姉と義兄
宿泊した家を老女に見送られて出たシエル達は、クインの案内を受けながら、まず朝市の場所に到着した。
朝早くだというのに、平民が多く住む地区で開催されている朝市には多くの人が訪れ、活気に満ちている。帝都近隣で採れたばかりの新鮮な野菜や川魚、肉など、通りに建ち並んでいる屋台に並べられた商品は、次々と道行く人々の手へと渡っていく。
少し値段は高めだが、転移術を行える魔術師を雇い入れるだけの資本を持つ商人によって、海沿いの町などから運ばせた海魚など海産物も売られている。
建ち並ぶ屋台の中には、美味しそうな香りを漂わせている屋台もある。大きな火を立ち上らせ、道行く人々の視線を奪っている店では、肉や魚、野菜などの食材を串に刺し炙ったものを売っている。
隣に立つ屋台にも並んでいる果物を丸ごと搾り、甘味を加えた飲み物を売っている店もあった。
グツグツと煮立つ大鍋をかき回しながら、木で作られた椀に入れて売っている店もある。その周りでは、その木のお椀を手に、立ち止まって食事をしている多くの人がいた。
「あれ、クインさん。珍しいね、休みかい?」
隊服ではなく、完全な私服姿のクインに、歩きながらでも食べることの出来る食事を屋台で提供している店主の女が驚きの声を上げた。
商業地区で、裏通りという場所でありながら人の出入りが耐える事の無い食事処を家族と共に商っている女将である彼女は、酔っ払いを相手にすることがほとんどの為に警邏隊の世話になることも多い。その上、安価で美味しいという店は独身で裕福ではない者も多い警邏隊の面々もよく利用している。その為に、警邏隊の主な面々の休みなどもおおよそ把握していた。
確か、休みではなかった筈の警邏隊の隊長が私服姿で、しかも顔の広い女将が見た事のない人間を連れている。
興味深々な様子を隠す気もなく、女将は釣り銭を受け取るクインの隣で、クインに礼を言いながら商品を受け取った少女にマジマジとした視線を向けた。
女将が屋台で売っているのは、店のメニューの中でも人気で、歩きながらでも食べやすい、持ち帰りやすい、固いパンの間にざっくりと刻まれた野菜と鉄板の上でソースをたっぷり絡めた肉を挟見込んだものだ。
食べやすいといっても、それは大人の男を基準としたもので、小柄な少女の手へ渡ればその顔よりも大きく、思わず大丈夫かと声をかけてしまいたくなる。
それはクインも同じだったようで、心配そうな顔で見下ろしていた。
「全部食べれるか?」
「う…ん…。大丈夫、だと思う?」
何とも不安な返事。お腹が減っていたという事と、物珍しい光景の中に居るという状況で、判断を誤ってしまうことはある。女将も、地方から出てきて初めて朝市に顔を出したという人間を多く見てきたこともあって、そんな事態も多く見ていた。
「なんだったら、半分に切ろうか?」
半分なら食べられるだろう?と女将が声を掛ければ、少女はコクコクと勢いよく頷き、受け取ったばかりのパンを女将に返した。
「親戚の子とかかい?」
小刻みに動かすナイフをパンに入れ、少女の顔よりも大きかったパンを二つに切り分ける。
その間にも、女将は好奇心を埋めようとクインへと口を開く。
「あ…あぁ…まぁ…うん…」
なんとも、歯切れの悪い肯定をクインが行い、女将は首を傾げることになった。普段は思い切りと面倒見の良い男の、煮え切らない返事。人に言えないような関係か、と再び視線を少女に戻した。
クインからすれば、娘にあたるような年齢だろう少女は、切り分けられたパンを両手に持ち、女将の視線にも気づくことなく、女将に背を向けた。
「お兄ちゃん。」
その呼びかけにつられ、女将の視線は自然に少女が見ている先に動く。
そこには、少女の母親だとすぐに分かる容姿の女性がいる。その隣には、目深にフードを被った人が付き添っていた。
少女は、フード姿の兄という人物に、半分となったパンを持った片手を差し出した。
「ありがとう。だけど、母さんはどうする?」
「私は、これで充分よ。」
女性が手にしているのは、女将の知り合いが出している屋台で買ったのだろう、木造のコップに入ったスープ。大工の妻である友人が、夫の作ったコップ込みで安価で売っているスープも人気の屋台の一つだった。
3人の会話で、この見慣れないクインの連れ達が、母と息子・娘だと知った女将は、ある考えに思い至った。
「まさか!クインさん、あの人と結婚でもするのかい?」
結婚する為、子連れの女性をこの帝都に招いてきたのか。
クインの年齢を考えれば、無いことも無い考えに思い至り、一人興奮した声を上げてクインに顔を近づけた。
水臭いじゃないか、と詰め寄る女将に、クインは顔を青褪める。
「ち、違う!そうじゃない…」
必要以上に慌てて否定する様子に、怪しいと目を細めるが女将からの疑惑は少女と女性の何気ない言葉によって、終わりを迎えた。
「そんな事聞いたら、お姉ちゃん…すっごく怒りそう。」
首輪。
