が分かりにくかった。

皇太子ブライアンの近衛である若者達の技術はまだまだだな。

そんな考えを視ている全ての者達に見せ付けるよう、嘲笑を浮かべるムウロの姿が、パタンと音を立てて閉まった扉の内側にあった。

早朝特有の明るく白い光がギリギリ届かない場所に佇むムウロは、それも相まって凄みを帯びているようにも見える。


「ラザフォルに聞いたら、君ならクインの居場所が分かるって言われたんだけど?」


ラザフォルは、今代皇帝の、今は滅多に呼ばれることのない名前だった。それをあさっさりと、まるで古い友人のような気軽さで口にしたムウロ。

何処か不機嫌さも感じさせる笑みで、ムウロはブライアンの返答を待っていた。


「えぇ、分かりますね。その人物が何処に居て何をしているのかも、存じています。ですが、意外だ。それよりも先に、大公の可愛らしい魔女の事をお聞きになるかと思ったのですが?」


それは本当のこと。

『灰牙伯』が皇宮に降り立ったこと、皇帝の私室に入り、そして出て来た後ブライアンの下に向かっていることは視る事が出来たが、その目的までは視ることが出来なかった。

けれど、シエルを帝都へと強制的に招いた翌日ということもあり、きっとその事だろうと予想していた。だが、彼の口から真っ先に出たのは、今日ロゼに言われてシエル達の案内をすることとなっている警邏隊長クインの名。彼の正体が竜であることは知っていたブライアンだったが、まさか『灰牙伯』が訪ねるような存在とは思ってもいなかった。"視て"全てを暴いて知っている気になっていたブライアンは、少しだけ面白く思い、笑いを零した。


そんなブライアンの笑いに、ムウロは目を細めた。


面倒臭いことを押し付けられた上に、自分が目を離した隙にシエルが面倒に巻き込まれていた。しかも、それを知ったのが、シエルの気配を感じ取り説明を求めた事で口を開いた皇帝ラザフォルから。「すぐに気づかなかった?」なんて笑われた事が、下降気味だったムウロの機嫌を底辺にまで押しやった。ラザフォルが若い頃の短い間に色々と付き合いがあった為の軽い指摘だったが、積み重なった全てによってムウロの機嫌は最悪だった。

一応、帝国の皇帝を殺すことは要らぬ騒ぎでしかないという理性の働いたムウロは、ラザフォルに死ぬ事はない遊びのような呪いを施し、一発殴る程度で腹いせを終わらせた。

多分今頃、皇帝の私室は静かに騒ぎになっているだろうが、そんな事知ったことではない。


「それも聞いてるよ。でも、それはクインの居所を聞いた後で。だって、そうじゃないと君の口が開かなくなっちゃうだろ?」


「一応、大公への詫びの品は用意しているのですが?」


「それって、僕には関係ないよね。」

シエルが帰る時にでも持たせようと思い、宝物庫から持ち出しておいた絵の数々を指し示してみたが、ムウロは一瞥するに留まり、ブライアンの言葉を叩き切る。

「それらは確かに、父が鬱陶しい程欲しがっていたものだね。僕も何度かラザフォルの所に行かされたよ。それが手に入るのなら、今回の件は目を瞑るだろうね。でも、…。」

一歩、一歩、ムウロがブライアンへと近づく。

ムウロの肌を焼いているようだったピリピリとした感覚が強まったが、ムウロの足を止めることは出来ない。

「僕には別に関係ないよね?その絵は確かに希少で興味もあるものだけど、別に父上程欲しいとは思わないし。」

ブライアンの目の前にまで迫ったムウロの手が、ブライアンの左腕の手首を掴んだ。

手先が痺れるほどの強い力で手首を掴まれ、ブライアンは眉をしかめる。だが、そんな事を気にすることもなくムウロの力は強まっていった。


「クインは何処かな?ラザフォルには、腕一本くらいならいいと言われているんだけど?」

それは、ブライアンの左腕ということになるのか。


今回の件はあいつに任せてあるから、責任もあいつが取るよ。

後で治療していいなら、腕一本いっちゃって。余とは違って、あいつはまだ若いからちょっとくらい痛くても死なないし。


そう言っていたとムウロに告げられたブライアンは内心で父親を罵った。仲が悪いわけではない。かといって普通の父子のような関係では無い。色々と後々を考えての判断だと理解することは出来るが、そのままだと口にされた口調にイラついた。

悲鳴を漏らしそうになる痛みに耐え、クインが警邏隊隊長を務めていること、今日はシエル達と共に行動する予定だと言うことを伝えた。


そう。


ムウロが口にしたのは、それだけ。

手首を掴むムウロの手にますます力が加わる。

「一つ、お聞きしても?」

「何?」

折られるのか、それとも引き千切られるのか。

自分の左腕の行く末を何故か冷静に考えていた。そんな中で、ある事を思い出したブライアンは口を開いた。

「そこまでお怒りになる貴方とシエル嬢は、一体どんな関係なのです?」

「どういうことかな?」

「ヘクス殿やシリウスが怒るのは、家族だから。『銀砕大公』がお怒りになるのなら、それは主と魔女という関係があるから。そして一応、私と彼女には施政者と民の関係がある。なら、貴方は?」

