紛失してはいけないもの
「ねぇ、何でお前がシエルと一緒に居るのかな?」
油断していた自覚はある。
だが、そうはいっても有り得ないと叫びたくなる程あっさりと、背後から伸びた手がクインの首を片手で絞めてきた。その声は、いやという程覚えのあるもので。
振りほどこうと首を掴む細い手へと、クインは腕を持ち上げたが、どれだけ叩こうと手を外す事なく、逆に力が入っていき、しまいにはクインは足のつま先だけで地面と接している状態となった。
ギリギリ
バンバン
本来ならば、そんな音は存在しないのだろうが、クインの耳に首を絞める音が届く。それは、クインが加害者の手を力一杯に叩く音よりも大きく聞こえるのだ。
「ちょ、く、くる…ムウロ…」
「たく。人が面倒なことに巻き込まれたっていうのに。お前を探そうにも見つけられなくて、昔の面倒臭い知り合いにまで聞きに行ったっていうのに。何?なんで、お前は暢気にシエルやヘクスさんと楽しく散歩?生意気になったもんだよね。昔はピーピー鳴いてたくせに。」
クインが生まれた時にはムウロは今より少しだけ幼い姿に成長していた。一人息子だったクインは、年上のムウロを兄のように思い、懐いていたこともあった。母の用事で会う機会があれば、飽きる事なくムウロの後を追っていた。
そのせいで、色々と成長すれば恥ずかしくて仕方の無い出来事も知られている。
だが普段の、いや最後にクインとムウロが会ったのが二百年以上前のことだから、今は違うのかも知れないが、そんな言動を仄めかすこともしなかった。クインが何か失敗しようと、笑って流していた。それを見たレイが「ムウロの幼い頃を思えば…」などと言っていたのも関係あるのかもしれない。
この普段しないような言動、その声音、そして突然攻撃を仕掛けてきたところを見ても、今のムウロの機嫌は最低の所に落ちているのだと、クインは悟った。
そして、初めシエルと対面した時に感じ取ったアルスやムウロの気配は間違えでは無かったのかと納得していた。
「せ、説明する。するから、離してくれ。」
絞られる喉を通して、搾り出した説得。
強靭な肉体を持ち、命さえあれば何処までも自己再生していく竜種のクインには、首を絞められた程度では死ぬ事はない。だが、息苦しさや痛みはしっかりと感じる為、出来るだけ穏便に事を終わらせたかった。ムウロと戦うことになるなど、考えたくもない。
パッと手が離れ、クインは地面に尻餅をつくこととなった。
「ゲホッ」
咳払いを一つ。
それだけをして、クインはムウロの疑問に答えようと顔を上げた。
見上げた先にあったムウロは、全くの無表情で其処に佇んでいた。
「あのな、えぇっと…」
「その説明は別にいいよ。お前の居場所を聞きにいった知り合いの所で聞いた。今のは、ただの八つ当たりだから。」
ちょっと待てや。
なんて、ムウロからの冷たい視線に晒されているクインが、本当に口に出して言えるわけもなく。
「それよりも、なんでそんなに人間臭いのかが、聞きたいなぁ?」
何よりも聞かれたくない事をずばり言われ、クインは目を背けた。
30代には入っているだろう大の大人が、20代前半、見ようによっては10代後半にも見える若い男の前で尻餅をつき、威圧されている光景は周囲からはどう見えているのだろうか。
一応、それなりの立場のあるクインはキョロキョロと周囲を見回すが、その頭の中はどう言い訳をするかで占められていた。
幸いなことに、ムウロが術を使い通行人達の目を晦ましているのか、誰一人ムウロやクインに目を向けることなく過ぎ去っていっていた。
だが、そんな事にも気づかない程、クインは考え込んでいた。
ロゼの事なら仕方ない。それとなく近況を知らせる次いでに母親への手紙に認めておいたのだから。だが、手紙を送る程度で顔を出さなかった理由は、誰にも知らせてはいない。いや、知られるわけにはいかなかった。
「あ…」
「言っとくけど、正直に話さないとユーリア様に言いつけるから。」
お前から竜の匂いが無くなってたなんて聞いたら、どう思うのかな?悲しむよね。怒るかな?
クインの顔には、見ても分かる程だらだらと汗が流れ落ちる。
魔狼であるムウロの鼻がクインから感じ取ったのは、人間の匂いの中で感じ取れる本当に僅かな竜の匂い。そのせいで、クインの匂いと帝都に居るという情報を頼りに荷物を持ってきたムウロは、人間に獣人、魔族の匂いなどが蔓延している帝都の中からクインを見つけ出すことも出来なかった。
ムウロやアルスなどの多くの魔族のように、一部の力を封じて人に化けている、人型を使っているということではない。人間の体を使っているという可能性もあるのだが、その場合すぐに本来の姿に戻れるように本体は近くに置く筈だ。その気配も感じられない。
「……ちょっと…人間の体借りてる間に、体、失くしちまって…さ。」
「はぁ?」
ムウロも唖然とするしかなかった。
体から意識を離す時、体を護る為に全力を持って術を張り巡らせる。本体に何かがあれば、魂に大きな影響が及ぶ。そんな事、それらの術を使える者は幼くして知っている常識だ。
それを、失くした?