ポソリとシエルが呟いた最後の一言は、通りの喧騒を背負っているヘクスやシリウスには届かなかった様子だった。だが、緊張に感覚を研ぎ澄ましているクインや、興味深々に耳を大きくしていた女将には聞こえた。
意味が分からない女将は不思議そうな顔になるが、意味が分かるクインは顔を赤くしたり、青くしたりと忙しい様子になった。
なんて事を妹に聞かせているんだ。と怒鳴りたい気持ちになるクインだった。
「そうね。怒るわね。あの子、玩具は壊れるまで離さずに遊んでいたから。よく、グレルとも喧嘩をしていたわ。」
懐かしいと目を細めたヘクスの言葉は、可愛らしい子供の行いを思い出しただけなのだろうが、クインにとっては恐ろしい言葉だった。
色々と情報に精通していて、関わった経験などが豊富な女将は、その二人の言葉で全てを察した様子だった。ニヤニヤと口元に浮かべた笑いを隠そうともせず、クインの肩を小突いてからかいの声をかけた。
明日には、帝都全域の主婦がこの話を知っていることだろう。
主婦の情報網の恐ろしさを知っているクインは、顔を引き攣らせた。
今にも屋台を放り出して話をしに行きたそうにしている女将の元を後にしたシエル達は、人の流れから離れた空間を見つけ、そこで立ち止まることとなった。
人混みの多い場所で歩きながら食べようにも、人にぶつかったりと、人混みに慣れていないシエルでは難しい。立ち止まって、ゆっくりと食事を楽しむことにした。
半分になったとはいえ大きなパンを口に運びながら、シエルは好奇心に後押しされるがままに、クインへ幾つもの質問を繰り出した。朝市に向かうまでの道中は何となく言い辛い空気に我慢していたが、それも限界を迎えたのだ。
どうやって出会ったのか。どっちから告白したの?
もう此処まできたら、と腹を括ったクインは、それらの質問に素直に答えていった。
クインとロゼの出会いは、仕事上のことだった。
帝都に、強力な呪物を売り買いする謎の魔術師が現れ、庶民から貴族まで多くの被害者が出た事件があった。何度も追い詰めても、魔術を行使して逃げる犯人。その報告を受けた皇帝は、魔術師団に警邏隊と協力するよう命を下した。そして、その時に警邏隊へと出向いて来たのが、ロゼだったのだ。
それが、二人の出会いだった。
今以上に人との馴れ合いを嫌い、そして実力もあったロゼは、単独で犯人を捕まえようと動いた。そんな彼女に真っ向から向かいあい、叱りつけたのがクイン。実力はロゼよりも下ではあったが、経験が多く狡猾だった犯人によって、何度か危ない目にもあっていたロゼを、見てみぬふりが出来なかった。
詳細は口を濁しながら、何があったのかも話したクイン。罠に嵌められて術を無効化され捕まってしまった話や、大きな被害を巻き起こす魔術の起爆剤にされかけた話などを聞かされれば、クインに対してあまり良い顔をしていなかったシリウスも、頭を下げて謝り、そして礼を言うしか無くなっていた。
クインに説教され協力し始めたことで、無事に犯人である魔術師を捕らえることが出来たのだが、クインにとっての苦難の日々はその後に始まった。
間が空いたとしても、三日に一度は顔を見せるようになったロゼ。
近くに来たからと言いながら、仕事終わりのクインの前に現れたことも多かった。こんな遅くに出歩くなとしかりつけて、ロゼの住む屋敷まで送り届けたのも一度や二度ではない。
「なんだか、物語みたい!」
目を輝かせながら聞いていたシエルが、きゃあと歓声を上げる。
そう、物語のようだとはクインも考えた。
「大人をからかうな。」
だから、そんな事を言い、ロゼを突き放したのだ。その時、ロゼは18歳だったが、クインからすれば子供も同じだ。だが、それがいけなかった。
クインが気づいた時には、外で会っていた筈なのに自分の家の、寝室の中に居て、そして自分の上にはロゼが居た。自分の家にロゼを招き入れたことは無い。会う時は必ず外で、だった。
「子供じゃないのよ?」
ニンマリと笑うその顔は、その言葉に反していた。悪戯に成功した子供のような笑み。やっていることは、全然子供ではなかった。
絶対にシエルとヘクスには聞かせられない話。
だからこそ、色々と濁したのだが、妹の性格と行動を熟知しているシリウスには通じてしまったようだ。頭を抱える様子には、哀愁さえ感じられた。
そんなシリウスに、理由は分からずとも心配を向けるヘクスとシエル。
「シリウス?どうかしたの?」
「…何か、飲み物でも買ってくる?」
キョロキョロと首を巡らせたシエルが、飲み物が売っている屋台に目を付けた。固い皮を錐で穴を開けて、中の果汁を飲む。そんな商品が売られている屋台は、今シエル達が居る場所から人混みを通り抜けた向かい側。
買いに行こうと向かい掛けたシエルとヘクスをシリウスが引きとめ、一緒に行くと疲れの滲む顔を上げたのだった。
「ねぇ、何でお前がシエルと一緒に居るのかな?」
親子3人の背中を見送っていたクインの首が、背後から突然伸びてきた手によって思い切り締め付けられた。
息苦しさの中でも、覚えのある声に冷や汗が流れる。