ブライアンのその問い掛けは、ムウロの手の力を少しだけ緩めた。


「これは、ほんの僅かな未来を時折視る事が出来る我が母からの忠告なのですが、"その関係に名を与えた方が安定する"だそうです。」


「意味が分からないのだけど?」


それは、シエルと帝都に招く事を父親と話し合い決めた際に、母から送られてきた伝言。

ブライアンに『目』の半分を与えた為に弱ってしまったものの、母の持つ『目』はブライアンのそれよりも強力な力を誇っている。そんな母の『目』は時折、未来を覗き見ることもあった。それは、まだ確定していない不確かな可能性でしか無いとは母は言う。だが、その覗き視た未来を口にしてしまえば、それはますます不安定になり、より悪いものになることもあった。だから、母は視た未来の詳細を語ったりはしない。影響を与えない程度に、忠告を口にするだけ。

送られてきた伝言も、度々送られてくるそんな忠告の一つだった。

ただし、それはブライアン宛ではなく、『灰牙伯』ムウロに当てられたものだった。


その旨を説明しても、その忠告の意味を推し量ることが、そう簡単に出来るわけもない。

「で、一応忠告は貰っておくけど、これは時間稼ぎとか、気を逸らそうとかが目的?」

「いいえ。全くそんな意図はありませんよ。ただ、伝えておかなくてはと思ったまでです。まぁ、でも時間稼ぎというのは少しだけ有りますか。怪我を治すものを待機させておく為の。」

治療は許されている。ならば、すぐにでも治療を始めた方が後々に残さずに済む。

「クーロン氏族でも呼んでいるのかな?」

「御存知でしたか。」

数代前の皇帝とクーロン氏族が結んだ盟約の中に、皇帝と皇太子、そして皇帝の依頼が降りた怪我などに対する治療が含まれていた。

並の治癒魔術などよりも効率も効果も高いクーロン氏族の血肉を用いた治療は、彼等が帝国に組するまでに体験した過酷な状況を納得させるに相応しいものだった。


「でも、たかが下級の竜族程度しかないよね、クーロンの治癒能力は。」


ムウロが試したことのあるクーロン氏族が人に与えるという治癒能力は、切断された体を繋ぎ合わせる程度のもの。その断面が綺麗であればあるほど、早く繋がる。その反面、断面がぐちゃぐちゃに壊れてしまっていては繋がるのは困難となり、繋げる事が出来たとしても完全には元に戻すことが出来なかった。

それはまさに、力の弱い下級の竜族程度と評するレベルだった。


ムウロが緩めていた手に力を加え、思い切り良くその腕を自分の方へと引く。

人外の力によって引っ張られたブライアンの足が一歩踏み出し、ムウロに向かい体が傾いていく。


「噛み千切られた傷を治せることが出来るかな?」


倒れこんでくるブライアンを目前に、一瞬だけ魔狼の姿へと変じたムウロの顎がブライアンの左腕の付け根に喰らい付いた。


「---------------------!!!!!!!!!!!」


「へぇ、凄いね。悲鳴くらい、あげるかと思ったけど。」

口元を血に濡らしたまま、人の形へと戻ったムウロは感心を隠そうともせずに、床に転がったブライアンを見下ろしている。

ムウロは悲鳴を上げなかったことを褒めるが、ブライアンは腕が噛み千切られる痛みに悲鳴を抑えることも出来ず、絶叫を上げていた。

ただ、それが音にはならなかっただけ。

「殿下!」

部屋には入ってくるなと言われていた側近達も慌しく扉を開け、なだれ込んできた。その内の一人は、その胸にクーロン氏族を示す意匠のブローチを掲げていた。

真っ先に床に倒れたブライアンへと駆け寄ったその人物へ、噛み千切ったブライアンの左腕を渡したムウロは、まるで何事も無かったような顔となって部屋を後にする。

クインの居所も知れ、腹いせも終わり、この場にはもう用など無いのだから、それはムウロにとって当たり前の行動だった。

ブライアンに言われた忠告を少しだけモヤモヤとしながらも心の奥へと押し込み、ムウロは帝都の街並の中へと潜っていく。



「殿下、意識はありますか?」

部屋の中では、クーロン氏族の出である文官によって、ブライアンの手当てが始まっていた。

自分の掌を切り裂いた文官が、ブライアンの肩と腕を繋げ、血をかける。

だが、ムウロの指摘通り、ぐちゃぐちゃに引き千切られている断面が上手く繋がることは出来ず、文官は静かな声で周囲に集まった同僚へと指示を出した。

「アナスタシアを呼んで下さい。それまでの応急処置程度の止血は出来ますが、元通りに再生させるのは私には無理です。」

その指示に、転移の魔道具を持つ近衛が一人、姿を消した。



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