何の冗談だ、とムウロは座り込んで目を逸らしているクインの頭に拳を落とした。
「ッ」
目の前が回るような衝撃と痛みだったが、クインも自分が悪いと分かっているから、文句が言えるわけもない。
「馬鹿なの?死ぬの?」
何があった、とムウロは聞く。
これが知れ渡れば、混乱を呼び、大きな騒ぎにもなりかねない。
その突き刺さる鋭い圧力に、クインはあっさりと降伏した。
話は単純な事だった。
クインが地上に出て来たのは、今から200と少し前の事。魔界と地上を隔てる壁に引っかかる程度の力はあるクインは、壁を抜けれる程度にまで力を封じ、地上へ赴いた。その後、地上で色々と遊んだのはいいものの、途中で飽きてきた。人混みはもういいな、何をしようかと思ったクインがしたことは、冒険者くらいしか出入りしないような山奥の洞窟で喰っちゃ寝の生活。魔界では、大公の子として"御曹司""若君"と、隙の見せれない生活を強いられていた。だからこそ、そんな自堕落な生活が楽しくて仕方が無かった。
だが、それも50年もすれば飽きてきて、彼は丁度訪れた冒険者のパーティーに目を付けた。メンバーの一人が見ただけで助からないと分かる状況、他のメンバーも傷つき、倒れ込んで動けない者も居た。
クインはそんな彼らに話し掛け、一人を差し出したら全員を助けやると囁いた。
仲間を差し出すなんてと躊躇った彼等だったが、瀕死の状況だった一人が己を差し出すことを承諾し、クインは人の体を手に入れた。冒険者達に竜種の持つ再生能力を与えるという加護をもたらし、怪我を一瞬にして癒した彼らと共に人里に戻り、渋面を浮かべる彼等の協力の下、人としてのクインからすれば不便極まり無い生活を始めたのだった。
本来の竜の体は、護りを幾重にも施した宝石の中に封じ、誰の手にも触れられることが無いと考えた場所に隠し、それから二百年近く、クインはフラフラと冒険者家業に身をやつしていた。
最近、確かあれは十年程前の事。そろそろ母の所に顔を出すかなんて珍しく考えたクインが、本体が封じられた宝石を確認しにいくと、そこはすでにもぬけの殻だったのだ。
クインが加護を与えていた仲間の子孫の力を借り、帝都の警邏隊として働きながら、今その宝石を捜している最中だった。
なんやかんやの末、恋人も出来たことだしと、捜索の手をさらに強めたばかりでもあった。
「ばっかじゃないの?」
クインの説明を聞いたムウロは、そう吐き捨てた。
それに対して、何も言い訳など出来ないと自覚しているクインは黙り込むしかない。
「で、でもな。宝石の形にしておいた封印が解けた感じはないから、体に何かされているって訳でもないし…無事なのは分かってんだよ…多分。」
けれど、あまりにも強い冷気に、少しだけ言い訳をする。
「あれ?」
言い訳に対する返しがあるとばかり思い、覚悟していたクインだったが、ムウロの興味はクイン以外に移っていた。顔を上げれば、ムウロの視線は先程シエル達が向かった人混みの向こう側。
ムウロの視線を追えば、周囲から通行人達が足早に遠ざかっていく所だった。
貴族や才能があるものが集まる帝国の最高学府である学園、その生徒だと主張し目立つ制服を纏った集団と対峙しているシリウスと、その背に庇われる形となっているシエルとヘクス。
制服姿の集団の先頭に立つ女に目をやり、クインは顔を引き攣らせた。
何かと騒ぎを起こす彼女は、警邏隊隊長としても、そして彼女の先祖に加護を与えた者として、要注意と常に警戒していた対象だった。
クインの加護を受け継いでいるアナスタシアが、魔力を高め魔術を繰り出そうとしていた。
「へぇ。」
いい度胸と、クインの背後から恐怖をかきたてる声が聞こえたが、それよりも早く事は解決していた。
アナスタシアが魔術を練り出してすぐに、シリウスが彼女に詰め寄った。それは、ムウロやクインだからこそ追えたであろう、一瞬の動きだった。たった一歩で空間を詰めたシリウスが、小さな声で詠唱していた彼女の首を、腕に隠し持っていたナイフを取り出し、迷いの無い軌道で掻き切ったのだ。
集めた魔力を霧散させ、首から真っ赤な血を吹き上げながら倒れていくアナスタシアの姿は、どこか滑稽にも見える光景だった。
一応、アナスタシアは死んではいないことをお知らせします。




